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映画やドラマのこと

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#ドラマ

ドラマ『unbelievable』よってたかって善人ぶった大人が被害者である女の子をいじめるのに気分が悪くなった。ドラマの展開が予想と違ったのは初めの監督が変わり三人目になっていたせいか。自分の間違いを認めて誠実な対応をしなければならない。隠蔽のための取引自体が反省してない証。怒

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能力を最大限に使うことができればそれが道に外れたことでも構わない。少しだけであればと考えたのが後々大きく道から外れることになる。しかし人間はいつだってやり直しができる。本当の目的に自分が気がつくなら過去のことを後悔しながらでも充分生き直すことができる。今どう生きるかが重要だから。

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限られた選択肢の中で最大限に力を発揮して力を尽くすことができるのは、自分で納得できているから。愛情や理解が実の父親からは得られなくても身体を張って問題解決しようとする人がいるだけで満たされていく。どうにもならない状況に陥ってもそこで充分に生きたと感じる。複雑な人間理解がポイント。

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ドラマ『リプリー』の予告編を観た時なんだかアラン・ドロンの『太陽がいっぱい』に似ていると思ってた。よく調べるとパトリシア・ハイスミス原作の同じものだった。モノクロで時間をかけてドラマを丁寧に作っている。俳優の演技にも感激するばかり。引き込まれていく。だがどうしても悪事は露呈する。

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ドラマ『BEEF』
不安と不快な感情が上手く消化できないとささいな出来事に過剰に反応しやがて互いに自滅していく。不安を吐き出すことができる状況は必要。繊細がゆえプライドが高いゆえ上手く自分をコントロールすることができない。最後に植物の毒にあたり死を覚悟してはじめて他人を理解した。

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他人の考え方、感じ方、生き方を決めるのはその人自身だから、自分が決めたり、まして強要したりすることはできないと理解することは重要だ。自分の問題と他人を明確に区別して考える。そして一番大切なことは様々な選択肢があることに気付き、他人に相談したとしても最終的には自分で決断することだ。

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信頼できるということは 自分のためだけではなく むしろ自分の利益にはならないことでも やるべきだまたはやってはならないと判断し行動できるということだ。 判断する力と行動する力が必要となる。 それらが自分の責任の下でできるようになって初めて信頼できると言える。 覚悟があるかどうか。

司法が公平・公正ではなく人の先入観や思い込みにかなり左右されている。これでは法治国家とは言い難い。だからこそ弱い立場の人の弁護がしたいと考える。そしてそれで犯罪に関与していくことになる。『ベター・コール・ソウル』悪徳弁護士と言われた人のスピンオフのドラマ。4シーズンまで観てきた。

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ずっと忙しく働いていたら自由な時間ができた時でも、どうにかして忙しくしてその時間を埋めようとする。悲しさや虚しさを感じないようにするため。喪失感を受け止めていかないと後で襲ってくる苦しみに一層痛めつけられることもある。悲しい時に悲しいと感じることが癒やしになる。心に素直になれば。

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面と向かうと言いたかった言葉からどんどんそれていき言いたくなかったことを言ってこじれていく。心が落ち着いている時に手紙を書くと温かい言葉が出てくるのかもしれない。誇りに思うという言葉をどれ程聞きたかったか。手紙を読む時にはもうこの世にいなくなっている。でも手紙の言葉はずっと残る。

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誤解されて仲間外れになっている人を気にかけ策を講じた。わざと自分が自分の為だけに働いているとうっかりミスでバレるように。結果わだかまりが解けて仲間外れはなくなったが今度は自分が嫌われた。泣いた赤鬼みたいだ。こんなにも人に尽くせる人がいるだろうか。ヒーローになりたいんじゃないんだ。

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負けを認められるかどうかが強さの鍵。本当はしたくはないのに兄が弟を潰しにきた。応戦するのに知恵と人の力を使う。普段から人の気持ちが分かり優しく接しているのでいざという時に人が助けてくれる。そこも兄と違うところ。固執し自滅していく兄。『ベター・コール・ソウル』行き違う心を鋭く描写。

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親の愛情を求めるのは生き残るための本能なのか。
思うようにその愛情が受け取れない時、
弟が受け取っているのを見る時、
その渇望感から悶え苦しむのだろう。そしてその矛先は親ではなく弟に向けられる。そういうドラマ。子どもから成長できずにいる。諦めて自分を癒す。自分を上出来だと認める。

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有能な人のその有能さを認めることは真に有能な人にしかできない。 嫉妬と虚栄が邪魔をしてその有能を認めず、さらには侮辱すらする。 恐れている。 自分のこれまでの努力が才能が否定されるような気がして。学歴などを気にすることは学歴が自分の証明だと思っている。本物の能力は別物であるのに。