ふたりの女子高生のはなし

『リズと青い鳥』その感想

響け!ユーフォニアム、特別編の上映おめでとうございます。アンコン編とっても楽しめました。アンサンブルをじっくり聴く機会は少ないので新鮮でよかった!

そしてその勢いで、賛否分かれるとの評判を耳にしていた『リズと青い鳥』も観ました。ひとくちには語れない、大変良い映画でした。スクリーンで観るべきだったなあ……!
この作品は「吹奏楽と女子高生」というテーマからは少し離れた、希美とみぞれというふたりの女子高生のお話であるなあと思ったので、元女子高生としての所感を書き残しておきます。

希美の驕りと、そのリアル

希美とみぞれはどこか主従のような関係で成り立っている友達でした。希美はみぞれの手を引いて前を歩く立場、みぞれはその後ろを自ら望んで付き従い歩く立場。希美はその立ち位置にあまり疑問を抱くことなくここまで来たのだと思います。友人だけの関係なら、ずっとそのままだったかもしれない。
でも、みぞれにはオーボエがありました。前を歩いていたはずの希美は、気づけばその音に手が届かなくなっていたんですね。何気なく吹奏楽部に誘っただけの子が、自分より上手くなって、ひとりだけ音大への受験を勧められる……正直めちゃくちゃ悔しかったと思います。

『リズと青い鳥』は、リズが青い鳥の幸せを想って彼女を籠から解放するというお話です。希美は冒頭で、これはどこか私たちに似ていると言いました。その時点で希美は自分を青い鳥だと思っており、解放される側だと暗に示してきます。けれどこれは、自分はあなたの愛に束縛されていますよ、と言っているようなもの。それをみぞれ本人に直接言えてしまうその無神経さが、心のどこかでふたりの関係を順位づけしている無意識が、希美という女子高生のリアルです。というか、ユーフォに出てくる子たちはみんないい子すぎます!もっとドロドロしますよ、人間だもの。でもこの作品でその「よごれ」の部分を一身に引き受けているのが、傘木希美というキャラクターなのだと思います。

みぞれの依存、その本心

対して、みぞれは「希美の決定が自分の決定」と言い切ってしまうほど彼女に依存しています。希美が辞めたとき、みぞれはそれを知らなかった。希美が自分の退部を決めてくれなかったから、辞められなかった。希美がいないとわかったあとでも、希美が絶対なら辞めればよかったんです。でもそれはできなかった。みぞれは自分が背負うべき「決定の責任」を、すべて周りに押し付けてきたのです。何も決めたくないし、変えたくない。それは責任が伴うし、時に痛い思いをします。ダブルリードの会に頑なに参加しなかったのも、興味がないのではなく、痛い思いをしたくないからです。

そんなみぞれを少しずつ変えたのは、後輩の梨々花ちゃんでした。卑屈のかたまりだったみぞれは自分自身を少しも肯定していません。実力が希美を上回ってきたことに気づいても、絶対にそれを認めません。それは「希美の求める自分」の姿ではないと思っているからです。希美の背中を追い続ける自分でいたいとずっと願っている。だから音が窮屈で、曲の解釈も噛み合わない。けどそんなみぞれを、梨々花ちゃんはやわらかく受け止めて慕っています。良い意味で鈍く、偏見がない。突然コンビニのゆでたまごをころっとひとつ先輩に手渡すのは、どこかがちょっと鈍くないとできません(鳥のたまごを手の内にする希美は束縛しているリズの側である、という暗喩にもとれるシーンですが、個人的には、どうしたって生ゴミの出る食べ物を堂々と先輩にあげてしまう、ちょっと抜けてる梨々花のかわいいシーンだと思っています)。そしてそれが、みぞれをそのまま受け止める彼女の懐の深さでもあります。
希美と梨々花は対照的です。引っ張っていく人と、待っている人。みぞれにはそのどちらもが必要だったのではないでしょうか。希美とは違うやり方でそのままの自分を見てくれる梨々花は、みぞれにとっても良い刺激だったと思います。

希美とみぞれ、リズと青い鳥

『リズと青い鳥』は、籠に捕らえた青い鳥を放してやる物語です。鳥籠を持っているのはみぞれで、そこに捕らわれたのが希美。その解釈は、決して間違ってはいません。お互いの友人関係は実際、そういう窮屈さがあったことでしょう。
でも彼女たちの音楽は違った。希美の持つ鳥籠に捕えられたみぞれの音楽はとてもいびつになり、その埋めようのない実力と情熱の差は、彼女たちの関係をもゆがめてしまった。希美はみぞれのオーボエが好きだと、大好きのハグではっきりと伝えています。だからこそ、悔しくても怖くても、みぞれから彼女自身の音楽を取り上げることはできなかった。籠の中に閉じ込めておけばいずれ失われてしまうその大好きな音を、希美は愛ゆえに、解放します。ソロパートのリードをみぞれに委ね、それを支える立場になる。自分の実力不足を認めること、みぞれが自分のそばから離れてしまうのを容認することで、希美もまた、自分自身の音楽と向き合うことができたのだと思います。

彼女たちが「みぞれがリズで、希美が青い鳥」と確かめるように口にするシーンがありました。その関係性はきっと、希美が吹奏楽部を一度辞めたときに変わってしまった。お互いの今の気持ちに対する清算が必要だった。それこそが『リズと青い鳥』の主題であるように感じました。
そしてこれは、再構築の物語でもあります。希美は自分の人生を、みぞれは自分の音楽を、それぞれが選びとって積み上げていく。その上で彼女たちは、もう一度よき友人としての関係を築いていくのです。

ふたりの「女子高生」のはなし

今作が他のユーフォの話と一線を画するのは、「音楽があって人間がいる」のではなく、「人間がいて音楽がある」という部分であると思います。吹奏楽部にどのように人が関わるのかではなく、希美とみぞれというふたりの女子高生がいて、そこに音楽があるという話です。彼女たちの生き方、選択、個性それぞれに、切り離せない音楽という存在がある。時にゆがみ、悩み、傷つけてしまうけれど、ふたりの音楽を通してお互いを理解し認めていく。いびつに同化しかかった友人関係は、音楽を通して氷解する。
希美が自分をリズだと自覚したとき、彼女の中には耐えがたい喪失感があったと思います。自分の驕りや自尊心に向き合い、勝手な振る舞いを「自分勝手だ」と認めることは、勇気のいることです。優子は「みぞれを振り回すな」と怒りますが、進路が決められなかったり、みぞれの持っているパンフレットを見て音大を受験すると言ったり、状況に振り回されていたのは希美も同じでした。頑なな性格のみぞれと違って、希美は自分の軸をどこに置けばいいのか、わからなくなっていたのだと思います。

わたしは中学生の時分に吹奏楽部を経験しています。弱小でしたが、思春期の女の子が20人も集まれば、まあ色々ありました。それは高校でも、強豪でも同じだと思います。個人的な感想ですが、17歳の女子高生として一番リアルな姿をしているのは希美で、現実にもありそうだなと思うのが希美とみぞれの関係です。
久美子と麗奈、優子と夏紀のような関係は対等で理想的ですが、誰もがあんな風に、素直に誠実に生きられるわけではありません。あすか先輩のように、誤解を受けても芯を強く持てる人ばかりでもない。希美もみぞれも、どこにでもいる普通の、少し弱いところのある人です。特に希美は、音大を勧められるでもなく、受けるでもなく、高校を卒業したら何者でもなくなるただの女の子です。
学校の部活というのは特殊な環境です。(中学からの)6年間、大事な青春を捧げた吹奏楽部は、卒業と同時に消えてなくなります。そこでは一目置かれる実力者でも、学校の外に出たら何者でもない。趣味で音楽を続けることはできますが、10代の6年間という絶対に覆せない時間の縛りの中でやったことと同じものは出てこないでしょう。卒業したらそれでおしまい、の自分を受け容れるのはそんなに簡単なことではありません。それだけの努力を積んできたのです。それだけの時間を費やしてきたのです。
みぞれの音楽は、言うなれば「全国大会出場」を決めた金賞です。けれど希美のフルートはただの金賞、ダメ金だった。それでも本気で音楽を続けたいなら助言なんかなくても音大を受験すればいいのでしょうが、そこまで強くあれるわけでもない。嫉妬があっても仕方ないと思います。そして妬み以上に、みぞれのオーボエが好き、という気持ちが希美の本心です。それを自覚して受け容れる彼女は、決して軽蔑されるような薄情な人間ではありません。常に実力主義に晒される部員の「弱さ」が、希美という存在なのだと思います。

おわりに

希美が音大の受験をやめると言ったあとから終わりまで、ずっと号泣しながら観ていました。みぞれからの大好きのハグに戸惑う希美が、他になにも返せないのに「みぞれのオーボエが好き」とだけはっきり伝えるところが、泣けました。彼女たちの友情に一番大切だったのは、出会いでも今までの関係性でもなく、お互いの音楽への尊敬だったのですね。尊敬とは愛であり、愛ゆえにそれは尊重されます。きっとこれからは、希美のちょっと勝手なところも、みぞれのちょっとめんどくさいところも、大事な友人の個性になっていくのだと思います。ふたりは自分の進む道を、自分で選び取ることができたのですから。

才ある人を羨む気持ちは、誰にでもあります。3年生編が楽しみです!

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