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迷い鳥 ふー子との生活


ふー子との生活も長くなってきた頃、
私は結婚し、引っ越しをしました。
名前も聞いた事のない地。 
もちろんふー子と共に。

ふーちゃんは自立した鳥だったので、
何事にも動じない性格でしたが
常に人、犬がいた実家から 日中誰もいない
家への引越しがストレスだったのか
呼び鳴きが酷くなりました…
朝日とともに呼び鳴きをして起こされる毎日
私も慣れない職場、環境、土地の中で
お互い限界でした。
実家にふーちゃんを戻す方が
この子にとっては幸せなのでは無いかと
泣いて考えた事もありました。

そんな時、ふーちゃんが怪我をしました。
大量の出血で美しい紅色の嘴は白くなり
止まり木に止まることが出来なくなりました。

幸いな事に
鳥を専門で見てくれる病院が近くにあり
止血、点滴をしてもらう事で
ふーちゃんは命を取り留めましたが
後一歩遅かったら命が危なかったようです。

ブラックと呼ばれる職場でしたが
上司が鳥を飼っていた経験がある事で
休みや早退をもらう事ができ、
ふーちゃんを連れての出勤が許されました。

「やっぱりふー子のそばにいたい」

何か起きてから出ないと行動出来ないのは
人間の悪いところですよね。

朝の呼び鳴きでは止めるために
すぐに出してしまっていましたが
あえて時間を置きました。
呼ぶ=出られる
という意識を変えるためです。

ふー子が賢い事もあり、
徐々に呼び鳴きは収まりました。

ふー子は本当に賢い鳥でした。


私が帰宅すると自転車の音がわかるのか
家の中から「ピッ」と鳴いてくれました。

おはよう、おやすみにも応えてくれました。

私以外にはキャルルと文鳥らしく怒りましたが
私には決して怒りませんでした。
うっとりと手の中に入り眠るふーちゃんは
私の全てでした。


2022年の12月25日
その日は珍しく夜更かしをしていました。
朝の6時頃まで起きていたはずです。
寝室に戻る前に「おやすみ」と声をかけると
いつもと雰囲気の違うふー子がいました。
じーっと私を見つめるのです。
愛に溢れた、どこか寂しげな表情でした。
今思うとその小さくてキラキラした瞳に
私を焼き付けていたような気がします。

私も仮眠をし、起きて小屋のタオルを外しました
止まり木にふー子はいません。


静かに、まるで眠るように
ふー子は落鳥していました。

実際の年齢はわかりませんが
推定6.7歳のふーちゃん。

私は自分の分身を失いました。

不思議なものです。
あんなに辛かった経験は初めてでした。
心臓の痛みは思い出したくもないほどです。

なのに、思い出すのは
ふー子との幸せな日々なのです。

ふー子の一生は幸せだったのでしょうか。
迷い鳥のふー子はたくさんの奇跡の中
私のもとへ来てくれました。
私はどこかふー子が
私を選んでくれたような気がするのです。

命あるものは
はじめに神様に寿命を伝えられるそうです。
それでもその命として生まれたいか決めるそうです。


ふー子が幸せだったのかはわかりません。
ただ、私は幸せでした。

今でも時々思い出しては涙が溢れます。
ふーちゃんに会いたいと毎日思います。

それでも生きなければ。
ふー子はいつも
そばで見守ってくれるような気がするのです。

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