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あなたは誰



2023年はライブにこそいけなかったものの、
ジェシーくんが座長の「ビートルジュース」と
京本大我くんが座長の「シェルブールの雨傘」ふたつも観劇できた。

ミュージカル初心者でSixTONESが大大大好きな人間としての感想をまとめていきます。

ネタバレや物語に触れる箇所はほとんど書かず、
感じたことをつらつら書くだけの内容になってます。

何が言いたいのか自分でもわからないけど、
生きてる中であんまり得られない感覚だと思うので、残しておきたくて。



演技力、ファンとして向き合う力


12月4日にシェルブールの雨傘を観劇し、
改めて見に行く側としての心構えの大切さを思い知った。

もちろんそういうのが必要のない場合や、
どうしても事前に情報を集めるのが難しい場合もある。

とはいえ予習はかなり重要。

最初に感じたのは映画「xxxHOLiC」鑑賞後だった。
世界観に圧倒され理解が追い付かない状態。
この作品に関しては原作漫画というよりも蜷川実花監督の世界観に触れておけばよかったと思った。

話を戻そう。

舞台というものは観る機会がほとんどなく、
奇跡的に手に入れた推しのチケットで、
ほぼ人生初の舞台観劇が「ビートルジュース」だった。

音楽は好きだけどミュージカルについてはド素人で
自分の土台がしっかりしていないことに反省した。

けど、誰しもなんにしてもはじめは初心者で、
こういう感覚になるのは間違っていないとも思う。

それを踏まえて、自分の率直な感想を書いていきます。


「ビートルジュース」と「シェルブールの雨傘」
松竹座で行われた2つの演目。

アメリカとフランス。
コメディとラブロマンス。
死者と青年。

対極な演目と役柄、同じグループに所属する2人の座長
SixTONESの音楽における2大柱であるジェシーと京本大我。

見比べての感想が生まれることが幸せすぎる。
あ、あとバカみたいな感想で申し訳ございませんが言わせて。

ビートルジェシーマジ声デカい。
きょもマジ美しい。

もうね、いろいろ思うことあるんですが、
生で本人目の当たりにしたらこれに尽きる。
元々ない頭がもっとなくなる。

ジェシー君の鼓膜を突き破られるんじゃないかと思うほどの迫力にゾクゾクして、下品さの中にも脆さを含んでいるのは彼のうまさだなと感じた。

京本さんのヒロインと並んだ時の体格差や立ち振る舞いの上品さに惚れ惚れした。しなやかなダンスも京本大我さんの美しさがとにかくとてつもなくて。

役を生きる人たち


ここ3年ほど、彼らを通していろんな作品に触れてきました。

その中で気づいたことは、
作品を大切にすることと、彼らを大切に思う気持ちが
同じ時間に別で存在していること。

それが混ざり合わないときがあること。

「ビートルジュース」ではジェシーくんらしさも所々見れたので、満足満点だった。

普段からは想像できない部分ももちろんあったけど、映画版の「ビートルジュース」を観ていたことから、親しみやすいキャラクターなのも知っていたしとても楽しかった。

ジェシーくんの歌声、音楽を全身で感じられたのも幸せだった。
千秋楽というのもあったのか、本編の中ではける前とかかなりしつこめで、どうしようもない男だな、と思った。

愛しさが増した。

「誰かにかまってもらわないと死ぬの?」
という北斗くんの言葉がピッタリなご様子でした。


京本大我さんの演じるギィはとても美しく、人間そのものだった。
紛れもなくギィであって、京本大我ではなかった。

舞台に限らず、作品として演者としてそうあるべきだと理解している。
得意のハイトーンも封印して挑んだ全編歌の歴史ある演目。
ファンから見ても徹底した役作りをしているのがわかるのは物凄いことだ。

これが、ミュージカルに対しての京本大我の本気か。

こんなに素敵な方を好きになれて、心からよかったと思える。
と同時に私はきょもに会いたかったんだな、ということに気づきました。

確かに目の前にいる。
でも、きょもじゃない。
声も、立ち姿も、表情さえも、

私の知らない、誰かで。

カーテンコールでとんでもなく切なくなったのは、
物語の結末に対してじゃなかった。
ひとことで良い、声が聴きたかった。

最後におどけた顔を見せてくれた、それで満足出来たら良かったのに。

きょもがいないことが寂しかった。
自分の愚かさと強欲さにドン引きするけど仕方ないことだとも思う。

ラジオやYouTubeなどで散々きょもの話し方や仕草を見てて、ブログの文章でさえ本人が脳内に語り掛けてくるようになるほど、きょものことを好きになっていた。

厄介だな、と思う。
そもそもオタクはその存在自体が厄介なのかも。

作品に対しての感想もいくらでも出せる。
きょもとしてではなく、役として考えることも。

思えば今まで、ずっとそうしてきた。
だから何も、難しくはないのに。

やっぱり、そこにいるのにってのは大きいんだな。
映画やドラマは画面越しだから作品として受け入れられてたってことなのかな。

私は物語の中に入るあの時間が大好きなはずなのに。
いつのまにこんなに拗れてしまっていたのか。

それほど、きょもが魅力的で愛くるしい存在なんだって、こんな形で気が付くことになるなんて
幕が上がるまでの私は、知りようもなかった。

もっともっと好きになっちゃった~~~😭

帰り道はカオスソルジャー(ラジオ)を聞きながら帰りました📻

今回は初めてだったから戸惑ったけど、
懲りずにまたミュージカルでの京本大我さんにお会いしたいと思います。

もちろん、ビートルジェシーにも毎年でも会いたい!🧟‍♀️


結びに代えて

今日はゆったり雑誌の整理をしていました。
東海ウォーカーは、北斗くんの連載のために毎号買っている雑誌で、先日静岡のローカルテレビでその撮影風景が放送されました。

SNSで流れてきた情報によると、
どうやら発売されている中では最新の2024冬号の撮影だったようで、番組を観ることはできなかった代わりに
心を落ち着かせるみたいに連載エッセイを読んだ。

お芝居の仕事の話から幼少期のほほえましい思い出も綴られていて今回私が舞台を見た感覚と通じるものを感じました。

「僕は、今どこだ。」

エッセイはそこで途切れていた。
締めくくられていたというのが正しいけれど、
すこし余韻が残るような終わり方でした。

北斗くんのエッセイは読後毎回かみ砕く時間が必要で、その過程も含めて幸せなんですよね。
不思議と読むべきタイミングが決まっているような気がして、何にも代え難い大事なものです。

京本くんの素晴らしい演技を見て、
私は京本くんを見失った。

けれど、そもそも本当の京本くんを知らない。
知ることができない。

京本くんだけではない、他のメンバーも同じです。
ライブで6人を見て、私の知ってる6人だと感動したのも事実だけど。
SixTONESとしては本当の姿なのだろう、それで十分。

それに、見ている私が見失うのと、
本人が自分を見失うのとでは意味も重みも全く違いますよね。
演技というのは特殊で、大変なことなんだと再認識した出来事でした。

6人にとっての所在地がSixTONESなら、
私もSixTONESを所在地としたい。
見失っても大丈夫になるように。

みんなで守っていけたらいいなと願っています。
ずっと。仲良しな6人とともに。

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