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10年ぶりの天日坊

座席に座って幕が開くまで、すっかり忘れていた。天日坊ってどんな話だっけ?
10年ぶりの再演と聞いていたけれど、そもそも10年前の私はどんな毎日を過ごしていたのだろう、それすらもちょっとあやふやで。どこの部署にいて、どんな思いで、誰と仲良くしていたのか。ぼんやりと曖昧なのに、ただ前に見たときの鮮やかな幕切れと、主人公のラストの絶叫だけがはっきりと心に残っていた。

「俺は誰なんだ??」

前に見たときは、単なる「何者かになりたがっていて、自分探しのすえにちょっと失敗しちゃった、坊主見習いの話」と思っていた。実際、あらすじだけ見るとそうだ。みなし子の法策が、源頼朝の実子であるという証拠の書つけをもとにのし上がろうとするのだけれど、その途中で旅の資金を得るために太夫の弟になりすましたり、実は落ち延びた平家のご落胤である可能性もでてきたり。その場その場で嘘をつくこともあれば、誰かにまつり上げられたりもするけれど、とにかく違う人物へとめまぐるしく変化していく。

脚本は大好きなクドカン。もともとのストーリーは、河竹黙阿弥が書いたものがあり、当時はまだあちこちに平家の落ち武者伝説やら、いくさに参加した農民たちだとか、あちらこちらにそのような話が口伝えであったのだろう。たかが300年から400年ぐらい前のこと。今からしてみたら明治の世の中みたいなものだからひいひいおじいちゃん、もしくはその前のご先祖様ぐらいの感覚だ。そう思うと、あながちあり得ないこともない、と感じられたのだろう。再現ドラマ、みたいでリアルに迫ったのかもしれない。

それにしても身分の証拠となるものが、肌身離さずつけていたお守りだとか、書付だとか、現代からすると「そんなんでいいの?」と思えるほど、儚く、あやふやなものばっかりだ。そのことにものすごく驚いてしまう。でも、村から出ないで一生を終えることも多かっただろうし、何者である、という証明が必要名ことも少なかったのかもしれない。一方で、一度離れてしまえば顔さえも思い出せなくなるほど長い年月、再会もかなわない。だから、幼い頃に別れた弟だって話も納得させられるし、親子だ、という訴えだってなんとかなる。この物語の世界は、今日離れた人とはもう二度と会えないかもしれない、そのことがものすごく当たり前のことなのだ。でも一方で、大きな力で、因縁が絡み合っていく世界でもある。憎んでいたはずのものが味方になったり、味方であったはずのものがあっさりと寝返ってしまったり、かつて殺したものに殺されそうになり、大切なものがあっさりと奪われてしまう。もしかすると、この話は、時代が持つ、そんなすごい力を描こうとしていたんじゃないのかな、とも思う。

で、結局、法策はなんだったのだろう。そう思うと、やっぱり私はあの、最初に何者かになろうとしたときの顔、結局はそこに行き着くような気がしてしまう。囲炉裏の炎に照らされながら、ダメだと思いながらもどうしようもなく悪い思いにひきずられてしまう、真面目なのに、ちょっとずるい自分もいて、決心というほど大きいものもないくせに目先の宝に目がくらんで人を殺してしまう、そんな人。だから最後に輪廻のようにして、最初の場面に出てきたあったかくて可愛い生き物が、最後に寄り添ってくるのではないのかな、と。

このラストシーン、10年前と演出がずいぶんと変わっていた。前は客席を逃げまどう場面があって追い詰められ、ついに潔いまでの無の中に主人公が閉じ込められてしまう、鮮やかな幕切れだった。「俺は誰なんだ?」と言う言葉が、すごく強く響いた。けれど今回は違う。もちろんコロナで客席を走れない、ということもあるし、お父さんの勘三郎さんも前回はまだ生きていて、勘三郎さん好みの演出の側面もあったような気もしている。10年たった今は、もっとずっとさびしくて、しんみりと哀しく、その分、いとおしかった。ちいさな子供のようだった。10年という月日で、見ている私だってずいぶんと年齢を重ねたし、演じる中村勘九郎さんも大人になって法策という人間への理解が変わったのだと思う。かつては若者の疾走、未熟さと焦りからくる、取り返しのつかない出来事、という感じがあった。だけど、今度は違う。もっと弱くてゆらいで、健気だ。そしてもちろん、演出の串田和美さんのとらえ方も違う。この時代の持つ不安と抑圧感が出ている。だから、やっぱり、これはひとりの人間を通して、結局は時代というもの、年の流れ、が主役だってことなのだと思う。そのなかでただ、小さいなりにもがいていたのが、天日坊、法策なのだ。

個人的には串田さんの演出ってものすごく見る人の気持ちよさをわかってくれていて、いつもかなり好き。(個人的に七之助さんの悪い感じ、槍というか薙刀みたいなものを持っているのが最高だと思うので、ちゃんとそこを見せてくれてありがたかった)そして、目まぐるしい場面転換がまるで紙芝居を見ているようで楽しく、それなのに最後の最後で、いきなりバーンと奥行きがある空間に放りだされる気持ちよさ。とにかく面白かった、と友達と言いながら帰れるのが、本当に至福。よき夜でした。


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