時のつれづれ
私のような出来損ないは、人の3倍努力しないと、他の人に追いつけない。
勉強も仕事も恋愛も人生も。
ずっとそう思っていて、私は自分に対してとても厳しい人間でした。
15歳の誕生日から10日後。バイトを始めました。
スーパーで働く近所のおばちゃんに、中学の頃からお願いしていた、レジのバイトです。時給は450円で毎日4時間。
学校が終わったら大急ぎで家に帰り、炊事洗濯の家事をして17時から21時まで働く。
夏休みは10時から17時までうどんコーナー、17時から21時までレジ打ち。
私はスーパーのおばちゃん達の間で、ちょっとした有名人になっていた。
「どうしてそんなに働くと?」
「え、遊びたいから」
「遊びって、バイトしてたら遊ぶ時間なんか、なかろうもん。」
「あ、そっか。あはは!」
本当は学費のため。可哀想な子なんて絶対に思われたくないし、認めたくない。
いつも明るく笑って能天気に振る舞った。
「あんたいつも家でもお手伝いしよるやろ。」
「してないよー。遊んでばっかですよ。」
「綺麗にお茶碗洗って、流しもピカピカ。おばちゃん何も教える事ないがね。」
うどんコーナーのおばちゃん達は、とくに可愛いがってくれた。
「今日もあれ食べるね?」
と、聞いてきては毎日、山盛りのレインボーかき氷に、好きなだけ缶に入った練乳をかけてくれる。
「おばちゃん、練乳ぜんぶね!!」
「分かってるって。ここ見て!」
と、得意げに練乳が大量にかかっているところを、指差して見せてくれる。
うどんも山盛り。肉もごぼう天も、とろろも煮たまごも天かすも好きなだけ全部トッピング。
「いっただきまーす!!」
大喜びで頬張る私を見て、目を細めて微笑んでおばちゃんはいつも同じ事を言ってくる。
「ぜんぶ食べりよ。好きなだけ食べていいけね。今、困っとることはない?」
「ないよー。」
「遠慮せんでおばちゃんにいうんよ。すぐ助けに行くけん。」
「あはは!うん!わかった!」
とにかく稼ぎたい!幸せなんてお金があれば全部買える!ご飯も車も家も何もかも全部手に入る!
昼は本業の正社員、夜と土日は副業のバイト。40歳まで12時間労働で週1の休み。それでやっと、人並みに頑張っていると思えて安心した。
そんな毎日が嫌になり、サボってずる休みする日もちらほら。良くも悪くもずっとそんな働き方をしていました。
30代になると私なんかでも管理職を任されるようになり、ますます稼げたし、ブランド物の高級時計を身につけ、BMやベンツを乗りまわしている仕事仲間たちと、飲み歩いたりした。
見た事のない煌びやかな世界。豪華なお料理がでてくる料亭でミーティングしたり、成績が良ければ海外旅行もタダで招待された。
そんな世界で生きている人たちに、本当の私の姿なんて益々曝け出せなくて、隠す事に必死になっていた。
私は華やかな料理よりも、よもぎの天ぷらやつくしのごま油炒めが好きな、素朴な人間だ。
遊びも恋愛も仕事も、思いっきり全力投球した。たくさんの失敗も成功もあり、一生分楽しんだから、その世界に1ミリも未練はない。
煌びやかな世界で生きる代わりに、犠牲にしてきた膨大な時間と、自分の心。
あのまま続けていれば、今頃は、、なんて言われましても、お金で買える幸せなんて、一時的に満たされるものばかり。もう何も欲しくないのです。
お金があっても心にはぽっかりと穴はあいたままだったし、それなりに生活は潤って幸せだったけど、なんだかな。
それで40歳の頃に、身の丈に合った会社へ転職しました。
1年前、パニックになってから、休みの日はひたすら自堕落的にゴロゴロしています。するとだんだん罪悪感のような焦りがでてくるのです。
今日は体調良いからリハビリしないと!とか、ちょっと休みすぎだから仕事増やそうかとか。
まてまて。週5働いているんだから、休みはきっちり休みなよ。もう1人の自分が私に言いきかせます。
あ!そうだった。なんなら今後は仕事を減らして、空やお花を眺めてのんびり暮らすのだったと、思いだす、、。
何十年も心と体を酷使して、病気になったというのに、なぜ未だに休むと罪悪感を感じるのでしょうか。
長年、身に染みついた思考やクセは、なかなか変える事はできないし、頭の中から消えてはくれません。
夢は80代でも働くことです。2時間でも3時間でもいい。
お金のためではなく、うどんコーナーのおばちゃんみたいに、がんばっている誰かを陰ながら応援して、見守ってあげられる人になりたいのです。
私が当時流行った懐かしのカリーヘアにして、遅れてバイトへ行った日。
「あんた!そんな頭にするために遅刻したん?何でパーマかけたん!?前の方が可愛いかったのに!元に戻しておいで!」
と怒られ、うるせーなと、ふてくされていたら
「夏休みの間だけやろ?ね?ね?」
「今日からグレるから!もうバイトも辞めるし、これで学校に行く。」
初めて反抗していうと、「あんた、どうしたん?」と、泣きだしたおばちゃん。
おばちゃんの歳になって、今ならその涙の意味が痛いほどよく分かります。
ありがとね。そして、生きている間にごめんねが言えなくて、ごめんなさい。
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