朝が起きれないと嘆くこと

夏、真っ盛りだ。気温が30度超える日なんてざら。毎日が暑い。

外に出て日に少しでも当たると、うだるような熱気を感じる。そのせいか体力の消耗が早くなっているような気がする。

そうすれば疲れて夜ぐっすり眠れるようになるかと思いきや逆。エアコンをつけた部屋のなかで寝ようとしても、なかなか寝付けない。

体力が消耗しているのか。はたまた精神的なエネルギーを消費しているのか。

精神的な疲労感がひどいときは眠りにくい。昔からそうだった。焦りや不安、傷ついた気持ちを持っていると、思考ばかりがぐるぐるして寝付けないのだ。

でも身体は睡眠時間を欲している。寝つきは悪いなりにも、一応眠ってはいる。

だから朝起きようとすることがものすごく苦痛になる。

最近すこぶる寝起きが悪い。身体が本当に動かない。起き上がる気力が出ない。

まるでなにかのかたまりになったみたい。腕と脚は自分のものじゃないみたいに、ひたすら重力に引っ張られる。

心の中もひどい。しんどい、しんどい。いやだ、つらい、だるい。でも起きなきゃ、でもしんどい。そんな声が響く。

いつからだったろう。朝起きるのがしんどかったのは。
思い返すと、ずっとそうだったように思う。小学校の高学年あたりからか。そうなるとかれこれ20年以上。

それから年々辛くなっていった。とくに社会人になってからは辛かった。ほぼ毎日、朝は絶望と共にやってきた。それでもなんとか身を引きずり出して起きて、身支度を整えて出社していた。

そう、なんとかやっていけると思っていた。コロナ禍になって世間が動転しても、日常はだからといって待たないしそれなりの対処をしながら日々を過ごした。

まさか自分自身が壊れることになろうとは。身体が悲鳴を上げた。ひたすら痛い。夜も眠れない。何日も寝れなかった。何度オールナイトしただろう。時々うつらうつらできたときすらありがたかった。

はっきりとした理由はわからない。医者やカウンセラーは長年のストレスだと言う。最初は統合失調症の疑いがあると判断された。結局は今、身体症状症というふわっとした病名におさまっている。

そういうことから考えると、今は朝起きるのがつらいほど眠れてるのはありがたいことなのかもしれない。
ただ起きるのが辛い、という反応を私の身体はしているのだ。心もそう。朝起きて生活する。そうすることへの反乱なのかもしれない。

入院することにもなった。会社も休むことになった。それからようやく仕事復帰を考え始めた。今はリワークに通っている。

リワークは内容が良いか悪いかは別にして、刺激にはなっている。久しく関わりのなかった人との交流もある。

ただやっぱり決まった時間にまで行かなければならない、その拘束性が私にはとても負荷がかかっているように思える。だから、朝身体が動かないのか。行きたくない、復職という現実から目を背けたい、でも行かなきゃ行った方が良いに決まっているという思い。あたまのなかが矛盾して混乱している。起きれないのは現実に対しての拒否なのだろう。

正直、なにが正しいかなんてわからない。本当は身体の発するとおりにして起きれないなら起きれないなりに、そうしてあげるのが良いのだとは思う。今までそれをしてあげられなかったから。学校も会社も行きたくないのに無理矢理行っていたから。
たぶん普通に生活できてる多くの人とくらべて、朝起きて行動するということがマイナス状態からだから、とてつもなくエネルギーを使う。

世間は甘えと言うのだろうか。でもそう言う人に対しては私は異をとなえたい。
そもそもしんどいという感情や行くのが辛いという時点ですでに頑張ってる。感情や思いを無視した結果が、身体症状なのだ。朝起きれないのももちろんだけど、わたしの場合は頭痛、疼痛と経て今は体感異常、ゼネストパチーとして残ってる。

朝が起きれないと嘆くのはまだしばらく続くと思う。職場に復帰してからも多分続くだろう。
でも、そうなったらそうなったで良いのかもしれない。社会復帰が無理になったら、会社というところに対する執着が薄れるかもしれない。結局のどう転ぶかわからない。

とりあえず今は嘆くだけ嘆いてしまおう。言える人には言ってしまおう。そして自分自身には朝が起きれないほどに自分は日々エネルギーを使っているのだと、自分のことを肯定しよう。
今日もよくやった。お疲れ様。

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