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リーダーについて考える

ども、こんにちは!

だいぶ涼しくなってきました。秋、良い季節ですね。地球が、23.4度傾いていてくれていたことに感謝したいです。

リーダー人材の育成は、今日の教育界の重要なテーマですが、本質的にリーダーが果たすべき役割は何なのか、考えてみたいと思います。

リーダーとは何か?

言葉の意味から考えてみましょう。

「リーダー」とは「Leader」、すなわち「引っ張る人」という意味です。もう少し言葉を加えるなら、「ある人間集団をある目的地まで引っ張っていく人」、これがリーダーの定義と言えます。

つまり、リーダーは必ず2つの要件を満たす必要があります。

①引っ張られる対象から分離していること

②目指す目的地を分かっていること

もちろんこれ以外にも、真摯さ、愛情、情熱、コミュニケーション能力など、様々な要素が必要ですが、上記2つを備えていなければ字義的にリーダーと呼ぶことはできません。

引っ張られる対象から分離していること

例えば、運動会の綱引きを考えてみましょう。

僕たちは「人間」であって「綱」ではありません。だから、「綱」を「引っ張る」ことが可能です。僕たちが「綱」と同化していれば、「綱」を引っ張ることは不可能です。当たり前ですね。

つまり、「何か」を「引っ張る」ためには、その「何か」と分離している必要があるという構造が見て取れます。

「リーダー」という「人間」が引っ張る対象は「人間集団」です。つまり、「人間集団」から分離している「人間」こそが、「リーダー」となる資格を有すると言えます。

では、「人間」でありながら「人間集団」から分離するとはどういうことなのか?

分離とは疑うこと

「集団からの分離」といっても、その集団から離れなさい、ということではありません。

所属するサッカー部を引っ張るのは、サッカー部の構成員であって、通りがかりのおじさんにはその役割を果たすことができません。

つまり、その集団の構成員でありながら分離していること、言い換えれば、その集団が当たり前に信じていることや行なっていることを鵜呑みにするのでなく、集団の中での”常識”を疑う姿勢が欠かせないということです。それこそが「分離」です。

ある意味、その時代の”常識”を疑うことで社会は発展してきたと言えます。疑うことを失った社会は現状に甘んじ、停滞します。

例えば、科学の分野でも、天動説の世界観が”常識”であった社会の中から、コペルニクスやガリレオのような「疑う人」が現れました。そして、そこから地動説という真実が明らかにされました。

目指す目的地を分かっていること

しかし、ただ疑うだけで足りません。リーダーは人間集団を引っ張っていく立場なので、「じゃあ、どこに?」ということを分かっていなければ役目が務まりません。

コペルニクスやガリレオは集団を率いたわけではありませんが、「世の理が明らかになった世界」という明確な目的地を持っていました。

聖書に登場するモーセは、エジプトで奴隷生活をする数万のイスラエル民族を率い、神が約束した地、カナンの地を目指します。これを歴史的に「出エジプト」と言いますね。

400年にも及ぶ奴隷生活が”常識”となったイスラエル民族に対し、①本当にそれが”常識”なのかと疑い、②「神が約束した土地」という明確な目的地を示すことで、リーダーとして民族を引っ張り出しました。

経営学の父ドラッカーは、「人は人を見てついていくのでなく、ビジョンを見てついていく」との言葉を残しています。

所属する集団や社会が”常識”という信じて疑わないことを疑い、より良いものを探求していくことができるのか?

「あなたはどこを目指してますか?」と問われた時、人々の共感を生む明確な答えを提示することができるのか?

この問いに明確にYesと答えることができるならば、あなたのビジョンが集団のビジョンとなり、社会は少しずつ変わっていく。そう感じます。

では、さいなら!

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