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google翻訳のアレ

google翻訳のアレが話題になっている。
確かにすごいしおもしろいしこれから精度もぐんぐん上がっていくんだろうなと思うけど、コミュニケーションの本質って言語では解決しないから難しい。

もちろんコミュニケーションにおいて言語が担う部分はかなり大きいし、コミュニケーションを取るにはやっぱり相手の言語をマスターするのが手っ取り早い。
外国語をマスターするのが手っ取り早いと言えるかは、また別の話として。
とは言え直訳だとさっぱり意味がわからないということがあるし、そもそも同じ言語を使っている同士でもわかり合えないことがたくさんあるわけで。

直訳だと意味がわからないというのは、わかりやすい例だと日本語の「おつかれさまです」「がんばって」を英訳しづらいというようなこと。
フレーズではなくまとまりのある文章だと、文章の組み立てという要素も入ってくるので、ますますわかりづらくなる。
だから外国語の習得や通訳・翻訳というのは直訳できるかどうかではなく、その言語の含む思想や文化ごと変換できるかどうかということなんです。

そして同じ言語を使っていればわかり合えるかというと、全くそんなことはないわけで。
双方が専門知識を持っていることが必要だったり、相手の価値観に共感できる要素があったり、相手と自分の違いを受け入れる度量があったり、相手の理解度に合わせて話をしたり、そもそも大前提として相手に敬意を払っている。そういう要素が必要であり、コミュニケーションの本質は言語そのものよりもそっち。

わたしは1月からフランスに来ていて、今は言葉がほとんど通じない環境にいるので、言語を早く習得したいと思っているけど、一方で言葉ができなくてもコミュニケーションは取れることもまた事実。
言語でコミュニケーションが取れるようになると、それまで費やしていた無駄な労力をカットして、その分を相手への敬意に割けるようになるし、自分が吸収できるものがぐんと増えると思ってやっています。

例えば英文を和訳したものを読んだとき、元のエッセンスはやっぱり損なわれてしまうんだと思う。つまり自分の普段使っている言語に訳すことができたとして、それは普段の自分の解釈の中でしかないので、新しいものの見方を得る機会を失うことにもなりかねない。

外国語を勉強する必要のない未来はいつか来るかもしれないけど、コミュニケーションの本質を履き違えたまま進んでしまったらそれは本末転倒。
便利なツールは使えばいい(そもそも言葉だってツールだし)けど、使いこなす側にも知恵がないとね。

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