苦悩研究会

Wir wollen trotzdem Ja zum Leben sagen

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弔おうとする意志

この文章は、私が精神病院に入院していた際、それまで溜めていた全てをぶちまけるために書いた文章です。どうぞお楽しみください。 本文私の思想についてみなさんに語るにあたって、まず、「弔おうとする意志」の概念について述べる必要がある。現在の私の思想の内訳は、概ねこの「弔おうとする意志」の思想で占められているからだ。 この文章では、まず、「弔おうとする意志」とは何かということを、次に、弔おうとする意志の思想が私たちに何をもたらすのかということを述べようと思う。 ちなみに、私は今

    • 身体拘束と生権力、それと人間疎外

      以上の記事を読みました。それからというもの、怒りがぐるぐると私の中に澱み、とうとう普通に大学の講義を受けるための精神の均衡まで崩れてしまったので、この記事ではその怒りを吐き出したいと思います。 この記事では武田という14歳の女性が、摂食障害の診断をきっかけに、精神科病院へと入院する、その体験内容が記述されています。その内容は以下の通りでした。 このような入院生活を経て、武田さんは病院に対して損害賠償を求めますが、病院側は「拘束の中止による点滴の自己抜去、自殺企図、自傷行為

      • 苦しみには意味がある

        幸福主義と生の否定「苦しみには意味がある」といった言説を目にされたみなさんの中には、こう言った思いを抱かれる方もいるだろう。 こういった解釈をされるみなさんの多くは、人は幸せのために生きるのだという立場ばかりを信じている。幸せを善と一体化させて考える。こういった立場は幸福主義と呼ばれる。それも、みなさんが信じておられる幸福主義は、ベンサムを起源とする功利主義や、フロイトをルーツに持つ快楽原則説などの快楽主義をまぜこぜに含んでいるものだ。 この快楽主義は、しばしば苦痛に過ぎ

        • 短編『虚無の息吹』

          意味のない生。幼い頃から僕の恐怖は、そこだけにあった。 世界の苦しみの、なんと鮮やかなことか。血は赤い。耳をつんざく悲鳴を、僕は何度も想像する。人が胸を貫かれて死ぬ時、どのくらい痛いんだろう。 そして、不気味なことに、それら全てに目的は存在していないようなのだ。 痛みとは何か? 「形質」だ。長い長い進化の果てに獲得した、生きるための危険信号だ。さて、その進化の果てに何があるのだろう? 灼熱の、あるいは極寒の、ありとあらゆる痛みの中で、彼らは死んでいった。生を呪い、絶望

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        弔おうとする意志

          美樹さやかと偉大なる絶望

          今日は3月8日、さやかの日です。私は、アニメシリーズ『魔法少女まどか☆マギカ』に登場する美樹さやかというキャラクターが大好きです。私はこの日を機会に、彼女の生を褒め称え、彼女への愛を語っていく記事を書こうと思います。ここで私が描き出すのは、「偉大なる絶望者」としての美樹さやか像です。私たちは彼女のように、自らの宿命のために、その魂を絶望の炎で焼き尽くすことができるでしょうか? 美樹さやかは軽蔑した美樹さやかは、正義の味方に憧れていました。彼女の正義感の背後には、いつも先輩魔

          美樹さやかと偉大なる絶望

          『存在』など

          この記事は、私が高校国語の課題で書いた文章をまとめたものです。 課題図書は以下の三つでした。 暴こうとする力と現代:「ふしぎ」ということ 私たちは世界の単語である:言葉は世界を切り分ける 存在:こそそめスープ 暴こうとする力と現代私は、現代はあらゆる神話が暴かれた時代だと思う。生命にまつわる秘密も、河合の言うとおり「自然科学」によって暴かれてしまったのだろう。たとえば、有力な進化生物学の知見では、生物は遺伝子の乗り物だと定められている。また、心理学のとある知見は、生

          『存在』など

          生をなめつくした世界

          幸せのために生きる。そして幸せになれない生を、その存在の根底から否定する。連中はその生を悔やむ。「こんな生がもしも生まれてこなければ」と。当然のように、そんな横暴がのさばっている。この世界において正当であるのはもはや、生命への侮辱に怒りを燃やす人たちではなく、それを嘲笑する人たちの方なのだ。 神は死んだ。あらゆる神話は暴かれつくし、味のするところはもうなくなってしまった。深海に沈んだクジラの死骸の変遷を見ているようだ。それをしゃぶるのはもはや、微生物のすることだ。 連中は

          生をなめつくした世界

          『夜の自販機』と無常、そして永遠なる音楽

          人が音を織り始めたのは、いつからでしょうか。一説には、音楽の歴史は有史以前から始まっており、その起源は歌だったといいます。 にほしかさんの楽曲『夜の自販機』は、そんな音楽と共に歩む「ふたり」を歌った曲です。私はこの『夜の自販機』という曲に特別の思い入れがあります。私には、この思いを何らかの形にまとめ上げたいという欲求がずっとありました。今回は、その衝動に任せて、「『夜の自販機』と無常、そして永遠なる音楽」と題したささやかな評論を贈らせていただこうと思います。 『夜の自販機

          『夜の自販機』と無常、そして永遠なる音楽