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【2021年4月号アーカイヴ】『#Tokyo発シガ行き➡︎』 "その言葉の奥にある碧-後編-"by 月イチがんこエッセイ

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<エッセイの前説>
ハイ。昨日に引き続き「その言葉の奥にある碧」の後編です。
がんこエッセイ、3月&4月号は続き物のエッセイになりました。
この「その言葉の奥にある碧」はデビュー作「蝶番」の最初のタイトルでした(執筆時)。受賞した後も「実はこういうタイトルだったんですよ」と編集者に話しましたけど「言葉の奥の碧」という「碧」が何を指すのか、碧、はつまり形にならない何か全ての言い換えであり「ちょっとタイトルにするには抽象的すぎるなぁ」ということでやはり「蝶番」というタイトルで刊行されました。けれどもこの「うまく言葉にならない何かのエモさ」を「碧」と名付けたことは自分は大変気に入ってまして、いつか使いたいなあと思い、家族、ファミリツリー、そんなテーマのこのエッセイで使ったわけなのであります。

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(こちらも駅前コーポラス。記憶が正しければ3歳の誕生日)

こういうある種スピリチュアルというか、予言的なものを取り扱っているものを、1年とか経ってアーカイヴするときにいつもハッとしたり、
納得したりすることがある。このエッセイに登場するスピリMというのはもう18年来の古い友人でもあるが、彼女の言うこと(彼女が誰かや何かから伝達されたこと)というのはいつも耳にした時は「寝耳に水」の多少の不快感と衝撃、けれど巡り巡って時間が経つと、ああ、そうだったのかと腑に落ちる。

というのもこのエッセイで総じて語られるおばあちゃんのメッセージというのは作家業で財を成して生活をしていこうという(当時は太宰賞の賞金と印税が入る前提で動いていた&2020年に一度店を畳もうかと思う出来事があった)わたしに対して「食いぶちがなくなるから店だけは辞めるな」というもので、わたしはなんだろう、いつも飲食店より小説の方がお金になったから、コロナ渦で飲食店を細々と続けるよりは作家でもう一度以前と同じくらいの仕事いやそれ以上をして店を支える方が妥当だろうと考えていた、
その時は。

↗️(なんかそんなようなことを言ってるわけなんです、ここでも)

しかし、結果2022年の1月8日現在、1年を振り返るに、2021年わたしの身に何が起きたかというと、その真逆、つまりはおばあちゃんの言った通りのことが起きたわけなんである。
つまり自分の一番の収入源だと思っていた小説は収入どころか自家出版となり「宵巴里🌙」を刊行するにもおそらく1000冊刷るとして、それでもざっと100万はかかると思われます。ほら、ゲラにしたり校閲入れたり装画お願いしたり組版したり、いろいろあるでしょ。

で、その「宵巴里🌙」の刊行をなぜこうやってスムーズに準備できたかというと、これ、わたしが店を手放さずに持っていたから、ですよね。

店をやっていたから店を閉めている間も協力金が貰えたわけなんです。
お金を貰いながら店が閉められたから、執筆や引っ越しや映像作品作ったりなんかが、できたんです。つまり1年経った今わたしが思うのは、そのような表現活動をするためにも、お店は職業であり商いとして、きちんと収入源になるようにやっときなさい、ってことだったんだなあと。

やっぱり亡くなっている人の元にはちょっと先の未来の情報が入るのでしょうか。笑。

このエッセイを書いた頃(3月)まさかお店が10月の末までずっと緊急事態宣言で開かないなんて、思いもしなかったもんね。GW明け、遅くとも5月末には動き出すかもと思っていた。


そんなわけでこちらpdf。この前説と照らし合わせて読んでみてくださいな。結構面白いかもしれません。

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それでは次号【2021年5月号アーカイヴ】 "O列33番の女神"へ続く!

< エッセイデザイン/  mumumoon Design>



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