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急性一過性精神病性障害の話③

入院後、

広い一人部屋に移されてからの話ですね。


一人部屋で 退院まで

そこではなんかもう常に綱渡りのような生活をしていました。

人と話せないと落ち着きを保てなかったんです。

人と話すことで"社会性のある自分"を思い出し冷静になれるのですが、

一人の時は焦燥感ありまくり。

念の為ということで常に心拍数をモニタリングする装置をつけられていましたが、

よく突然心拍数が上がって先生と看護師さんが駆けつけてました…☺️

「どうしましたか!?」
「あ、YouTubeの広告が飛ばせなくて焦って☺️💦」

こんなでした。お騒がせすぎる

なのでこの時だけはYouTubeプレミアムに入りましたね

少しでも音楽が途切れると不安になってたので。



一人のごはん中は、

好きなアイドルのMVとかを見て元気をもらってました。

こういう時アイドルはほんと効きますね。

お顔のいい人たちが明るく歌って踊ってるのを見ると、活力に燃えました❤️‍🔥



でもそういった余裕も段々なくなり、

また寝れない夜が続きます。

一人で取り残されること、不安で不安で仕方ないんですね。

不安で死にそうという理由でナースコールをし、

「手袋越しでごめん…」

なんて言わせてしまいながらしばし手を握ってもらう。

そんなこともしました。

脈拍測るって理由で手首を握られるだけでも安心できたんです。

やっぱり自分は一人じゃやってけない人なんだなとこの時強く感じました。



初めはそうやって 気分に合わせて色んな音楽を聴いてましたが、

段々そんな余裕もなくなっていきます。

もう、とんでもなく包容力のある世界的な音楽しか聴けなくなりました。

そう、ビートルズです。


私も特にビートルズに詳しいわけではありません。

知ってる曲

・Hey Jude
・Let It Be
・Yesterday

の3曲をひたすら流し続けていました。

不思議とちょっと落ち着きました。

あぁ、ビートルズは世界中の人たちの子守唄なんだなぁなんて、このとき思いました。

看護師さんたちの対応も良かったです。

検査や掃除で時々入ってきますが、

そのたび自分の世界〜平穏〜を乱されて落ち着きがなくなってた私に、

「あ!ビートルズだ〜いいね☺️もここさんの部屋はいつも何か流れてるから楽しいねぇ。DJみたい!」

なんて言ってくれてました。

ありがたい。



でも心の不安定さはあまり変わらなくて、

相変わらず親や友達とはまともに連絡が取れませんでした。

例えば その時私の病室が304号室で、

バンギャの友達がDIR EN GREYというバンドの曲

「304号室、白死の桜 じゃん!いいね!」

というラインを 私を元気づけるために送ってくれたのですが、

何より"死"を恐れてた当時の私は

その文字を見るだけで気が動転してしまい、しばらくスマホを開けませんでした。

よくそれらの文字が伏せ字になってること、あれにはちゃんと意味があったんですね。

会社のメールで

「お疲れ様です」

という文字列を見るだけで

疲れ過ぎて死んでしまいそうになる、そんなレベルでした。

人事のおじさんの「突然たくさん休まれても困るのです。ちゃんと手続きをしないと…」のような長文メールを見た瞬間も、

怖過ぎて心臓が飛び出そうになり、すぐメールをアーカイブに移してスマホをぶん投げました。

会社とは余計に連絡を取るのが怖くなってしまいました。

そんな風にしばらくネガティブな文字も読めない状況で、

友達にそんなわがままを言ってしまったこと、後々申し訳なく思いました。

自分でも思った以上に心というか脳が弱ってたんですね。



そんな私にも退院の日が来ます。

体的にはもうすっかり回復したからと、退院を告げられました。

でも私はまだまだ大混乱の最中にいました。

なぜならその時、ろくに歩けない状態だったからです。

精神病でなぜ歩けなくなるのか。

それは私にも分からないし色々調べてもやっぱりよく分からないのですが、

本当におばあちゃんのような状態でした。

頭もまだまだ錯乱しており、意味のわからないLINEを友達に日記のように送っていたところでした。

突然外の世界に放り出され、

普段は何も考えずサクサク乗れていた慣れた駅の電車にも乗れず。

というか駅は情報量が多くて、精神病の状態だと何も訳がわかりません。

普段は絶対迷わないぐらい大きな表示があるのに、

当時は本当に混乱で涙目で、

駅員さんに乗り方を聞いてなんとか家に帰りました。



退院後〜実家に逃げ帰るまで

ひとまずコロナが治り退院した私に、

両親はホッとしていました。

でも頭のおかしさが一向に治らず、

相変わらず寝れず。

一応今後も寝れない時のために、と頓服薬や睡眠薬はもらっていたのですが、

「定規などで半分に割って飲んでね」

と渡されていた薬、

定規が無かったので包丁で切っており、

(あ、パキ… これがパキるってやつ?🤪ww
"包丁の正しい使い方"だぁ!(DEZERTという推しバンドにそういうタイトルのライブが昔ありました)🤪🤪🤪www
だはははははウケる)

ともうわけわからないハイになり、

普段登らないような高いところに登りたい衝動が湧き

実際それを行動に移してしまったり。

2階の部屋でしたが、窓枠に腰掛けて足をぶらぶらさせたり

あんま書けないですがそこから良くないことをしたり、ですね。

そういうのをやってました。

何か食べ物を買わなきゃと徒歩3分のコンビニに行こうとするのですが、

自律神経失調症がひどいからでしょうか?

10メートルも歩けず断念したり。

本当に、あの状況もなんと言葉にしたらいいかわかりません。

体力がないわけではないんです。

でももう体が動かないんです。

いつもの道が果てしなく険しく遠い道に思え、家から5メートルのとこでしゃがみ込んでしまい、

諦めて家に戻ったりということを繰り返しました。



夜は相変わらず、眠れません。

友達はあまりいませんでしたが、幸いいつでも電話できるオタクの友達がいたため、

ど深夜に「不安で寝れないんです…」と電話しました。

後にその時の様子を聞いたところ、「酔ってるわけでもなさそうだけど取り留めのないことをずっと言ってて、ヤバいやつかな…と思った」とのことでした😅

ほんとその節は、すんませんでした。

眠れず家にいられず、家を飛び出してコンビニへ。(眠れなくて外に出てしまうというのがもうヤバいです)

夜勤の男性店員に「眠れなくて。なんかいいものありませんか?」と聞いたりしました。

普通の神経じゃ絶対そんなことしません。

なんか栄養ドリンク?みたいなのとカップ味噌汁を勧められたので、

味噌汁だけ買い帰宅。



でももうロクに眠れない生活、2週間ほどでしょうか。

限界を越えそうで、

深夜3時ごろだったかな、親に電話しました。

「もうどうしても眠れない、一人でいられない。今から帰ってもいい?」

と。

さすがに「始発を待てないか?」と言われましたが、そんな悠長なことを言ってる余裕はなかったんですね。

希死念慮とかとは違うのに、どうしようもない焦燥感と危険なハイで高いところに登ってしまう。

そういう状態だったので、

ど深夜にタクシーを呼んで実家まで逃げ帰りました。

3万ぐらい払ったと思います。

不思議とタクシーの中では寝れました。

安心がないと眠れない。

実家まで帰れるという安心に、その時は浸れたのかもしれません。



さて、実家に帰ったもここさん。

これでやっと安心して療養……と思うじゃないですか。

なんと一番ひどかったのは実家にいた時なんですね😇

まだこれ以上があるのかと、思うかもしれませんが。


続きはまた。

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