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KANさんの想い出~①KANさんのアタックヤング

noteをはじめたくなった理由をうだうだ書いてみたけれど、結局のところ、最後に背中を押されたのは、KANさんの死だった。

私とKANさんの出会いは、35年ほど前にさかのぼる。もちろん、直接会ったことはなくて、ラジオを通じてのこと。

私は小学校6年生頃から深夜ラジオを聴き始めた。最初は『斉藤洋美のラジオはアメリカン』という番組。たしか、地元のラジオ局では土曜日の深夜0時から放送していた。週末の0時ということで、深夜ラジオの入門にはぴったりな時間帯。その後、深夜1時の壁を破り、ほかの多くの深夜ラジオリスナーがそうだったように、オールナイトニッポンを聴くようになる。すべての曜日を聴いていたわけではないが、月曜から土曜の帯番組であるオールナイトニッポンがあることで、眠れない夜はオールナイトニッポンを聴きながら寝落ち、みたいな日々が続いた。それが中学1年くらいから。

ただ、日曜の夜だけはオールナイトニッポンのような深夜ラジオがない。地元局も0時から何をやっていたか記憶にないし、1時には放送終了。ニッポン放送、TBSラジオ、文化放送といったキー局にも目立った番組はなく、1時には放送を終えていたと思う。大阪のABCラジオで北野誠と竹内義和が喋る『誠のサイキック青年団』という通好みの番組もやっていたが、それは1時を回った時間からだったし、0時台に聴きたい番組がなかった。

同じ深夜ラジオリスナーだった友人に、そんな話をすると、
「STVという北海道のラジオ局でアタックヤングという番組をやっている。土日も含めて0時からやっていて、特に日曜日はKANという人がやっているけど、けっこうおもしろい。」
という話をしてくれた。

次の日曜深夜、ラジオの周波数を1440kHzに合わせてみる。地元から北海道まで、直線距離でも約1,000kmあるはずだが、意外にも受信状態は良い。周波数周辺に干渉するような地元局や大きな放送局の電波もなく、当時主流のアナログのラジオチューナーでも合わせやすい周波数だった。

聴いてみると、これがなかなかおもしろい。自分で自分のことを「KANさん」とさん付けするのは不思議だったが、まだ『愛は勝つ』がブレイクする前のKANさんが、飄々と語り、気楽なコーナーと自分の楽曲をかけるという自由なプログラム。今でも覚えているのは「すきっ腹に団子」という、プロコル・ハルムの『青い影』という曲の歌い出しが「♪すきっぱら~に~餡団子~」と聞こえることをキッカケに、洋楽の一節が変な日本語に聞こえる作品を募集していたコーナー。投稿された内容までは、今では覚えていないが、なかなかの名物コーナーだった。今春まで放送されていた『タモリ倶楽部』の「空耳アワー」と同じコンセプトで、「空耳アワー」とほぼ同時期にスタートしたことから、どちらが本家かと議論になったこともあったが、KANさんとしては「どちらが先かなんてどうでもいいと思うけど、少なくとも、その番組のコーナーのことは知らなかったので、こちらはこちらで気にせずやっていくってことで、もうこの話は終わりにしましょう」というような話をして、我関せずでコーナーを進めていた。ほかには、当時サッポロビールが売り出していた「WOW」という清涼飲料水がスポンサーについていた「WOW!KANちがい」という、日常に潜む勘違い話を募集するコーナーなど、日曜深夜という静寂を邪魔しない程度のほどよいウイットに富んだ番組だった。エンディングはKANさん自身の曲である『言えずのI LOVE YOU』という曲。これがまた名曲で、クラシックで言うところのラヴェルのボレロとかバッハの旋律を繰り返す手法をうまくポップスに転用したメロディーに、中学生くらいの甘酸っぱい青春入り口の私の心にキュンとくるような言えそうで言えない恋ごころをうたった歌詞が秀逸だった。そして何より、この番組が終わると、他局も含めて楽しい放送が終わり、不毛地帯になってしまう名残惜しさが、この曲の終わりそうで終わらない、でも終わってしまうけれど、この気持ちは終わらないよね、という日曜深夜ならではのセンチメンタリズムがこの曲のよさを引き立てていたように思う。

私とKANさんの出会いは、この、日曜深夜のSTVラジオ『KANさんのアタックヤング』だった。

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