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KANさんの想い出~⑥ロックボンソワでの再会

※本稿をほぼ書き終えたのち、石川県能登地方を震源とする地震が発生しました。震源地に近い皆様におかれましては、今後も余震の発生が予想されていることから、引き続き警戒していただくようお願い申し上げます。また、大きな被害がないことをお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。


KANさんに久しぶりに再会することになった。とはいっても、もちろん直接会ったわけではなくて、ラジオを通じてのこと(①同様・・・)。STVラジオを聴くのも、本当に懐かしい。でも、ロゴが変わっていて、別のラジオ局みたい。当時は、この局舎にあるみたいなロゴだったはず。(画像はWikipediaより拝借💦)

すでにわかりきったことだが、昔のようにAMラジオでチューニングする必要はなく、radikoのエリアフリーやタイムフリーを使えば、クリアかつステレオでPCやスマホで聴くことができる。ありがたいことなのだが、ありがたみはない。もし、中学生のころ、こういう環境があったとしたら、STVラジオを聴くことはあっただろうか。ラジオがきっかけでKANさんを知ることになっていただろうか。おそらく、聴いていないと思う。STVラジオだけではなく、他の遠くのラジオ局も、そもそも地元局でさえ聴いていなかったかもしれない。

また、近年のオールナイトニッポンやほかの番組にも共通することだが、新人ミュージシャンや新人アイドルが起用されることはほとんどなくなっている。ラジオより前に、テレビやネットで売れるようになって、その中でも厳選された人がパーソナリティになっている印象だ。アイドルだったら、グループでセンターを張ったり、朝ドラの主演をするかその次くらいでないと、パーソナリティにはなれない。いわば、ラジオのテレビ化、ともいえるかもしれない。

そうなると、前回取り上げた真璃子や、私が聴いていたところで言えば、当時駆け出しの劇団員だった鴻上尚史や古田新太、ほの暗いイメージのバンド・ECHOESのヴォーカルで作家になる前の辻仁成、奇抜なメイクばかり気になる大槻ケンヂ、オペラ歌手と偽っていた伊集院光、田舎のプレスリーのような田中義剛、女性ミュージシャンで言えば、渡瀬マキ、森若香織、加藤いづみ、橘いずみ、川村カオリといった知る人ぞ知る、的な立ち位置だった若手のミュージシャンやアイドルなどは、ラジオに出てくることはなかっただろう。もちろん、「愛は勝つ」以前のKANさんも、ラジオに出てくることはなかったと思う。(KANさんが、STVラジオという故郷でもない北海道の深夜番組のレギュラーに起用された理由は何だったのか、知りたい。知っている方いたら、教えてください・・・)

約30年ぶりに聴くKANさんのラジオの番組名は「KANのロックボンソワ」。2022年10月16日の放送だった。ZARDの「負けないで」・・・ではなく、その曲の元ネタといわれるDaryl Hallの「Dreamtime」のオープニングミュージックからスタート。ちょうど、バンドライブツアー「25歳」の期間中だったようで、その話題からスタートしたが、コロナ禍でライブ終了後の打ち上げができなかったが、ようやく少人数ならばできるようになってきた、という話。話からすると、コロナ禍でのライブが終わってもホテルの部屋で一人で食事することを、かなり味気なく感じていたようだ。仲間とのコミュニケーションが好きな、KANさんらしい。

数回聴いてみると、なんとなくこの番組の雰囲気がわかってきた。時折、ダジャレやマジボケみたいな笑っていいのか、いや、ここは笑うとこだよね、みたいなKANさん独特の話し口。かかる曲は、KANさんが信奉するBeatlesをはじめとした洋楽から、スターダストレビュー(根本要)や秦基博、SING LIKE TALKING(佐藤竹善)、馬場俊英といった共同で音楽づくりをしている仲間の楽曲、KANさんが好きなPerfumeやきゃりーぱみゅぱみゅの楽曲、逆にKANさんの熱烈なファンであるaikoの楽曲などを織り交ぜ、やはりメインはKANさんご本人の楽曲。番組のコーナーで特におもしろかったのは「デモね、涙が出ちゃうのよ♡」というKANさんのひとりデモ音源を、その曲の誕生エピソードを交えて話すコーナー。私が聴いていたころの楽曲が紹介されることもあり、ファンにはたまらないに違いないコーナーだった。そして、KANさんの聴いている音楽や交流しているミュージシャンが垣間見える「押し入れミュージック」のコーナー。これは、KANさんの自宅にある膨大な音源から、和室の押し入れにある邦楽曲を五十音で順番に、洋室の押し入れにある洋楽曲をアルファベット順に紹介するというコーナー。このコーナーも、そのミュージシャンとのなれそめや思い出といったエピソードがおもしろかった。

30年というブランクがあり、もちろん番組内容も変わってはいたが、根底を流れる番組の雰囲気やニュアンスが変わっていないからなのか、懐かしいという感覚より、久しぶりに帰ってきたなぁ、という印象だった。また、土曜深夜の1時間という、日曜深夜時代のアタヤンと同じ時間帯に、同じくらいの番組の長さというのもあり、心地よく聴くことができたことも、素直に入っていけた理由だったかもしれない。

それからは、毎週聴くようになった。ただ、土曜深夜の0時からの放送だったものの、私の生活パターンの影響でリアルタイムで聴くことは少なかった。なので、radikoのタイムフリーの機能を活かし、週末に録音、月曜の通勤時に聴くというローテーションだった。特に、職場から少し離れた駅で降りて、街並みを見ながら番組のエンディングを迎える、というのが一週間のスタートに、ピッタリだった。中学生時代の日曜深夜の習慣は、社会人おじさんの月曜朝に移り、その心地よい時間がある日々は、しばらく続くんだろうな、となんとなく穏やかな気持ちで思っていた。

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