見出し画像

KANさんの想い出~⑨けやき通りってドコ?!

2023年11月17日金曜日の午前11時過ぎ、私は自宅最寄り駅の上りホームにいた。九州に向かうため、羽田空港に向かうところだった。旅支度が早く終わったので、1本早い電車に乗れると思って、早めに家を出たのだ。

そのとき、スマートホンが短く震えた。
「【速報】「愛は勝つ」KANさん死去、61歳 今年3月にメッケル憩室がん公表」
言葉を失うとは、このことだった。信じられなかった。先月10月7日も「ロックボンソワ」には出演したはず。しかも、その時は、

・これまで治療に専念するために代パーを頼んできたが、夏ころからさすがにこれでは無理があると感じるようになり、月1回放送にします
・第1週と第5週はKANさんがパーソナリティを務め、第2~4週はKANさんと同じ事務所の若手女性タレントが務める

という話をしており、

・今回の放送が978回なので、「いい加減に千回(せんかい)!」まで、週一ならばあと半年足らずで達成できたのに、月1になるとあと一年半くらいかかっちゃう

なんていう、KANさんらしいダジャレまでついていた。
そして、驚くべきことに、この日の放送では、新コーナーまではじまっている。ときどき、ある曲の数フレーズが、グルングルン、グルングルンと長いときは何週間も頭の中を回り続けるんだけど、この曲はいったい何て曲だったんだろう?っていう事象をテーマにした【ぐるんぐるんミュージック!】という新コーナー。さらに、ビックリなことには、コーナー用ジングルまで作っているのだ。(KANさん自身が作ったっぽいのだが、聞いてみると満足いく出来ではなかったようで、自分で「なんかパッとしねぇな」なんてコメントしている(笑))

これだけKANさんは意欲的(というか、いつも通り)だったのに、なぜか、手元のスマホはKANさんの死を伝えている。
どうにもこれは信じられない。受け入れられない。
ピアニストのグルダみたいに「実は生きてましたー」って悪い冗談みたいなオチをやる人じゃないはずなんだけどなー、とかいろいろ考えた。
(※ピアニストのフリードリヒ・グルダは、マスメディアに自分が死去したという偽の情報を流し、世間が騒ぎ始めた数日後に“生き返った”という設定で復活コンサートを開いたらしい(Wikipediaより)。この人のピアノは絶品で、ベートーヴェンのソナタやモーツァルトのコンチェルトは私の愛聴盤。)

東京までの電車の中、そして九州に向かう飛行機の中、手持ちのミュージックプレーヤーに入っていた「野球選手が夢だった」のアルバムを聴くけれど、涙も出てこない。九州に着いてから、一緒に飲みに行った人に「そういえば、今日KANが亡くなったってニュースありましたね。私、初めて買ったCDがKANだったんですよ。」なんて思わせぶりに話を振っても「ああ、癌だったんですよね。」くらいの返事しか返ってこない。かといって、死んだなんてニュース聞いてないですよ、とか、あのニュースはフェイクでしたよ、と言う人はいないから、訃報は真実で、自分の勘違いではないのだな、と思うものの、不思議と悲しくはなってこない。

今回の旅の最終目的地は福岡。帰宅する日の朝、ホテルからけやき通りを歩いて大濠公園まで歩く。「けやき通りが色づく頃」で歌われているけやき通りはここなんだなぁ、としみじみ思うことで、やっぱりKANさんはもういないんだな、と自分を言い聞かせた。

けれど、帰宅後、しばらくして手に入れたKANさんの歌詞集「きむらの和歌詞」のこの曲のセルフライナーには、こう書かれていた。

「福岡市中央区のけやき通りではないかと解釈されることがありますが、当時の私はそこがけやき通りという呼称になったことを知りませんでした。」

えっ?!どういうこと?
KANさんご本人の解説によると、けやき通りとは、東京・世田谷区の駒沢公園通りのことで、おまけに、駒沢公園通りの並木はけやきではなく、イチョウらしい。

ん?!どういうこと?
と思ったものの、KANさんらしいオチ、と思わず声を出して笑ってしまった。

そもそも、私は中学生のとき、初めておこづかいで買ったCDが「東京ライフ」で、その後「愛は勝つ」が大ヒットして、アルバム「TOKYOMAN」で違和感を感じて、事実上ファンを引退していた。それが、遥かなるまわり道を経て、亡くなる約1年前に、またファンに復帰しつつあった、ということ。

なので、まだ、「TOKYOMAN」以降の作品はラジオ「KANのロックボンソワ」でちょびっと聴いただけで、まだまだ聴いてない曲も多い。

「だから、僕が死んだからと言って、君はまだ悲しむには早すぎるよ。だいたい、ロックボンソワも、電車で居眠りしながらじゃ頭に入らないと思うけど。よければもう一度聴き直してみたら、おもしろいと思うけどなぁ。」と、KANさんが言っているような気がした。

少し、心のこりがあるとすれば、KANさんのライブに行ったことがないこと。だけど、それもnoteや他のSNS等で、熱心なファンの皆さんがレポートしてくれている。また、ライブを収録したCDやDVDもある。

とりあえず、無理に悲しむことは、やめた。

KANさんを楽しむのは、これからだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?