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「うまくいかなくても楽しんで」靴職人・木佐木愛さんが掴んだ姿勢

横浜市の青葉台駅から歩いて坂をのぼること約5分。閑静な住宅街に溶け込むように佇む靴工房がある。オーナー兼靴職人の木佐木愛(きさきめぐむ)さんは、2012年に地元青葉台にこの靴工房「kisakishoes(キサキシューズ)」を開いた。オーダー靴に関する魅力をより多くの人に伝えられるよう、靴作り教室「ブンデスタディ」も開講している。

工房では、「ビスポークシューズ」と呼ばれるオーダー靴の注文を受けている。足のサイズを測り、一人ひとりに合うよう木型を削り込み、微修正を繰り返していく。木型の形状が数ミリ異なるだけで履き心地が変わるため、絶妙なバランスをコントロールする感覚は、まさに職人技だ。そしてお客様の希望をもとに、その人のファッションや全体の雰囲気を見て一足を作り上げる。

靴ができ上がるまでの工程は非常に複雑だ。一般的には複数人の分業体制で一足を作り上げていくが、木佐木さんは靴作りの最初から最後までの工程を一手で担っている。

「お客様の要望と乖離することなく、イメージそのままを形にできるのは、小さなオーダー靴屋ならではのいいところかもしれません」

工房にはたくさんの靴が並ぶ

kisakishoesをオープンして今年で10年という木佐木さんだが、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。

スペインの博物館で見た手縫いの靴が、靴職人への道をひらく

小さい頃から靴が好きだった。「母に買ってもらったお出かけ用の靴を履きたくて、家をこっそり抜け出すような子どもでした」と木佐木さんは話す。大学生時代は海外旅行の帰りに、気に入った靴を何足もお土産に買って帰ることもあった。

「ただ、当時は自分が靴を作る発想は全くありませんでした」

美術館の展示企画を考える学芸員になるため美術大学に入学したものの、何か物作りをしたい思いもあり、将来の進路が定まらないまま卒業。これからどうしようと悩んでいたときに、木佐木さんを靴職人の道へと導く最初のきっかけが訪れる。

「スペインに旅行したとき、教会の中に入っていた靴の博物館に立ち寄りました。小さなスペースに、昔のヨーロッパ貴族や農民が履いていた靴がずらっと並べられていたのですが、その一つひとつが全部手で縫われていたんです。いわゆるお店で売られている既成靴と全然違う質感でとても綺麗で、今まで抱いていた靴のイメージが覆されるほどの衝撃を受けました」

その瞬間、木佐木さんは頭の中で「靴って、手で作れるんだ」と改めて気付かされたという。

「靴が好きで、物作りにも興味があったので、手縫いの靴を見たとき頭の中にあったバラバラな要素が合わさりカチッとはまる感覚がありました。その後は勢いと直感で『よし、靴職人になろう』と動き出しました」

進路を決めた後の行動は早かった。早速靴作りを学べる学校を探した。調べていくうちに「技術さえ身につければ、靴作りを仕事にしていける」と確信した木佐木さんは、当時都内に数えるほどしかなかったワークショップの門を叩いた。

ワークショップに入ったものの、イメージした靴を作れない

ワークショップで約2年ほど靴作りの基本を学んだが、「このままでは靴作りを仕事にできないのでは?」と漠然とした不安を抱えていた。

「そこでは自分の木型をもとにした靴しか習わなかったため、人の足に合わせる技術は習得できませんでした。さらに、一足作るのに数ヶ月かかってしまい、製作に慣れたとしてもとても量産できそうにありません。オーダー靴職人として食べていくのは現実離れしているかもと思うようになりました」

表参道にあるワークショップを一歩出て通りを歩くと、路面店のショーウィンドウには綺麗な靴がたくさん並んでいる。木佐木さんは通りを眺めながら「私が消費者の立場だったら、あの綺麗な靴を選ぶな」とため息をついてしまったという。

さらに、「靴作りを習っているなら作ってほしい」と友人に声をかけられて一足作ってみたものの、満足するような出来映えの靴を作れなかったことから、木佐木さんの不安はより強いものになった。

履き心地とファッション性を両立させることの難しさ

「彼女はきっと、足幅があってもすらっと綺麗に見える靴が欲しかった。けれど私は、足の形のままに木型を作ってしまったため、彼女の理想を叶える靴を作ることができずがっかりさせてしまったと思います。今振り返れば、ファッショナブルさも足りていませんでした。その人の悩みやコンプレックスを解消しつつ、同時にファッションとしても楽しめる靴作りができないと、靴職人になる意味がないと悟りました」

靴作りをさらに極めるため、2つ目の教室に入学するが……

木佐木さんは、雑誌に載っているオーダー靴の情報を読むなかで、木型を削り込んで足に合わせていくビスポークシューズであれば、一人ひとりの足にピッタリ寄りそう靴を作れることを知る。

「木型を削る技術を身につけて、その人にしか合わない靴を私の手で作れれば、一足の値段が少々張ってもお客様に価値あるものを提供できると思いました」

足型計測の様子

ちょうど同時期に、イギリスの名門学校コードウェイナーズ・カレッジ(現ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション)在学中から、ビスポークシューズの老舗であるジョンロブでアルバイトをし、卒業後に職人として働いていた大川由紀子さんが日本に帰国。その彼女がハンドソーンウェルテッド製法を学べる靴教室を開いたことを耳にする。大川さんであれば一人ひとりの足に沿った靴作りを学べるとして、木佐木さんは2つ目の教室「Benchwork Study」に入学。しかし、そこで待ち受けていた現実は予想外のものだった。

「以前習った技術がほとんど通用しないくらい、靴作りの考え方が違ってショックでした。正直なところ、Benchwork Studyでは木型の削り方を習うだけで終えるつもりだったのですが、削り方が変わると木型に合わせた縫い方も新たに習得せねばなりません。結局一から学び直しました」

あと1、2年学んだ程度で靴職人として独立するのは難しい。長期戦になることを覚悟して、木佐木さんは授業料を捻出するためフルタイムの派遣OLと両立して靴作りを学ぶことにした。

OL生活と靴作りの両立に苦悩しながら、独立を目指す

仕事から帰宅後に靴作りして、週に1〜2回教室へ行くルーティンを繰り返す日々。当時は「ひたすらのろまな自分と戦っていた」と話す。

工具があれば、膝の上でも靴作りができるという

「退勤後に、いかに靴作りの時間を確保するかを念頭に日々過ごしていましたが、仕事して疲れたなか気持ちを切り替えて靴作りに向き合うのが、辛いこともありました。つい寝てしまったり、遊ぶ約束をしてしまったり……。何も作業が進まず先週の続きをただ学校でやるだけのときは『一週間何してたんだろう』と自己嫌悪に陥ることもありました。また、会社では靴作りと全く関係ない仕事をしていたため、安定収入に甘んじてしまっていた部分もありましたね。自分の計画した技術の習得が、思ったほどの速度で進まないこともあり、『独立に近づくためには早くこの日常から抜け出さないと』といった焦りは常に抱えていました」

一方、両立生活で気づけたこともあるという。

「ごく当たり前のことなのですが、楽しく健康に過ごすためには身体のリズムを整えないといけないと、改めて感じました。ご飯を食べなかったり、睡眠を削ったりしても元気に仕事できないし、帰宅後に靴作りする体力も残らなくなります。靴作りの勉強とOL生活を両立しつつ、日常をおろそかにしないよう試行錯誤した経験は、今の生活にも生きていますね」

お客様が求めるものに応じられるよう、柔軟性を持つ

日々の積み重ねはきっと生きてくると信じながら修行を積み、Benchwork Study入学からおよそ10年間もの長い期間を経てついに独立。2012年に念願の工房kisakishoesをオープンした。

工房内の様子

「今日から一日中靴が作れると思うとうれしすぎて、不安よりもワクワクが勝ったのは今でも覚えています」

そんな木佐木さんだが、独立後もしばらく試行錯誤が続いた。

「自分が思っているオーダー靴と、世間一般の人たちが抱くオーダー靴のイメージの乖離に気づきました。独立したての頃は、自分が長い時間かけて習得してきた技術の魅力や凄さを力説したのですが、お客様には全く伝わってないなと。そもそもなぜ専用の木型が必要なのか、など靴を手で作ることの意味の部分から噛み砕き、お客様の目線でわかりやすく説明しなければならないと痛感しました」

木佐木さんが長年の積み重ねで身につけた技術はたくさんあるが、手の込んだ技法をお客様が求めているとは限らないこともわかったという。

「師匠(大川由紀子さん)のもとで習っていたのがハンドソーンウェルテッド製法(靴底を手で縫い付ける製法)だったので、せっかくオーダーするならハンドソーンらしさを生かしたドレスシューズでないと、みたいな思い込みもありました。しかし『お客様が欲しい靴は技法ありきではない』と気づいてからは、既成靴に使われているゴム底を使用してカジュアルさを演出したり、一部セメンテッド製法(のりで靴底を圧着する製法)も導入したりなど、、作る側にある悪い意味での思い込みをどんどんなくしていきたいと思うようになりました」

お客様の求める靴に合うような技法を柔軟に展開していったところ、新規の問い合わせや2足目のリピートが増えるようになった。そしてその柔軟性は、2013年に始めた靴作り教室「ブンデスタディ」にも生かされている。

「生徒さんに技法やデザインを強制することはありません。歩く道具として機能するために必要な技術や大事なポイントは伝えつつ、何でも自由に作っていいよと話しています」

靴作りに、器用も不器用も関係ない

最後に、木佐木さんに「靴って不器用な人でも作れるんですか?」と尋ねてみたところ、「作れます。でも正直、不器用かどうかはあまり関係ないと思います」としながら、その後に続く言葉にはっとした。

「始めから上手にできる人なんていないですし、日々練習を重ねれば必ず技術は上がるので、不器用かどうかは気にならなくなります。それよりも、うまくいかなかったことを面白がれるか、たとえ不器用でも『これが私の作品そのものよ!』と自信を持てるかが大事なんです。失敗しても気を落とさず、自己肯定感を高めながら続けていけるかどうかが、靴に限らず物作りを楽しめる分かれ目になってくると思います。器用かどうかよりも、楽しみながらいかに長く続けることができるかどうかです。

とはいえ、うまくいかなくてショックな気持ちもわかります。生徒さんには『全然いいじゃん、楽しいじゃん』『その荒いミシン目は今しかできないよ、次回うまくなっちゃうからね(笑)』みたいに落ち込みをリカバリーできるような声かけを心がけてますね。いつか最初の頃に作った下手な作品を、ちょっと愛おしく感じられるくらいの感覚を持てれば、こっちのものじゃないかな」

物作りに取り組む人、日々の仕事に自信を持てずに悩む人誰もが、背中を押される言葉ではないだろうか。ライターとして日々文章に向き合っている私も、木佐木さんの言葉が胸に沁みた。


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