013.マリオについて

 私の人生の前半は両親よりもマリオと過ごした時間の方が圧倒的に長かったかもしれない。マリオブラザーズの頃はステージ上の亀を全滅させなければいけないのに2人で協力プレイをするとすぐ殺し合いになったものだ。あれが実質スマブラの一作目ではなかったろうか。あの頃のゲームには自由があった。メーカーが設定したルールを完全に無視して別の遊びを始めて、それを許すだけの度量がゲームにあった。その後発売されたスーパーマリオはマリオの方向性を決定づけたものだった。思えばあの頃から私は既にアクションゲームが苦手だったような気がする。最初のステージである1-1から最終ステージの8-4まで順番にクリアーできないのでワープを駆使して先のステージに行くのだが、途中をすっ飛ばしているから全然操作を習熟していないため、あっという間に詰むのだ。毎回プレイしては分不相応に先のステージに行ってはすぐに詰み、を繰り返していたように思う。結局こつこつ中間を飛ばさない人間だけがショートカットを使いこなす、というね。なんだよ、人生じゃん。
  最近、当時のプログラマーのインタビューを読んだが「マリオにジャンプ時の音をつけてくれ」という依頼に「どんな音をつければいいんですか!僕はジャンプする時に音なんか出ません!」と答えたというエピソードが記憶に残っている。確かに言われてみればそうなのだが、あの頃はジャンプする時にぺよーんと音が鳴ることに何の違和感も感じなかったし、なんなら自分も飛び跳ねる時に音が出ているような気がしていた。今では当たり前のようにほとんどのゲームではジャンプ時に何かしらの音がしている。「当たり前を作る」ってのは凄いな、と思ったものだ。
 その後はマリオカートでも世話になった。私はタイムアタックのような繊細な楽しみ方ができなかったのでほぼ対戦しかしていない。なるべく高い位置に陣取って緑甲羅での狙撃が私の勝ちパターンだったのを覚えている。しかし、楽しかった思い出はいつだって輪郭がぼやけている。何十日何百回となくプレイしたはずなのに振りかえると一日分くらいの記憶しかない。ディテールが完全に抜け落ちている。ひょっとしてなかった記憶なのではないかと思うが、マリオカートを触ると今でも操作を覚えている。ただ、依然としてあの頃の「日々」を思い出すことができない。つくづく失ったものを数える事はできないな、と思う。
 あと印象に残っているのはスーパーマリオRPGか。これは年間のベストと言ってもいいくらいよくできたRPGだった。「面白かった」以外の記憶が無いのでWikipediaで概要を読んだが何一つ覚えていなかった。本当に私はプレイしたのか?したはずだ。脂が乗っていた頃のスクエアが開発しており、この作品でスーパーマリオの世界観一気に深まった。とある。だったんだろう。曖昧な感情しか私の中に見出す事ができない。覚えてないから。
 しかし、最近のマリオはほとんどプレイしていない。マリオテニスも自分でステージが作れるスーパーマリオメーカーも最新作のマリオジャーニーも触れていない。…久しぶりに触れたマリオは暴力の化身だった。素手でロボットを殴り巨獣を蹴飛ばし巨大な火の玉ですべてを灰燼に帰する。しかし、こうも馴染むものとはな・・・。マリオ、ああ、君は・・・。幼き日の思い出の中で佇むだけのおっさんではない!生涯現役!常に戦い続けるのがマリオの定めなのだ!私もいるぞ!ここに!コントローラーを持って!共に駆け抜けようぞ!!全員殴る!!

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