ドラクエ映画を見たら号泣してしまった話

・「大人」が仕事と家族に生きがいを感じる時代は終わった。インターネットが普及して、昔子供だった私たちは大人の正体に気がつきはじめている。大人は「なる」ものではなく「やる」ものだ。そして私の目から見て、大多数の大人は孤独だ。

・当然のようにネタバレを含む。

・公開の翌日である。ある知人から『ドラゴンクエスト ユアストーリー』を観に行こうと誘われた。料金は知人持ちだと聞いて、ドラクエを一作もやっていない私はホイホイと誘いに乗った。
・4歳の時に初めて買ってもらったゲームはポケットモンスター。ゲームや本くらいしか娯楽がない田舎である。クリスマスに与えられた一本のゲームソフトで遊び倒してきた。父親はファイナルファンタジー派だったので、そのお下がりを何十時間も遊んでいた。特に思い入れがあるのは7。6と9も好きです。

・映画館はほぼ満席。すごい人気だ。

・ユアストーリーは、ドラゴンクエストを全く知らない私をワクワクさせた。
・草原を走るキャラクターは生き生きしていて、薄暗い洞窟や雑多な住居(モノがたくさんある家がオタクは大好き)。いかにも剣と魔法の中世の世界だ。相棒のゲレゲレやスラりんも可愛らしく、強大な敵に立ち向かう戦闘シーンに私は笑顔と鳥肌が止まらなかった。
・スクリーンで見てよかった。氷河に覆われた世界も、切り立った崖と広い空も、何年も動いているからか錆だらけのキラーマシンも、デティールとモーションのひとつひとつが強く強くゲームの世界を想起させた。きっとこの世界は、ドラクエを深く愛している人が作ったのだろう。そう思わせるだけの説得力があった。

・しかし事態はラストに急変する。
・最終戦闘で蘇った魔王ミルドラースを語るウイルス。ウイルスは突然時間を停止させる。3d cgのテクスチャを剥がし、コリジョン(当たり判定的なもの)を奪って、世界は真っ白な制作過程のような状態になる。
・そして言うのだ。「大人になれ」と。

・あんなにリアルで、生き生きと血の通った彼らが、「全てつくりもの」で「データにすぎない」と。

・そして、主人公は肯定してしまう。
・今までともに冒険してきた彼らは「過去に遊んだゲームの中の登場人物」なのだと。

・私は主人公に感情移入して、ゲレゲレやスラりんやビアンカと、ドラゴンクエストの世界を冒険したのだ。
・そして思い返してしまうのだ。私が今まで共に冒険したポケモンたち、ビビやジタンの葛藤、クラウドとザックスの苦悩は、果たして全て「データの塊」だったのか?と。

・ゲームで育った人間は、ともに冒険した彼らのことを今でもデータだと思うことはないだろう。大人になるということは、ゲームを幼少期の思い出として結晶化することなのだろうか?私はそうは思えない。彼らと私はたしかに一緒に冒険をしたし、何泊も宿に泊まり、幾多の苦難を乗り越えて、街のカジノに興じたのだ。

・大人は孤独だ。だからせめて、彼らと冒険した思い出だけは真実のままであり続けて欲しかった。昭和のような守るべき家族のある大人はもうほとんどいないのだから。

・気がつけば悲しくて悲しくて涙が止まらなくなっていた。それは私の心の中の冒険を否定されたこと、映画として感情移入した全てが嘘だと突き放されたショック、そしておそらくドラクエを愛していた人が作った美しい世界がめちゃくちゃになって観客の目に晒される暴力性。
↑これは監督や脚本家ではなくCGデザイナーのことを指す

・各種SNSでは本作がいかにクソ映画かの大喜利状態だ。しかし本作は決して「虚無」の映画ではない。見た後に、強烈な傷跡を残す映画だ。私はここまで怒りと悲しみを掻き立てる映画を他に知らない。そして、ここまで愛情に満ち満ちた世界も他に知らないのだ。

・ユアストーリーとはなんだったのか?それは決して私の物語ではなかった。


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