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昼下がり、

 また間違えた。さっきミスをした年度の部分はクリアしたのに。難所を乗り越えた油断か。そもそも大学の専攻名は何故こんなに長ったらしいのか。書き損じた箇所からようやく目を離し、かたいソファーに背をつけた。そうとう力を入れていたのか、体の強張りがとれるのがわかる。詰めていた息を吐き出し、何気なく横を見ると右隣の客と目が合った。どうやら少し前からこちらを見ていたようだった。気まずいので手元の履歴書に目を落とす。また名前から書き直しか。
 もう一度顔を向けると、再び目が合った。
 こういう時、普通は目を背けるものなのではないか。相手の男は微動だにしない。整った顔ではあったが、日に当たりすぎている観葉植物だとか、壁にかかっている辛うじて色だけがわかるアート作品だとか、おしゃべりに興じたりPCで作業をしたりしている無数の客だとか。目を向ける場所はこのカフェにいくらでもあるのに、こちらを一心に凝視されると気味が悪い。こちらが目をそらせないでいると、男はふと目線を落とした。視線の先にはもちろん私がたった今書き損じた履歴書がある。
「職を探していますか?」
高くも低くもないトーンで男が言った。あまりにはっきり言うので責められているのかと思った。平日、天気の良い昼下がり、人入りそこそこのカフェで履歴書を何度も書き直している私は間違いなく、非生産的な人間だった。

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