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【2021年8月号アーカイヴ】『#Tokyo発シガ行き➡︎』 "勝者は追い込まれる"by 月イチがんこエッセイ

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↑内容を少し抜粋してみました。このスタイルのコピペ、初めてやってみたんだけどうまく機能しているだろうか。

pdfデータはこちら⬇️
DLしてそのままでも、プリントアウトしてでも。プリントアウトされる方は出力時に「レイアウト」を選択しa4に4ページくらいプリントできる設定にするのがオススメ。わたしはゲラ直しの時、そうしてます。

<前説>
前説、なのか後説、なのかわからないけれどオリンピック真っ只中の8月号だったので良くも悪くもわたしの生きているうちの東京オリンピックはもう来ないだろうと思い、人生のアーカイヴとして東京タワーを表紙にしました。

タイトルからもあるように「追い込まれる勝者」を多少自分になぞらえて、自身にはっぱをかけるようなエッセイになってる。
このとき壷井さんに編集に就任して頂き最初の改稿の真っ只中で、結構必死な日々を送ってた。(このnoteをマメに読んでくれている人にはわかる通りその改稿原稿はその後丸ごとボツになる)

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なんかこの頃じぶんは「失ったなにかを死ぬ気で取り戻さなければならない」というような感じに追われていた気がして、それは何ていうか「最も売れそうだった時に売れようとしなかった自分への叱責の気持ち」
みたいなことだった気がするんだけど、
今の自分はそういう気分にはない。

なんか今のわたしは「いや別にその時全力でやっていても、別に吉本ばななとか村上春樹とか江國さんみたいには売れてなかったのではないか」
と、さらっと思っている。

↑今週の月モカを読んでもらえたら今の自分のなんかフラットな感じが伝わるかもしれない。

でも同時に思ったのは、何だろう2020年4月〜2021年12月までの、怒涛の執筆が「やるところまでやった感」というか「勘を取り戻した」というか、現場の臨場感に感覚が戻ったというか、つまりはリハビリになったのかなあって思ってる。1000枚とかの原稿、書き直しを全部カウントしたら2000枚とか?の原稿を書いて書いて書いて書いて、それが全部ボツになったということが、こう、お焚き上げ感というか、
何かの執着やこだわりを焼き尽くして灰にした感があって、今のわたしは座標0、自分を追い込まれている未来の勝者だとも思わないし、
ようやくゼロ地点に戻ってきたのだなあ、って感じを受けている。

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だから人間は、人間はというより少なくともわたしには「気が済むまでやる」ってことが必要なんだと思った。何かを手放すまで、とことん執着している時——例えばわたしが愚かだった数年を取り戻したい!と強く思ったとして——それが端から見て多少執着的に見えたり必死にみえたり、エモ痛く見えたりしても、それはやっておいたほうがいいんだなって。
だってエモ痛く「勝者は追い込まれる」とか言って自分を奮い立たせるという出来事を通過しないと今のフラットなわたしはいないのだしね。

店を始めた頃の自分も今から思い返せば滑稽だったなとか思うこといっぱいあるけど、滑稽さを避けてスマートさばかり追求していたらわたしの人生は小ぶりになってしまうんだし、まあ大切なのは今だから、
それでいいのかな。

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そんなわけで8月号アーカイヴでした。
次号は【2021年9月号アーカイヴ】 "わたし凡人"
追い込まれた勝者が次号では凡人に!笑。ではお楽しみに!

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