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月曜モカ子の私的モチーフ vol.180回「Let it be」

ここ7日ほど“Let it be” なライフスタイルで日々を過ごしている。と、いうのも8/6の退院後、すぐに日常に復帰したのだが、なんだかんだと体調が芳しくなかったので、いろいろ考えた結果、9月の予定を全部ばらして滋賀で静養することにした。
                           
すべてがまさに”そういうこと”なのだろうと思うのだけど、自分が勝手に最短で日常復帰しようと思うから、退院後数日後あたりにもともと入れていた予定なんかは(もうこのあたりには大丈夫だろう)と勝手に思っていたのだけれど、実は全然体調が読めなくて、よくなったかと思えば発熱したりして、8月はなんか、もともと入っていた予定を、ハラハラしながら遂行したり、「ごめんなさい」と言ってリスケしたりして、実際心も、落ち着いて休養というわけにはいかなかった。

                          
(だからホントにそういうとこ全部なんだよな・・・)

                           
とわたしは改めて反省して、9月はもう実家にこもることにしたのである。
緊急入院して原因不明の症状で10日も入院していたのに、
退院してまた入院前と同じ生活に戻そうとしていては、体もストライキを起こすというものです。なんで入院させたかわかってませんね、そういうとこですよ、と体に言われている感じ。

昔から割と、人の頼みとか誘いを断れないタイプで、もともとパツパツに入っていた予定の隙間にでも人から「会えない?」みたいな連絡が来ると、なんとかしてこたえようと知らず知らずすこし無理してしまうタイプで、
“なんとか調整しよう”としてしまうのが反射神経みたいになっている。

                           
多分、いろんな生き方を変えなくてはいけないから入院したのだろうに、すぐに日常に戻ろうとして症状がぶり返したりしているので、9月は思い切って休むことにした。 “かさぶた”がまだちゃんとできてないのに剥がしては膿んでるみたいなことになってるなあと思い、まだ“かさぶた”だったらいいけど、ここでの些細な無理が、何か大きなことにつながっても怖いから、思い切ってゆっくり休むことにしたのである。

                           
そこで先週1週間、ようやく予定もないもない中、体調もまあまあ悪くはなくって、つまり「具合が悪くて寝ている」のとは違う過ごし方ができる7日間だったのだが、そういういつもと違う暮らしをしてみて感じる事って、本当にたくさんあった。

                           
まず「休む」って難しい。いろんな事に精神的にもスケジュール的にも追われずに、深いところまで心身を休めるために長期休暇をとっているのに、何もせず1日が終わると、何か悪い事をしているような気持ちになる。
多分まだ体調が万全でないから気圧の関係で心臓が重かったり、やろうと思っていることができずに終わったりするのだからそんな日はダラダラしてればいいのに、何か自分が“怠けて”いるような気持ちがする感じから抜け出せない。

                           
あと、予定を入れないようにするのもわたしには結構大きな課題なのだと知った。自分からは入れない。でも例えば小さな「お姉ちゃん今日夜何してるのご飯でも」というのに始まって「ちょっと**を頼みたいんだけど」とか「来週舞台の本番です」とか、たとえばそれ以外にもバイトで人手が足りなくて困ってる日があるようなグループLINEを見たりとか。
思わず「なんとか調整」しようとしてしまう。
わたしはまさに「なんとか調整」病、及び「無意識レベル無理しがち」病なのである。深刻な病状は、体よりまさに生活習慣となってしまって細胞に刷り込まれているこれだと思った。

                            
“ちょっと頑張れば“ やれる、というそこがダメなのだから、まず土曜バイトのワインバーは”ちょっと頑張れば“を想定に入れずに休ませてもらうことにした。

                           
そして休みをもらっているのだからこの一日は何か有益なことーー執筆とかーーを家でしようとか思うのもやめることにした。
丁度ここのところ台風がなんどもきていて、その気圧や気温の変化でも体調が悪くなったりして思いのままにはならないので、とうとう途中からわたしはもう全ての「自己管理」を放棄して“Let it be”することにしたのである。

                          
「こうしなきゃ」とか「こうしよう」とかを全部捨てて、毎日心の赴くままに過ごした。「映画が見たい」と思ったら一日中映画を見たり、ある日は取り憑かれたように何かを書いたり、ある日はとにかくボーッとしたり。
申し訳ないのだけどlineとかもいつも相手のタイミングに合わせて返すのだがしばらくそのまま既読のまま置かせてもらったり。

そしてそうやって体や心の声を起点とするフィーリングに委ねていくと、実は意外と日々が回るのだということを新しく発見した。
Let it be 方式は、一見偏った生活に見えるのだが、
それらの平均をとると実はやりたい、そしてしなければならないことを、ちゃんと終えられているのである。
(そして罪悪感と残尿感もない。笑)

もちろん日常に復帰したら、働かなくてはいけないわけだから当然気の向くままに、なんていかないのだけど、とりあえず今からひと月はそういう風に過ごそうと思っている。

                          
「そんなにゆっくり実家で親御さんと過ごすなんていうこともさ、通常だったらなかなかできないことなんだし、ある意味人生におけるとてもいい機会だと思ってゆっくりして来なよ」

                           
そう言ってくれた人がいて、そうやって考えてみると、そんなような休暇を取ったことって、今から考えてみると26歳で働いていたClubを突然辞めた時にさかのぼるわけで、あれはもう15年近くも前のことになるのであった。

                           
働いていたClubでは金曜に休むことが絶対許されなくて、金曜というのは仕事が最も忙しい日だったのだけど、辞めたその日だったか次の日が金曜日だったから、当時一緒に住んでいたナオミと一緒に焼き鳥を食べに行った。

                           
その時“今日は金曜日なのだ。だけどわたしはこうして雑踏の中でナオミと焼き鳥を食べている” というのがなんだかとても奇妙でそして不思議な感じがした。

                           
その時に思った。金曜日に焼き鳥を食べてはいけない、というのは、わたしの人生に定められたルールじゃなかった。そして同時に金曜日に休みが取れない暮らしというのを選んでいたのもまた自分。自分は自分が選んだ人生に縛られて身動きが取れなくなっていたんだなあと。


                           
次の週には、妹のあやめっくすが住んでいるロンドンへ遊びに行った。その時も思った。仕事があるから海外にも行けない、って、いったい誰が決めたのかしら。それも元を辿ればわたしだったのだと。
当時のわたしは小さな世界に縛られてしまうところがあった。“たかがバイト先” であるはずの小さな世界のヒエラルキーや価値観や人間関係やルールすべてに。
                           
もちろん人は働かなくては食べていけないのだから、当然みんなが遊んでいる時に仕事をしたり、皆するわけなのだけど。
15年前のわたしの課題はそんな感じだった。

                           
今回のわたしの課題はなにか。
それは漠然とだけどフリーランスという生き方についてではないかなぁと思う。
それは言い換えると「時間の扱い」である。
フリーランスという仕事には保証もない、ボーナスもない、有給休暇もない。安定もない。社会的な地位もない。家も借りにくい。けれどもその代りにカスタマイズと自由がある。わたしはその自由を、Let it beな暮らしができる特性を、
ちゃんと生かせているのか。

                          
「時間をどう扱うか」これは大きな課題である。
若さと体力でそれをまかなう時代が終わったわたしがいるとして、ならばわたしは、わたしの自由を、どう日々に生かしていくのが良いだろう。
                           
それすらもきっとLet it be、なすがままに、あるがままに、
おそらく来月の今頃には、何かが見えるだろう。

           <モチーフvol.180「Let it be」/ 絵=Mihokingo>

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