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就活の話

先日、とある就活サービスのインタビューを受ける機会があった。今度記事になって公開されるらしい。

こんな機会滅多にないことだと思うので、忘れないうちに記録しておこうと思いnoteを開いた。ついでに就活についてのことも書こうと思う。


今回インタビューを受けたのは「○○ナビ」等のナビサイトではなく、ダイレクトリクルーティング型のサービスのものである。自己PRとか経歴、希望条件、志望業界を入力しておけば企業の方から「説明会に来てみませんか」「一度お話してみませんか」みたいにオファーが届く、というもの。

私はこのサービスを結構活用していたのだが、今回担当してくださった方曰く「利用してみての感想やどのようにサービスを活用していたか、あとは就職活動の進め方についての話を聞きたい」ということだった。


私は現在大学4年生で、去年の11月から今年の4月にかけて就活生として過ごしてきた。大学3年の夏にサマーインターンに参加、翌年3月に就活解禁、6月に内定が出始める…というのが世間でいうところの「就職活動の流れ」なのだと思うが、私の場合サマーインターンには一切参加していないし、説明会や企業の情報を集め始めたのは3年生の秋~冬にかけてだし、2月には選考にバンバン参加していたし、その上就活が終了したのは4月という少し変則的な就活だったわけである(理由は後述する)。

インタビューの依頼が電話で来たとき、果たして私は向こうが望むような話をすることができるのだろうかと心配になり相談した。「実はこういう事情であまり『一般的』な就活では無かったのですが、」と。すると「そんな話こそ寧ろ聞きたい」という回答。そういうことならとインタビューを受けることにした。

そうは言っても就活からはだいぶ時間が経っているわけで、自分でも改めて自分の就活を振り返る必要があるなと思いESや手帳を読み返してみた。正直もう見たくないものや苦い思い出が詰まっているものもあるので結構気分が沈んだ。

引っ張り出してきたスケジュール帳(左2冊)とメモ帳(右2冊)


就活のこと


自分用に書いていたメモを編集しつつ載せるので読みづらく分かりづらいところも突っ込みどころもあると思うが、ご容赦願いたい。


さっき「後述する」と書いたが、就活の進め方がちょっと変わった感じになってしまったのは簡単に言えば進路を変更したからである。


実は3年生の春の時点では公務員志望だったので、民間企業には一切目を向けていなかった。大学生協が運営する学内の講座に通って公務員試験のための勉強をしていて、6月~9月はただひたすらに勉強漬けの日々だった。8月、9月は大学は夏季休暇期間であるが、講座に休みはほとんどない。平日は毎日朝から夕方まで授業があり、自宅に帰ってその日の復習をして、次の日も登校する、といった感じである。

勉強自体は苦ではなかったし、法律の勉強は楽しかった。講座内で行われる小テストも上位にランクインできるように頑張ったし、なにより勉強にガリガリ取り組む感じは高校生に戻ったようで懐かしさすら覚えた。

そういう事情でサマーインターンに参加する時間の余裕も気持ちの余裕も無かったのだ。もちろん公務員と民間企業を併願し両立させている人もいるかもしれないが、私にはそんなキャパシティは無かった。


今思えばこの時期は完全に思考停止に陥っていたのだと思う。ただただ勉強に追われて日々のタスクを消化することで精いっぱい、という感じ。将来のための勉強をしているのにその将来のことを十分に考えられず、何も見えなくなっていた。


10月になり大学の後期の授業が始まり、講座の授業のペースも落ち着いてきたころ、初めて一度立ち止まる機会があった。ちょうど志望先や自治体について考えていた時期だったが「本当に自分、公務員なのかな?」「やりがいありそうだけど自分が求めてるのがこれなのか分からない」とモヤモヤ期に突入。最終的に「民間企業について何も知らないままでいるよりは、一度情報に触れてみてから決めよう」と決め、講座を受けつつ今までずっと避けてきた民間企業の説明会や情報収集に取り組み始めた。


11月には思い切って一か月講座を休み、先述のサービスでオファーが来た企業を中心に説明会に参加していた。広告、IT、通信、不動産、語学、教育、コンサル、ソーシャルビジネス……と、いろんな業界からのオファーがあったがスケジュールの都合がつく限り説明会や面談には参加するようにしていた。自分はただでさえ周りの人よりも就活のスタートが遅いんだからと、その差をできるだけ埋められるように、自分の世界を広げられるように、自分の将来をちゃんと自分ごととして考えられるように。気づいたら予定はパンパンで、当時のスケジュール帳は真っ黒だった。 

12月には公務員講座を解約した。民間企業志望への完全な方向転換である。


説明会終わりに見つけたクリスマスのイルミネーション


昼ごはん何食べようって考えるのは就活中の数少ない楽しみの一つ。ムシャクシャしてラーメン屋に1人で入ったこともあった。


年が明けて1月には志望業界もほぼ固まり、選考にもぼちぼち進み始めた。早いな、と思われるかもしれないが、私の志望していた業界は全体的に選考の期間が早く設定されていたり、あるいは先述の「就活の流れ」には沿っていない企業がほとんどだったのだ。

2月になり大学は春期休暇期間に入ったが、毎日のように説明会、選考の予定が入っていた。予定が無い日はパソコンに向かってESの作成。選考のある日は終わったらとりあえず近くのカフェでもレストランにでも入り、された質問と自分の答えたことを忘れないうちにメモする。マジで就活関連以外の用事で外に出ていなかった。あとはたまにバイトがあるくらい。実家にも帰れず友達にもまともに会えず寂しい春休みだな、と思っていた。



3月の頭、当時すごく行きたかった企業に最終選考で落ちた。BtoBだが一般にも知名度があり、業務内容だけでなくそこの働き方や「働くこと」に対する精神みたいな部分にも惚れ込んでいた。今思えば自分のような者がそんな企業の、しかも最終面接まで行くことができたのは奇跡だったのだと思う。

2月から選考がスタートして、そこからおよそ1か月。返ってきたのは「慎重に検討した結果、ご希望に添いかねることとなりました。今後の一層のご活躍をお祈りしております。」


いや、祈らなくていいんだわ。御社でご活躍させてくれよ。と、そんなことを思いつつ、もう何もできなくなってしまった。ここ以外にもそれなりにお祈りメールを受け取ってきたが、ショックの桁が違う。次の日からまともに食事もとれず、昼夜問わず気づけば涙が出ては止まらなくて、夜はなかなか眠れないからとスマホをピコピコ弄り「この時期になっても内定が無い無能な大学生」みたいな悪意の塊のようなネットニュースを見つけては落ち込み、やっと寝られたと思ったら御社の面接の夢を見る。


もう限界だなダメだなと、藁にもすがる思いで大学の就職支援課のカウンセリングを予約した。相談内容に「どうしようもなく辛いです。話を聞いてほしいです。」なんて情けない言葉を添えながら。

カウンセリング当日はこれまた情けないことに、初めまして、本日はよろしくお願いしますの挨拶直後に泣き出してしまった。大泣きする私を見てそっと差し出される箱ティッシュ。実は自分でも「話してるときに泣いちゃいそうだな、ちゃんと伝えられなかったら困るな」とは思っていたから、今までの就活のことを書いた4ページにわたるレジュメを作成して臨んでいた。グズグス泣きながらカバンからレジュメを出して渡すと「え、これ作ってきたの⁉︎」と驚かれた。

テーブルの真ん中に置かれた箱ティッシュを挟んでカウンセリングが始まった。


そこで知ったのは、3月にこれだけ選考を受けているのは比較的かなり早めのペースであるということ。そう聞いて初めて、自分が焦っていたことに気づかされた。ただただ「頑張らなきゃ」「早く決めなきゃ」「結果出さないと」と勝手に自分で自分の首を絞めていたのだと気づいた。友人と会う機会が減り、会ったとしてもそういう話をしてこなかったから周りの状況を知る術が無かったのもあるが。

あとは最終まで行ったなら自信持ちなよ、みたいなこと。落ちたのはショックだけど、私が「ダメな奴」「無能な奴」だから落とされたと言うよりも、たぶんどこか決定的な何かが合わないと思われたんだろうな。それならまぁ、入ってからミスマッチが発覚するよりはよかったか、と考えられるようになった。それまでは「何でダメだったんだろう」「何がまずかったのかな」と自分の原因を探しては落ち込んで泣いての繰り返しだったけど、初めて冷静に捉えられたような気がする。


就活を通して、特に3月に入ってからは、ずっと世間から「お前は要らない」って言われているような気がして外に出るのすら怖くなっていたけれど、思い切って外に出てみて、話しに行ってみて救われた。部屋を出る時、これをカウンセラーの方に伝えたら「外に出てみてどうだった?今日暖かいでしょ?もうすっかり春だよね。気が向いたらおにぎりでも買って外で食べてみたらいいよ。きっと気持ちいいよ。」と言われ、また泣いた。


そこから少し経って忘れもしない3月20日の夜。志望度が高い会社の二次面接が終わり、残すは最終面接となった日。疲れのせいか、ストレスのせいか、それとも気が抜けたのか、理由は分からないけれど、自宅で倒れた。

完全に意識が飛んでいたらしくあんまり覚えていないけれど、倒れる前に残り少なくなったペットボトルのお茶を立ったまま飲んでいて(行儀が悪い。ごめんなさい。)、そのお茶を持ったまま倒れたみたいで自分の体も自分の周りもびしょびしょになっていた。

倒れてすぐに意識は戻って、まず感じたのはお茶の冷たさと「何で私、今床にいるの?」っていうこと。あとは顔の左側がこれまで感じたことが無いくらい熱く痛くなっていて、左目が開けられなかったこと。倒れたときの音を聞きつけて飛んできた祖母(私は祖母の家に下宿している)は、私の顔を見て絶句しているけれど、自分で自分の顔は見えないから何が起こっているのか分からない……。

そうしているうちに持ってこられた手鏡を見て、私自身も絶句した。倒れたときにぶつけた左頬が真紫のコブになっていた。左目が開けられないのは目の周りがパンパンに腫れているせいだった。頬に擦り傷もできている。
そこから人生初の救急車に乗せられ、病院に行って検査をして、特に脳とか神経に異常はなく骨が折れているわけでもなかったので痛み止めをもらって帰宅した。

さすがにこの件で気が滅入ったのと人前に出られる顔じゃなくなってしまったのでその後1週間の就活の予定をキャンセルした。ぽっかり時間が空いたけれど、家にいるとどうしても就活のことを考えてしまうから、何も考えられない環境に強制的に身を置こうと思って飛行機を探し、翌日の朝早い時間のチケットをとって実家に帰った。一週間の弾丸帰省である。リュック一つで帰れるもんなんだなと思った。


翌朝、空港に迎えに来てくれていた母は私を見て開口一番「思っていたよりもひどい」と。私は「そんなにひどい顔でよく電車と飛行機乗り継いでここまで帰ってきたわ」と笑った。その日の夜、仕事から帰ってきた父も私が寝た後、母に「さすがにショックだったわ……」みたいなこと言っていたらしい。これだけ親に心配かけて、情けないな申し訳ないな、と思った。

実家で過ごした一週間は、久しぶりにゆっくり過ごせる時間だった。急な帰省だし痛々しい顔で会うのも悪いし、と思って地元の友達には一切連絡していなかったので、基本ずっと家族と過ごしていた。買い物に行ったり、ジブリ展に行ったり、湯布院に行ったりした。湯布院に行った日はちょうど新元号の発表の日で、発表の瞬間は家族そろってとり天を食べながら「おお~『令和』か~~」なんて言いながらスマホに見入っていた。

これだけいろいろ出かけているが、例のごとく顔には真っ青なアザがある状態なのですれ違う人の視線を感じた。

よくドキュメンタリーで「病気になったからこそ見えたものがあります」みたいなこと言っている方がいるけれど、正直「本当かよ」って思っていた。
でも病気ではないにせよ、たぶんこの一週間、というより倒れて顔面を怪我したことは自分にとってのターニングポイントだったというか、結果として自分に向き合うための時間を十分すぎるほど取れたから良しということにしている。

見た目はもう完全に何ともないが、半年以上経った今でも左頬の痺れは少し残っているし、代償は大きかったなとは思うけれど。

福岡市博物館のジブリの大博覧会、湯布院の大きな池(名前忘れた)、福岡タワー


一週間の帰省を終えて、4月の頭に最終面接があった。3月20日に役員面接を受けた会社である。この時もまだ少しアザが残っている状態だったので結構驚かれてしまった。
その後内定の連絡をいただき、承諾。就活が終わった。


インタビューのこと

と、ここまでがインタビューを受けるまでに振り返ってみた就活のことである。手帳の端っこや就活で使っていたメモ帳に結構記録が残っていたので、当時のことを割とすんなり思い出せた。


基本的には「進路変更したことについて」「どのようにサービスを活用していたか」「就活を終えてみて伝えたいこと」という内容を聞かれたので、当然インタビューではここに書いたことをすべて話した訳ではない。


私が利用していたサービスには、自分の今までやってきた活動(留学、インターンシップ、ボランティア、勉強などカテゴリー分けがされている)を自由にいくつでも投稿できる機能があるのだが、私は結構熱心に書き込んでいたのでそれについての話もあった。自己分析(あまりこの言葉は好きじゃないが)に限らずとも、自分のやってきたことや考えたことを言語化する、内省する習慣は続けていきたいと思った。


インタビューが進む中で「話を聞いた感じすごくポジティブに就活に臨んでいたように見えるが、ネガティブになるようなことはなかったのか」と聞かれた。少し、驚いた。


私の話し方がそう思わせたのか定かではないが。たぶん「気になった会社の説明会には行くようにしてました!」とかそういうのが「ポジティブ」になるのかな。よくわからないけど。


そこで3月の出来事を話し、断じて順風満帆でポジティブなキラキラ就活生ではなかったと伝えたが、このやり取りには既視感があった。友人にも同じようなことを言われたからである。


私は友人にほとんど就活の話をしていなかった。就活と言えばデリケートな話題ではあるし、自分の発言が原因で友人に嫌な思いをさせたり、あるいは友人の発言がもとで自分も嫌な思いをしたくはなかったからである。だから就活のことは家族ぐらいにしか話していなかったし、友人に話すようになったのは6月を過ぎたあたりからだ。友人からは「早くに就活を終えていたと聞いたら、特に悩むことも無くサラッとこなしたのかなと思った。」とも言われた。

こういうことを言われても、別に不快と感じはしなかった。だって辛かったとか一切話していないから。
それでもやっぱり、友人は「早くに就活を終わらせた」という事実を見て、そう思ったのだと思うと、うーん……と少し考え込んでしまった。就活のゴールは内定を取ることではないよと言われるけれど、どうしても内定の有無、内定の数、就活の終了時期が早いか遅いか、で就活や就活生がある種の評価をされてしまうのだな、なんて思ったり。ANT/NNTなんて言葉もあるし。


インタビュー中に「これを読む人に伝えたいこと」を聞かれて、「どこまで行っても隣の芝生は青いし、他を見ただけ焦るし自分が見えなくなっていくから、自分は自分と考えたほうが楽だと思います」みたいなことを言ったけど、最初からそれができたら苦労はしないよな。偉そうに言っちゃったな、と反省。


ほかにもいろいろと熱いことを言った気がするけれど、どれが記事に採用されるのかはまだ分からない。結構恥ずかしいことも言った気がするけど、自分でも就活を振り返る機会になったのでありがたいなと思う。


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