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先入観に立ち向かう言葉

私は、学校が嫌いだ。

走れば遅いし、投げれば飛ばない。つまり運動音痴なのである。そのうえ、空気を読む能力が低いので、集団行動の集大成である日本の公立校にことごとく向いていないのである。

でも、学校に通う以外の選択肢を与えられず、なんとか日々をやり過ごしている。

私は、担任の先生が苦手だ。

給食は完食するのが好ましいと考え、グループで全員が食べられるのを目標とさせる。授業が終わらないと休み時間を削った。つまり連帯責任にしたのだ。給食以外にも、自分の理想とする教育をするために集団の力を使った。

しょうがないので、食が細い私も必死で給食を完食した。しかし先生は、どんなに給食をがんばって食べても、集団生活で浮きやすい、つまり私のような生徒は好ましく思っていないのだろう。

私は字が丁寧だと褒められることがあったので、習字の授業に力を入れている。1名だけ選ばれるクラス代表になれば、市の作品展に飾ってもらえるのだ。心を込めて書いた硬筆は、最終候補に食い込んだ。結果的に選ばれなかったのだが。

そのとき先生は「〇〇さんは左利きだからね」と言う。
私は左利きなのである。

実際問題、クラス代表の子の方が私より上手であったし、左利きは運筆の問題で「とめ・はらい」が甘くなるのである。しかし、「〇〇さんは左利きだからね」では救いようがないのではないだろうか。何より、どんなに努力しても左利きの人の作品は選ばない、と先入観で決めつけられているようで嫌だった。

その時、クラスの安斎はこう言った。

「僕はそうは思わない」




これは私の妄想だ。

残念なことに、私が集団生活から浮いていた事と、苦手な先生の話は事実なのだが。

安斎とは伊坂幸太郎の短編、「逆ソクラテス」に出てくる登場人物の一人だ。彼はどうやら複雑な家庭環境にあり、転校を繰り返してきた。その環境のせいなのか、本人自体の気質なのか、小学生とは思えない客観的な考えの持ち主。「僕はそうは思わない」はそんな安斎の印象的な言葉だ。

『ソクラテスの弁明』についても知ってている知的な小学生である。

「『自分は何も知らない、ってことを知ってるだけ、自分はマシだ』って、そう言ってたらしいんだ」

伊坂幸太郎『逆ソクラテス(集英社e文芸単行本)』No.292-293(徳永 真,2020)(Kindle)

とソクラテスのいわゆる「無知の知」を胸に、先入観で人を決めつける周りの目からサバイブしてたに違いない。

そんな安斎が先入観で生徒を評価する担任の久留米先生を「逆ソクラテス」と呼んだ。

「逆ソクラテス」は、主人公の“加賀”目線で描かれた、小学校の思い出の物語。

安斎は、久留米先生の態度により、クラスの人から見下しても良いと思われてしまった草壁を救いたい。そうすることで、同じ目にあってしまうだろう他の子どもたちも救えるだろう。そのために作戦を立てる。

加賀は、そんな安斎の作戦に協力することになった。

この短編集は普通の小学生が主人公。学生という逃げ場のない狭い世界で出会ってしまう理不尽さに、クレバーで魅力的な友達、先生、親達に道筋を照らしてもらう物語だ。私も小学生の時にこんな人たちに出会えていたら、学校が好きになっていたかもしれない。

「私はそうは思わない。左利きだから、とめ・はらいを人より気をつけて、今の私よりもっと綺麗な字を書けるようにします。」

私は安斎にならって、心でそう念じることに決めた。もちろん硬筆だけではない。これからも幾度やってくる先入観という敵に、「私はそうは思わない。」と念じることで立ち向かうのだ。

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