ハイパーグルメリポートは同情のための物語ではない

ハードボイルドグルメリポートを見た時、直感的に「視聴者に伝えたいのは同情ではない何か」だと感じた。

しかし、これまでの全放送回を見てもその「なにか」が言語化できずにいた。
ハードボイルドグルメリポートの本を読んで、ようやくその「なにか」が私の中で形になってきたので文章にまとめたいと思う。

ハードボイルドグルメリポートでは世界の危険なスラム、劣悪な環境で暮らす人々を隠すところなく写す。
余計な編集も、吹き替え音声もなく淡々と物語が進み、MCの小籔さんのコメントも多くは語られないため、受け取り方を視聴者に丸ごと投げられている。

私がまず心を打たれたのはフィリピンの子供達の物語だった。
7-8歳に見える子ども3人は生ゴミを分別して生活している。
作業は深夜に行われ、時に人の食べた残飯を口にしながらも、子供同士で歌いながら作業している風景が写されていた。作業が終わると段ボールの上で寝て朝を迎える。
上出さんが「今の生活はどう?」と子供たちに聞いた時、
子供達は迷わずこう答えた。
「ずっとここにいたい。幸せはここにある。」 
日本に住んでいるどれだけの人が、自分は幸せだと言いきれるだろうか。
物質的に足りなくても、心を豊に生きている彼らに私たちは同情できる身分だろうか。

そして私の考えが形になってきたのが、アフリカの廃屋に住む元兵士のレポートを読んだ時。
内戦後、元兵士は全員解雇され住むところもお金もない状態で放たれた。
そんな状況で、廃屋を見つけてそこに住み着き、草刈りや炭焼きなど自分たちにできることをして稼ぎ暮らし、子供を含めた800人近いグループを作って生活を成り立たせている。
私の心に響いたのはそんな彼らの1人が言ったことだった。

「私たちはもう歳だからなにも望まない。けれど子供たちに教育を与えてほしい。」

この言葉を聞いた時、私は自分の亡くなった祖母のことを自然と思い出していた。

私の祖母は母親の顔を見たことがない。祖母を産んですぐに亡くなったからだ。
小学校2年生の時、祖母は父を病気で亡くした。
当時は戦争が終わったばかりで、街には孤児が溢れていて、どうなることかと思ったが運良く近所の家に入れてもらえたそうだ。

晩年、同じ話ばかり繰り返すようになった祖母はよく子供の頃の話をした。
「食べ物も、本もなかった。成績は良かったけどお金がなくて進学はできなかった。コネがなければ職もない」

「それでもじいちゃんと結婚して、子供ができて、子供はご飯をいっぱい食べて学校に行かせることができた。孫はみんな大学まで行かせられた」

人生はバトンだ。

前の世代が残したものを受け継いで子供は走り出す。
私が暖かい部屋で柔らかい布団に寝転がってスマホをいじれるのは、これまでバトンをつないで来てくれた人たちがいたから。

ハイパーグルメリポートそのままではないだろうが、同じように過酷な生活をしてきた先祖が少しずつ積み上げてきてくれて、今日の私の生活があるのだ。

話を元に戻すと、ハイパーグルメリポートが視聴者に伝えているのは、「この物語はあなたの物語でもある」ということだと思う。

日本という物質的に恵まれた環境にいる私たちの生活は、こうして作られてきたのだ、と伝えているのではないか。

そして私たちが彼らにするべきなのは同情ではなく、応援なのではないか。

最後に、このような心震える物語を提供くださり、上出さんありがとうございました。
これからも楽しみにしています。