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アーカイヴ月モカ❗️Start✨Vo.1「東京百景/又吉直樹」(2015.03.02)

毎週月モカを更新することが、今どうしてもできないので、ふと、この6年分の月モカをかいつまみながらアーカイヴ投稿していくのはどうか、と思い立った。きっかけは定山渓-ジョウザンケイ-温泉だった。
今はこのことは語らないでおく。

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旅はいつもわたしに何かを教えてくれる。
旅に出たくなるのは、何かをその土地に、教わりたい時なのかもしれない。

ー2021.4.26 中島桃果子ー

✴︎   ✴︎   ✴︎  以下アーカイヴ ✴︎   ✴︎   ✴︎
第1回月曜エッセイです!
(↑まだ月モカという通り名がないあたりが初々しいので載せておく。笑)

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[↑写真は2021年春の札幌]

きっかけは全くポジティヴなことではなかった。
えっとつまり、このエッセイを始めようと思った、ひいてはこの「東京百景」を読もうと思ったきっかけは。
 UAEから帰ってきてあっという間に2週間が経った。
最初の1週間は高揚ーとはいえある種の冷静な高揚—が持続していて、向こうで感じた信念のまま生きていた。
すべてを地球規模で考えてみては資料となる本を取り寄せてみたり、また、その書籍が地球規模あるいは宇宙規模であるがゆえに、妹達に、

「もかちゃん大丈夫?ここに来て急な方向転換とかして思想家っぽい人になったりしないよね?」

と心配される具合だった。

 ところがこの1週間はどうもテンションがおかしくって。きっかけはとるに足らない些細なことなのだが、その些細なことがわたしにはどうにもこうにも咀嚼しきれず重たい雲のようになっていて、それをきっかけに、ある種のシンドロームに陥ったのである。
 シンドローム。
 なんとなく使っているけど、正しい意味がわからない。調べてみた。
 シンドローム=一連のよくない状態。とある。
 確かにそんな感じかも。
 また原義は「同時進行」とある。
 これもまた、どこかしら言い得て妙だった。
 ざっくり言えばこれは反動のようなものだろう。まあ、客観的な言い方をすればね。

 UAEでの日々は毎日がほんとうに信じられないくらいに素晴らしくて、大変なこともたくさんあったけれど、それらはすべて素晴らしいという土壌の上に起こった、結果的にはとるに足らないことだった。

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「立て続けにシュートが決まった次の試合は、シュートは決まらないと思って臨みなさい。まわりも期待しないこと」
 

高校のバスケ部の先生がそう言っていた。物事には必ずピークがあって、絶頂の次にはそれらは下降する。そしてそれは自然なことだから心配する必要はないと。この言葉はこれまで色んなシーンでわたしを救ってきてくれたのだけど、今回もまあ単純に言えばそういうことなんだろう。
 
 UAEでのすばらしい体験や感覚が、この日本での東京での日々の中に淘汰されていくその中でわたしはまた日々の大半、体調の不調を感じながら過ごす虚弱な感じに戻った。なかなか自分で自分の体調のイニシアティヴがとれない。
 
 それらは単純にわたしのスケジュールや寝起きのタイミング、向こうでの朝の8時がこっちの昼の1時であるとか色んなことが理由で、結果、規則正しく寝たり起きたりできていないせいで自律神経が乱れているところに花粉症が襲来していることなどが理由なのだが、UAEでのおそろしく健康だった日々を体験してしまうと、不調は体調ではなく、自分の自己管理能力の低さなのだと考え、すこししょんぼりする。
 加えてその最初に述べた “ちょっとした出来事“ が、ときおりわたしの上にぬううーん、とのしかかってきて、わたしから自信を奪ってゆくのだ。

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 うーん。人と関わるのは難しい。慎重さと繊細さを必要とするよね。でも同時にみんなの感じ方もまちまちだったり……

 そう思うと途端に閉鎖的な気持ちになるもので。

 けれどどうよ? わたしから人を愛すこと、人と関わることを除いたらなにが残る?

「人のことが好きなひと」

これ以外に特に強く打ち出せるものもないまま、そこだけを強く壺井さんに推して頂きUAEにも行くことができた(とわたしは考えている)わたしに。

 なんだろうなあ、先週までは本当に地球の為にわたしに何かできることはないか!? と真剣に考えるくらいの勇気があったのに、今日は地球にたった一人、目の前どころか魂と一体になっているこの自分自身のことも信じてやることができないなんて。

 UAE。

 たくさんの人が、日々を幸せに生きることはどういうことかを、ほんとうに真剣に考えていた。そしてみなが自国だけではなく世界の未来について、真摯に向きあっていて。その純朴で美しい魂たちを写し取って皆に伝えたいと思っていたし、そうする!と決意していた。
 どこか何かを信じることを恐れている大和の民に。
けれどほんとうは、いちばんその力を持っている大和の民に。
なのに今のわたしはちっぽけで、そんなだいそれたお役目を果たせる器であるように思えない。そして今は何も書きたくなかった。

 確定申告のあれこれをして、「少なくとも今日わたしはこれだけはやりました」という底辺の励ましを自身にして、気分を変えようと風呂に入ることにした。

 ふと「東京百景」を読もうと思った。

 ドバイに行く前にーまだわたしにとって行き先がUAEという解釈ではなくドバイというひとつの町でしかなかった頃—ライターで叉吉の大ファンの妹が、「旅に持って行ったら」と言ってくれた。

—旅先だからこそ、また違う形で日本に触れたくなるかもよ。

 妹のその言葉でトランクに詰め込んだ「東京百景」だったが、UAE百景の慌ただしさ、それらをあますところなく目に焼き付ける日々の中で、その本を開くことができる時間はなかった。
 文学界に掲載されてたちまち品切れ!重版!!となった彼の小説を読む前に、彼のルーツとして先にエッセイを読むことは正しい順番に思えたので、
借りた本をお風呂で(これは妹には内緒にしよう、丁寧に扱ったことだし)開き、読んだ。

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 どういう本だったか簡単にいうと、東京の100箇所について書かれた短いエッセイをとりまとめた話で、実はまだ二五までしか読んでいない。

 だってわたしはなにかを書きたくなったのだ。
 そしていてもたっても居られなくて風呂場から出た。

 地球のためのすばらしい物語は、今は書けない。
けれど、書くべき物語、書かれるべき物語でなくとも、

 ぬるっとした煮え切らない文でもいいじゃないかというような気がした。

 だっていまわたしは、なにかをとても書きたかったのだから。

 二五景はやさしくわたしに寄り添ってくれた。わたしは一八の頃に歩いた心細く果てしない夜の青梅街道を思い出した。

 こんな果てしない海のように広大な街で、何者かにならなくてはいけないような気がしていたあの頃。
 夜はわたしにおぶさろうとして、次の信号はずっと彼方にあって、アスファルトを歩いているにも関わらず歩く度に足もとは泥濘んだ。あの頃わたしは女優になろうとしていた。
なんとしても、女優にならなくてはいけなかった。

今の私もまた、器にあわない何かになろうとしているのかもしれない。

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              《モチーフ其の一「東京百景」》

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