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月曜モカ子の私的モチーフvol.209「何かしらのウイルス」(2019.04.08 アーカイヴ)

当然今日の月モカには「Gifted」やその前後の仲間たちとのいろいろを書きたい。しかしそれを書く前にこれを書いておかないとどうも自分の中で脳内が整理できない。と、いうわけで、Giftedの予期せぬ副産物の話。ベスフレの弟ベスプリ(このたび “ほへ丸” に改名しようと思う)がGiftedの直後から発熱、何と40度の高熱が数日続き、それがあろうことかハイスペック母にうつって母がダウン、さらにはベスフレに感染、というカオスの話である。
                            
現在10か月の“ほへ丸” は、くせ強めの姉のもとに、母(妹)をサポートするためにやってきたかのごとく、手のかからない「よく寝ている」か「よく笑っている」かどちらかという感じの、とてもおおらかな気性の男の子で、日本昔話に出てくる桃太郎とか金太郎とかの穏やかで健やかな赤ん坊時代を彷彿させる雰囲気がある。顔は全体にぼやっとして、我が父曰く「いつも情けない」顔をしている。溶けかかったバニラアイスみたいな感じで、溶けかかったバニラアイスがそうであるように、普段忘れていながら何か気にかかる存在である。


ほへ丸はベスフレと妹と一緒に「Gifted」に来てくれた。
妹の旦那は役者で本番中だったため、ワンオペで新幹線に乗り2人と一緒に観に来てくれた。こういうことって家族でもそうできないことだよなあと思ってわたしはとても感激した。だって子供を2人、一人で連れて帰るってすごく大変なのだ。まず自由席じゃないとダメだし(指定席だと2枚取らないといけないし高くつく)、移動の間、トイレにだっていけないのだ。妹は実は4/1には東京で午後取材があったためトンボ帰り、子供達はわたしのハイスペック母が数日面倒を見て、4/5金曜に、わたしと母で2人の子供を連れて東京へ帰る、そんな予定だった。
                            
しかし3/31の夜から“ほへ丸(ベスプリ)” が発熱、4/2はまだちほさんが滋賀にいてくれたので、ちほにベスフレをみてもらって、母と一緒に“ほへっち”を病院へ連れて行く。(ああ、時の流れの不思議さよ、今から20年前、所沢にやってきたベスフレの母である妹はまだ10歳くらい、これまたちほさんに預けてわたしはバイトへ行ったのである)
4/3、“ほへ”の熱が下がらないまま、ハイスペック母が発熱し出す。その日ちほさんが東京に帰る日で、東京の人たちの中で今滋賀のホットスポットになっている「ラコリーナ」に行く。ラコリーナはクラブハリエの本社があるところ、わたしのいとこがクラブハリエのパッケージデザイナーなので、彼女に案内してもらう。
最後ちほさんを野洲駅に送った時、母に体調はどうか聞くと、「あまり良くないが、ベスフレとほへと、もう寝てしまいます」とのこと。

(⤴︎ いとこがパッケージデザインしたリーフパイ。ラコリーナにて)
                            
家に帰ろうか? と聞くと予定通りおばあちゃんの家に行って欲しいと。
祖母は90歳、隣接する家に、これまた月モカで紹介した頓狂な叔母が住んでいるので一人ではないが、その日はわたしが祖母宅に泊まっておばあちゃんと過ごす予定になっていた。4/1の撮影のデータをGngさんが送ってくれるということで祖母宅に着いたら叔母の家のwifiを借りてそれらをDLしようとしていた矢先に母から「何か38度に熱が上がって歩けない」と電話。
「え!?」

                            
そんなわけでちょうど帰宅した例の叔母にタッチアンドゴウで送ってもらい自宅までUターン。(車で30分くらいかかるのだ)
バスがあったのだが、叔母がすぐに送ってくれたので予定より30ぷんほど早く着いた、その30分が心底助かったと思った。なぜかというと、

                            
家に着いたとき、家は何となく薄暗くて「ほへくん」が寝ている寝間に、虫の息のような「ほへくん」と、身動きが取れないままうなされる感じで寝ている母がいて、
リビングに入ると、ベスフレは硬い表情で塗り絵をしていた。
「ただいま」というと、こちらをチラッと見て、それから、なんてことなかったように、塗り絵を続けた。

                           
「ごめんね、怖かったし心細かったでしょ、えらいね、ずっと二人を見てくれて留守番しててくれたのかな」
そう言ってベスフレを抱っこする。
「ばっば、どんな感じだった?」
                            
わたしがそう聞くとベスフレは首を振って何も答えない。
「モカちゃんに心配かけないように内緒になってる?」
そう聞くと、そうではないと首を振った。
「そっか。何があったのかな」
膝に乗せてそうたずねると、ベスフレは小さな声で、
                           
「ばっば・・・歩けなくなっちゃった・・・・」
と言って、大粒の涙をポロポロこぼした。

                            
小さい体でこの家に必死に灯をともし、ベスフレはわたしを待っていたのだ。毅然としているために、きっ、と口を結んで、薄暗い部屋で塗り絵をしながら。

                           
「そっかそっか、ばっばが具合悪くなるなんてすっごい怖いね、モカちゃんでもばっば倒れちゃったら心細いもん」

                            
でも大丈夫、モカちゃん帰ってきたからね。

                            
ベスフレから灯を受け取って、わたしが少し大きく灯す。
                            
もう大丈夫だよ。

ベスフレはしばらくわたしの膝の上で泣きじゃくっていた。泣いていいんだよ、子どもなんだから。しっかりしなくていいんだよ、まだちっちゃこちゃんなんだから。

                            
いつもはハイスペック母が凄まじいスペックで我が家だけでなく祖母宅や大叔母の施設、東京の娘たちをも、その大いなる灯で照らし続けてくれている。その灯がふっ、と小さくなるのは大人のわたしでも心細い、
まして小さなベスフレには、この家に広がっていく夕闇が、ちょっとでも隙をつくると大口をあけてペロリと全部を飲み込んでゆくような、恐ろしい気配として迫ってきていたのだろう。
子供ってとても賢いし、いろんなこと全部わかっている。
でも小さいからいろんなことできないし。
暗いから電気つけたくてもスイッチ届かないし、
モカちゃんに連絡したくても、電話かけたりできないし。いろんな不具合を、全部わかっているのに耐えるしか選択肢がない。

                            
その日はベスフレと一緒にお風呂に入って「ママがもんだい」という絵本を読んで一緒に眠った。

                            
ハイスペック母はそこから6日間熱が下がらず、
ベスフレが2日後に発熱、5日金曜にベスフレだけ連れて東京へ帰るのも難しそうということで神楽坂ワインバーを休ませてもらい、滋賀にとどまる。(オーナーの理解に感謝!)
ほへ丸が4/5の深夜に再び40,5度の高熱に達したため、
妹と連絡を取り、4/6に仕事をいろいろ調整して妹が東京から戻ってきた。(妹の仕事の多くに著名なアーティストたちへのインタビューや取材があって、それらは多忙を極める先方のスケジュールが最優先、個人的な事情でのリスケは叶わない)
そんなわけでこの土日は妹と二人だったので、少しづついろんなことが回り始める。

(⤴︎朝、馴染みの公園にモスリムの花嫁さんが🌸✨)

4/3から4/6まで丸2日半ほど、ワンオペ育児(かつ子供たち発熱)というのをやってみたのだけれど、世の中のすべてのお母さんの前にひれふして敬いたい気持ちになった。
なおかつ、頑張れば意外とわたし2人見れるじゃん、という小さな自信も生まれる。笑。水商売を辞めて少し体が元気になってきたかな? 黄砂にやられて顔中腫れてるけど、熱ないし、うつってないし。笑。
中でも、ベスフレは赤ちゃんの時ずっと子守していて特別な絆があるのだが、「ほへ丸」こと「ベスプリ」とは、あまり時間を一緒に過ごせていなかったので、ほへっちを看たこの数日間は、一つの宝物の時間となった。

                            
4/6から”ほへ丸”の熱はどんどん下がり、はいはいなどもできるまで回復した。妹が帰ってくるまでの数日、健康だったのはわたしと猫のサクラだけだったので、サクラとの絆も深まる。動物が苦手なわたしだが、ずっと母とほへの寝間でじっとしているサクラを見て「心配だから見ててくれるんだな」ということはわたしにもわかって、少し共同体として意思疎通ができるようになった。


昨日の夜、妹の旦那が車で迎えに来て、今朝、公園の桜と少し戯れたあと、
妹一家は東京へ帰った。子供たちの体調は随分良くなったので車が一番良いだろう。ついでわたしも新幹線で東京へ。
みんなが帰った家で、母が少しゆっくり休んでくれるといいなあと思っている。

                            
父は、去年から重要な仕事が増えて大変なんだけど、ご飯とかも全部自分で勝手に作って食べるので、えらい人だなあと思った。母がダウンしてるからってわたしに作らせたりもしない。「ご飯用意しようか」という電話をかけた時、父はその意図さえ分からず、何の電話?という感じ、いやご飯を・・・というと、そんなん全く気にせんでええ、勝手にやる!とのこと。

しかしその「勝手にやる」にあたり父が脳内に描いていた(あの戸棚に入っているチキンラーメン)は、すでにベスフレが元気な時に全部食べてしまっていた。笑。がーん、父凹む。笑。
                            
昨日洗濯を干そうと2階に上がったら、父の寝室のガラスの棚の中に「どん兵衛」を発見。
ははん、置く場所を変えてみた感じね、ここにはベスフレ入ってこないし。

                            
ところで「ほへ丸」のウイルスは、インフルでもアデノでもなく、正体不明であった。そしてなぜかわたしだけ感染しなかった、したとしても微弱だった。
しかし凄まじいウイルスである、ほへと母を、6日間ノックアウトし続けた。一体なんなんだろう?
ベスフレは軽症、やはりインフルの予防接種と関係ある?
でも母はインフルじゃなかったのだ。
そして黄砂やpm2、5の重篤なアレルギーと、ウイルスは共存できないとかいうあれがあるのだろうか、まだわからない、東京に着いたとたん発熱とかするかもしれないけれど。

                            
そんな怒涛の一週間。
Giftedに関すること、明日からぽちぽち上げていきます。

(イラスト=MihoKingo)

⤴︎明日からぽちぽちと書いていますが、2019年4月14日現在、肺炎で入院しています。笑。明日の月モカをお楽しみに。

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