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見分けるところから始まるのかも

(2024/4/7日)
家族で子犬のしつけ教室へ。
4匹のうち3匹がトイプードル。我が家も合わせて。
ちゃいろの毛玉が連なって遊ぶ姿は小さな体からエネルギーの粉がきらきらとこぼれおちるよう。

きょねん、トイプードルを迎えようと決めて
修論を書く隙間隙間でブリーダーさんやペットショップ、保護犬など調べて悩んで
結局ジョーカーというペットショップで4ヶ月のレッドの子犬を買うことにした。

何度もお店に犬を見に行き、顔馴染みの店員さんに
だんだん顔の違いがわかってきましたか?と言われたけれど
そのときは、我が家は3人とも「どの犬もかわいい」以上の見分けがつかなかった。

犬飼いになって、2ヶ月がすぎ、今では、わかる。明確にわかる。
トイプードルの顔はみんな違う。大きさもまるで違う。
そんなこともわからなかったのかと自分でも驚くほどぜんぜんちがう。これが見分けられなかったのだよな。
犬の値段がほんとうにばらけているのも不思議で、どの基準で選べば良いのかもわからなかったけど、どんな顔と体格・毛の犬が人気で高値なのかなども見比べていくうちにわかるようになった。わかってしまうと、なんだか複雑な気持ちにもなる。「どの犬もかわいい」のは変わらない。
我が家の犬は小さめ体型、丸顔、毛はちょっと少なめしっぽ短め、お耳がやや左右に向かって広がっているのがチャームポイント。

たぶん、2ヶ月前なら、しつけ教室に来ている3匹の茶色の毛むくじゃらさんたちの見分けはつかなかっただろう。
今は見た瞬間にそれぞれが何ちゃんかわかる。

犬を飼おうと検討し始めるもっと前
子どもが4歳か5歳ごろだったか
好きな動物の話をしていて、「お母さんは人間も好き」というと、子どもが目を丸くしていた。
(以前に、友人に、「あなたって、犬が好きとか猫が好きみたいなのと同じように、人間という生き物が好きよね」って言われたことがあるのを思い出したのだ)
人間も大きくわけると動物の仲間ということを伝えると、
子どもは「え、じゃあ、わたしみたいな顔の子がどこかにたくさんいるってこと…?」と混乱しながら聞いてきた。
どういうことか話を聞いてみると、動物園にいる動物や、道で出会う犬や猫たちはみんな同じ。同じなのが動物。だから人間は動物ではない、と頭の中で区分して理解をしていたようだ。新鮮すぎる理解で驚いた。ピュアに、自然に、人間と、それ以外の生き物を区別していて、まあ、それは、動物と一緒に生活をしない日常生活の中からではそうなるのも仕方がないように思うが、その根拠が、動物は見た目が同じ、ということだったとは。

今では、子どもも、犬の顔の違いを区別している。
人間と同じように、みんな顔が違う。
ただ、やっぱりトイプードルとパグ(実家で買っていた)以外の犬は、ちょっとわたしも子どもも、そこまで明確に見分ける力がまだない。
キリンやゾウやイルカはなおさら。
なんだけど、「みんな見た目が異なる」という前提をインストールした今ならば、ぱっとみではわからなくても、じっくり見ればわかるのかもしれない。
そしてそう見分けられるようになって、以前よりも動物に対しての親しみと慈しみは増している。
動物かわいいよね、というより、生き物ってそれぞれいいな、みたいな感じというか。

ペットの命、動物の命
または人間同士でもお互いの命をどう尊ぶかの具体的なステップって
それぞれの個体を違うものとして見分けるところからはじまるのだろうか。
植物だってそうなのかも。植物の場合は種ごとの個体を見分けるのは難しいような気がするけど、見分けて名前を覚えるところから自然との交流がはじまるのかもしれないな。




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