女性専用

女性専用車両は日本社会の縮図か

ども、こんにちは!

多くの電車に女性専用車両が設けられていますが、実はその歴史は古く、1912年に東京の中央線で始まったようです。

「女性にとってありがたい制度なんだろうな」とずっと思っていたのですが、周りの複数の友達が「女性専用車両は絶対乗らない!」と鼻息荒くして話しているのを聞きました。

なぜそう思うのか?を聞いた時、社会のあり方について同時に考えるところがあったので、記事にしてみました。

女性専用車両の弊害

彼女たちが「女性専用車両には絶対乗らない!」と主張する理由はこうでした。

乗客がお互いに身を委ねているので、電車が揺れると転倒しそうになり危ない、と。

これはどういうことかというと、女性専用車両には当然女性のみが乗車するので、男女が乗車する一般車両に比べ、お互いを気にせず密着した状態で、お互いが寄りかかりながら乗車する格好になる。

ゆえに、電車が揺れるとドミノ倒し的に全体が揺れ動き、「リアルに倒れそうになって死にそうになる」とのことでした。

ドミノ

なるほど、男性にとっての聖域、女性専用車両でそんなドラマが繰り広げられていたとは。。(勿論、鉄道会社や乗車率にもよると思います。特に東西線がやばいらしい。)

その点、一般車両では「痴漢」というルール違反を犯す輩が現れる場合を除き、車両内の秩序は比較的維持されているのではないか、と感じます。

「依存」で成り立つ女性専用車両

この女性専用車両と一般車両の比較は、「社会のあり方」について深い示唆を与えてくれると思います。

女性専用車両では、全員が同性という「安心感」をベースにして、互いが互いに寄りかかる、つまり、「依存」が生じています。

この時、電車が揺れずに安定している、つまり「変化しない局面」では車両内の秩序は穏やかに維持されます。

しかし、電車が大きく揺れる、つまり「変化する局面」では、まるでドミノ倒しのように、ガタガタと車両内の秩序は崩壊します。

「自立」で成り立つ一般車両

一方、一般車両ではどうでしょうか。

一般車両では、男性と女性が混在していることから、ある種の「緊張感」が生じます。男性は痴漢と間違われないように、女性は痴漢されないように、という具合にです。

その状況では、「依存」よりも「自立」が色濃く現れます。文字通り、多くの人は自分の足で立っています。ゆえに、電車が大きく揺れても、車両内の秩序は基本的には乱れません。

「依存」の状態にある組織は、信頼関係があって安定しているように見えるけど実は変化に対して脆弱である、ということが言えるのではないでしょうか。

日本社会はどちら?

電車の車両という狭い社会から一気に拡張し、「日本」という社会を考えてみましょう。

日本社会は、多少の違いはあるとはいえ、基本的にはみなが同じ肌の色、同じ言葉、同じ宗教などを保有する「同質的な社会」と言えます。

一方、米国などの移民国家では、人種も、言語も、宗教も様々です。「異質的な社会」と言えます。

日本では「空気を読む」「阿吽の呼吸」という言葉があるように、その場で求められることをスキャンし、行動することがごく当たり前に行われています。それは、「自分が考えるように、相手も考える」という同質性の前提があるからこそです。

一方、米国では「空気を読む」といった表現は一般的ではありません。価値観の全く異なる相手と対峙することがむしろ前提となるので、自分の価値観をはっきりと立てる必要があるし、相手もその前提で接してきます。

日本は、ある意味では女性専用車両と同じと言えるかもしれません。

同質的な社会の心地良さゆえ、自分の軸をしっかりと立てて「自立」することを放棄してしまう。結果的に、外部から自分を揺さぶる大きな力が加わった時、グラグラと崩れ落ちてしまう。

日本も今後は急速に「同質的な社会」から「異質的な社会」へと変化していきます。

その中で求められるのは、「依存」ではなく「自立」。ただ社会に合わせて生きるのでなく、自分の価値観を明確化し、地に足つけてしっかり立つことが必要となるでしょう。

では、さいなら!

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