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『夜の自販機』と無常、そして永遠なる音楽

自販機の隣で ふたりは駄弁っていた
音楽だとか人生だとか そんな感じの話

人が音を織り始めたのは、いつからでしょうか。一説には、音楽の歴史は有史以前から始まっており、その起源は歌だったといいます。

にほしかさんの楽曲『夜の自販機』は、そんな音楽と共に歩む「ふたり」を歌った曲です。私はこの『夜の自販機』という曲に特別の思い入れがあります。私には、この思いを何らかの形にまとめ上げたいという欲求がずっとありました。今回は、その衝動に任せて、「『夜の自販機』と無常、そして永遠なる音楽」と題したささやかな評論を贈らせていただこうと思います。


『夜の自販機』の生まれた時代

夜の自販機がアップロードされた時、季節は冬でした。忘れることはありません。2022年の1月10日。この日から、「にほしかさんの音楽」は始まりました。

2022年は、元号にすると令和四年です。みんながスマホを持っている時代。夜でも街を歩けば、自販機で飲み物を買える時代。音楽が電波に乗って、世界中に配信され、世界中の人がその音楽を聴ける時代。そんな時代に、『夜の自販機』は生まれました。

お話したことを 順に順にふと思い出す
スマホが僕らを照らす 凍てつく暗い朝に

でも、ちょっと考えてみてください。「スマホに照らされる僕ら」というのは、今の時代にしかあり得ないことなのではないでしょうか。少し昔の時代を見てみると、私たちが持っていたのはスマホではなく、例えばガラケーだったかもしれません。もっと昔には、電子機器そのものが存在しておらず、私たちは「手紙」を用いて、言葉を送りあっていました。さらに、未来において、私たちが持ち歩いているのは、現代の私たちには想像もできない新しい機器かもしれません。ここでまず、『夜の自販機』に登場する「スマホ」というモチーフは、この時代特有のものであり、未来には存在していないかもしれないということが明らかになります。

さらに他のモチーフも見てみましょう。「自販機」、「登下校中のイヤホン」、「四六時中ついていたパソコン」。どれも現代特有のものであり、過去には無く、未来にもあるかわからないものです。『夜の自販機』には、そういった、「移ろいゆく時代の中のあたりまえ」というモチーフがいくつか含まれているということです。

『夜の自販機』と「無常」

色は匂へど散りぬるを
我世たれぞ常ならむ
有為の奥山今日こえて浅き夢みじ酔ひもせず

「いろは歌」

ここで私は、日本に伝わるとある歌の内容を紹介しようと思います。「いろは歌」です。

花の色は移りやがて散っていく。
この世にいったい何が移り変わらぬものがあろうか。
すべて移り変わりゆくこの世界で、浅い夢など見ていないで酔ってなどいないで、(本当に幸せなところに)今日こそ行こう。

いろは歌・現代語訳(東京書籍『倫理』より)

「いろは歌」の中では、この世の無常と、それを乗り越えようとする思いが歌われています。このような内容の歌が手習い歌として親しまれてきた歴史からもわかるように、当時から日本人の心には、このような「無常観」が深く浸透していたのだといえます。

先ほどに見た『夜の自販機』における「移ろいゆく時代の中のあたりまえ」というモチーフも、こうした「無常」を思い起こさせるものでしょう。時代は移り変わります。朝でも、夜でも、いつでも稼働して、飲み物を販売する「自販機」だって、気づいた時には撤去されているかもしれませんし、いつか自販機自体が時代遅れになる日が来るかもしれません。

この世界において、移り変わらないものというのは、果たして存在するのでしょうか。

「音楽だとか人生だとか」

音楽を聴いたり歌ったり することが生きがいなんだ
音楽を聴いたり作ったり することが生きがいなんだ

ここで、その移ろいゆく歴史自体に思いを馳せてみましょう。歴史とは、幾多の命が、幾多の人生を歩んできた束のことです。音楽は、歴史上の幾多の人生によって何度も織られてきました。つまり、この世界に人生のある限り、歴史のある限り、音楽は不滅だということです。

移りゆく時代に取り囲まれて、「ふたり」は、何度でも繰り返されてきた「音楽」や「人生」という営みについて語る。移りゆく歴史の単なる一コマとして、また、永遠なる音楽を織りなす「ふたり」として。歴史上で幾度となく繰り返されてきた音楽への憧れ、苦悩。そして「僕たちの生きがい」である音楽。夢を追求する「ふたり」。そういったものを描いたのが、この曲なのだと思っています。

さいごに

この曲は、作者の身の回りでの実際の会話が元になっています。『夜の自販機』の「ふたり」の音楽への憧れは、実在の二人を由来としています。

というのも、モデルとなったこの二人は、僕とも交流のある、大切な人たちで、いや、本当に大好きな二人でして、ですので、今回は全力をかけて、この評論を書かせていただきました。募らせてきた想いを少しでも受け取っていただければ幸いです。

私自身も音楽に携わる人でしたので、この曲で表現されている音楽への愛には非常に強いシンパシーを感じさせてもらっています。この音楽を世に送り出してくれてありがとうございます、にほしかさん。

移り変わりゆくこの世界の中でも、音楽は確かに存在していきます。『夜の自販機』が、永遠なる音楽の中で光り輝き、ふたりを照らし続けることを願っています。では。

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