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KANさんの想い出~⑧言えずのI LOVE YOU

KANさんが、3月18日の放送で、自分の言葉で癌であることを発表してから、「KANのロックボンソワ」はしばらく、4月8日までは以前のとおりの放送が続いた。「ま、KANさんだったら大丈夫、っていう風にみんなが思っていてくれることがとても大きなエネルギーになる、と思ってます。」というKANさんの言葉をそのまま受け取って、KANさんのことだから大丈夫、と思っていた私は、すべては順調に進んでいるのだろう、と掛け値なしで思っていた。

4月8日の放送が終わると、翌週からは代パー(代打パーソナリティ)が続いた。4月15日、22日はSTVの内山アナ、4月29日は河野玄太、5月6日は武田英祐一、5月13日はSE-NOと北海道出身のアーティストが続き、5月20日は再び内山アナ、5月27日は秦基博、6月3日は馬場俊英と、KANさん馴染みのアーティストが代パーを勤めた。そして、KANさんが戻ってきたのは実に9週間ぶりの6月10日だった。発表のあった3月18日の放送で「ぶっちゃけ、3週分くらいもう先録りしている」と話していたことを考えると、3月25日、4月1日、4月8日はその先録りだったと思われ、それも加えれば12週間、すなわちほぼ3か月治療に専念していたことになる。「よほどのことがない限りは途切れずに続く」と言っていた番組が、いきなりこれだけ長きにわたり途切れたことは、今考えればもっと心配してもよかったところだが、「KANさんならば大丈夫。絶対に治って帰ってくる。」と思うのがKANさんの希望に沿うことだと思っていたので、6月10日に番組に復帰したときは、大きな手術が終わって、このまま復帰してくれそうだと、むしろほっとしていた。

その後、KANさんが出演したのは、続く6月17日、代パーを3回挟んで4週ぶりの7月15日、代パーを1回挟んで7月29日(このときは、スタジオではなく、初の自宅録音。少し音がこもった感じ)、さらに代パーを3回挟んで4週ぶりの8月26日、9月2日、9月9日の3週連続であり、KANさんが出演する回数は次第に増えつつあった。特に8月26日からは3週連続の出演だったし、声も張りがあり、一歩一歩復帰に向けて進んでいるように思えた。

さて、3月にKANさんの発表があったころ、本シリーズの⑤で書いた通り、私が中高生時代に聴いていたもう一つの番組「真璃子のオールナイトニッポン」のパーソナリティだった真璃子が、こんな募集をしていた。この番組には、「イエスタデイ・ワンス・モア」というコーナーがあった。このコーナーはそのタイトルにあるように、カーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」にのせて、真璃子の以下のようなコメントで始まっていた。

「誰にでもあるけど、誰にも言えない思い出。そんな思い出を、一瞬にしてよみがえらせてくれる音楽。あなたの中のイエスタデイ・ワンス・モア、よろしかったら真璃子にください。」

このコメントに続き、リスナーから思い出の楽曲のリクエストを募り、その曲にまつわるエピソードを紹介してから楽曲を流す、という、「真璃子のオールナイトニッポン」の看板コーナーだった。

このコーナーを1日限り、彼女のバースデー・ライブで復活させる、という企画を募集していたのだ。真璃子はKANさんと同じ福岡出身ということもあり、私は、そのコーナーにKANさんの曲をリクエストした。その曲は、「言えずのI LOVE YOU」。あの「KANさんのアタックヤング」のエンディング曲だ。中学生のころ、深夜ラジオのエンディング曲だったこの曲を、まだ恋なんてしてないけれど、恋をするとこんな感じなのかな?と思いながら聴いていた、というエピソードとともに、闘病中のKANさんの回復を祈るコメントも書き添えた。このエピソードとコメントは、8月のバースデーライブで紹介された。

紹介されたときは、うれしかった反面、恥ずかしかった。回復を祈るコメントも、病状が思ったよりもよくて、私としてはこれは復帰できるな、と感じていた時期だったので、かえって今さら回復を祈るのも、KANさんの本望ではないかな、なんて気恥ずかしく思っていた。この一件については、KANさん自身は知る由もないが、いつかこんなエピソードを「ロックボンソワ」にメッセージできたらいいな、と考えていた。その後、前述のとおり、KANさんは番組にも3回連続で出演できるようになり、私はKANさんの回復を確信するようになっていった。

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