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「また今度」が来ないこともあるんだな


昨年の夏休み、コロナもあって帰れなかった地元へ3年ぶりに帰省した。

地元で過ごすのはたった4日間。
その間、母、地元の友だち、祖父母、いとこ、父たちにできるだけ会えるようにスケジュールを練っていた。


ただ、やっぱり4日間じゃ会いきれない。
わたしは友達と、母、父方の祖父母に会うことを優先した。特に母はコロナや、会わない間に転職したこともあり、かなり心配だったので一緒に過ごす時間を特に長く取っていた。

しかし、やっと帰省!となったときに職場でコロナが大爆発。幸い私はかからなかったものの、持病持ちの祖父母に会うのは気が引けて、
「また会いに行くね」と言ってリスケした。
一番ケアしたかった母との時間を多く取ることにした。


その1ヶ月後、祖父が農作業中に事故にあった。
そして入院、要介護に。コロナ禍では面会も難しく、帰省したところで面会できないという状況になった。
会いたい人やケアしたい人が多すぎてあとまわしにしてしまった祖父母との予定。
当時の私、結構後悔。



何度も何度も山を乗り越えがんばってきたじいちゃん。
でもついに、お別れの日が来てしまった。



お休みをもらって、スーツケースに荷物を詰めて、急いで家を出た。悲しいけれど必ず来てしまうお別れに向けて、必要な買い物をしておいてよかった。おかげで最短のチケットをとることができた。


そんな早く早く、早く帰りたいと焦る気持ちと裏腹に、遅延する飛行機。どんどん乗り遅れるJR。
今はやっと到着の時間の目処がたったところ。
今日は長い1日だったな。


空港で「着いたよ」の電話をかけた時に
「あなたが帰って来てくれると思わなかった」っておばあちゃんが電話越しに言った。
そりゃあ帰るよ。むしろ帰らないと思われていたのか。


社会人になってから必死に遊んで働いて、まわりや自分を大切に生活していた。そんな中、遠くに住む家族だけはおざなりになってもいた。職業柄お盆も正月も仕事だから集まりにも参加できなかった。電話もたまーにするくらい。せわしなく過ごした5年だった。
その間全部が全部大切にするのは難しかったのが事実。でももう少し、家族を大切に思ってることを伝えたいな。知ってて欲しいな。


じいちゃんもうすぐ会えるね。
そんな気持ちの記録。

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