モコモコ

生きづらさからくる可笑しさと健やかに暮らせる未来をみつけたいと思っています。

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淡くて苦い恋はマスターベーションで儚く終わった話

高校生の頃、私は恋をしていた。 恋をしていたのは同級生の背の高い男の子で、いつも何を考えているのかわからない人だった。指先が綺麗で、それに喋ると聴き惚れてしまうほどの声。サッカー部に所属しており、顔はイケメンという、王道中の王道を私の気持ちはひた走っていたのだ。確かにモテていたし、私からすれば高嶺の花のような存在だった。そう、スクールカーストトップオブトップ(?)のイケメンである。 私みたいなスクールカースト中堅女と釣り合うわけがないと思いつつも、好きな気持ちは日に日に大きく

    • 2020年12月24日 人を好きになるということ

      今日はクリスマスイブです。 こんなにこのクリスマスイブという日を意識したことは初めてなのではないだろうかと思うくらいには恋愛経験が少ない28歳女です。将来平野レミになります。 最近恋愛のことを考えていて、人を好きになるということは自分を見失うことなのかと少し絶望していたところがある。なんでこんなに自分を責めてしまうんだろう。なんでこんなに自信が持てないんだろう。なんでこんなに不安になるんだろう。なんでこんな状況になってしまったんだろう。なんでこんなに強欲になってしまったん

      • 2020年12月31日 大晦日

        昨夜は大雪が降ったらしい。 天井にしか窓がない部屋に住んでいるので夜中は白い雪が見えず、はたまた昼に起きてしまったので積もった雪は既に溶けてしまっていて、真っ白に積もった雪を見ることができなかった。 風がとても冷たく感じて、自転車に乗っていると顔が痛くなってくる。京都は例年より人が少なく感じて、過ごしやすいのはいいのだけどそれはそれで少し寂しい気がする。 実家に帰るために電車に乗った。 この世の終わりみたいな綺麗な車窓を写真に収めたりした。この型番の電車って高校生の時

        • 2020年12月28日 ほうじ茶と冬の匂い

          一日中布団の中にいた昨日とは打って変わって、わたしは外に出て自転車を走らせていた。今日はなぜか暖かくて風が気持ちいい。マフラーをしていると暑いくらいだった。 途中駆け足で入ったファミリーマートでほうじ茶のホットを購入して、マスクを外して喉へ流し込む。その時、ふと遠い昔の感情が浮き上がってくる感覚になった。 冬の冷たい風。土と風の冷えた匂い。そしてお茶の香り。 ずっとずっと昔、わくわくしながら陽の当たる冬景色を見た時の感情。いつなのかは思い出せないけど、迫り来る高揚感とそ

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          2020年12月26日 ゆらぎ

          他人の意見を鵜呑みにしてしまうことが多々ある。 これが結構私の中で悪い癖で、行き詰まったときに他人に意見を求めてそのまま採用してしまう確率が高いのだ。ここ最近ある物事に対して他人に意見を求めることが多くて、わたしとはまったく違う意見を受け取る場面に向き合わされていた。 「わたしはこう思うけど、あなたがどうしたいかが重要。」 というある人が言ってくれた言葉が響く。 学生時代、サイゼリアのドリンクバーで時間を潰しながら女子3人、恋愛相談をし合っていたことを思い出す。相談する

          2020年12月26日 ゆらぎ

          2020年12月25日 世界の終わり

          終わりは始まりであるという言葉は、よく聞く言葉ではある。 知り合いにTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの「世界の終わり」という曲を教えてもらったのだが、一度聴いただけでえらく惹かれてしまい、夕方電車に揺られながら聴いていた。 なにかの終わりを待っている人の曲だけれど、すぐにその情景を思い浮かべることができた。それは近未来、はたまた過去にいるであろうリビングからぼーっと外眺めている自分の姿だった。 私は物事が終わるときが好きだ。何かが終わりに向かうにつれ

          2020年12月25日 世界の終わり

          2020年12月24日 クリスマス・イブ

          メリークリスマス。 イブ?イヴ?まあどっちでもいいけど世間はクリスマスで賑わっているらしくて、騒々しい雰囲気が伝わってくる。 Twitterでは4℃のネックレス論争で盛り上がっていると思えば、今年のM-1グランプリの優勝者の漫才は果たして本当に漫才だったのか論争も繰り広げられており、世知辛い世の中になったものだなと月並みな感想を頭に浮かべながらひとりスマホの画面を眺める。 外に出ると既に真っ暗で霧雨が降っていた。 サラサラとした雨は私のことを少し濡らしたけれど、いつも濡

          2020年12月24日 クリスマス・イブ

          片手にピストル 心に花束

          夏だ。夏になった。 ここ数ヶ月で新しいアルバイトを始めたりして、目まぐるしくはないけどどこか時間の流れがとても早く感じたりする。いつの間にか、というか、気付かぬうちに数ヶ月経っていることかざらにある。いつだって不安と楽しみが隣合ってゆらゆらと揺らいでいるのがわかる。 最近のエピソードを思い浮かべてみると、お盆にベタにおじいちゃんが夢に登場なされ、何かを手渡して消えていくという面白い体験をした。手渡されたそれはどこか冊子のようなリーフレットのようなはたまたフライヤーのような

          片手にピストル 心に花束

          トニセン主演舞台「カノトイハナサガモノラ」がV6史上5本の指に入る作品だった

          ※大いにネタバレを含んでいます!!!観劇した方のみ読んでください!! これは、V6史上重要な分岐点となる作品だった。 御徒町凧作・演出のこの作品。彼は20代のころに舞台でトニセン3人と共演して以来、井ノ原さんと大親友である。この舞台を上演するまでに、1年以上も前から3人とワークショップを重ねてきたとのこと。完全に3人の当て書きの脚本で、3人についてのお話。それ故に3人ととことん向き合った作品になったのではないだろうか。 「アイドル」とは何か「健康第一に頑張っていきます!

          トニセン主演舞台「カノトイハナサガモノラ」がV6史上5本の指に入る作品だった

          会いたいけれど会えない友達の話

          「で。もこちゃんはどうなん、最近。」 お洒落なパスタ屋さんで注文を取り終わった後だった。 彼女が怪訝そうに口を開いた。私はその瞬間どきりとしたけれど、会うのは約2年ぶりだし、ちゃんと今の私のことを伝えなければと思った。大学を卒業してからのこと、就活はせずにフリーターでいること、今やりたいことがあること。数少ない面白みにかける話をした後で、頼んだパスタが来た。彼女は私の話を聞きながら、特に微笑むこともなくパスタを食べ始めた。それから何を話したのかは、あまり思い出せない。食べた

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          薄れゆく記憶とともに

          27歳になった。 歳を重ねただけ、と考えるとそれはそうなのだけれど。 27歳になったとて、そして何歳になったとてあまり自分自身は変わっていなかった。それが良いことなのか悪いことなのかは、わからない。けれど、わたしは変わらず朝起きて、歯磨きをして、朝ごはんを食べて、少しテレビを眺めて1日をはじめる。スマホでツイッターをぼんやり眺めて、新しいニュースに驚いたりなんかして、そんなふうな生活は変わらず今も続いていることは事実なのだ。 忘れたくない記憶や忘れたい記憶、たくさんあるけ

          薄れゆく記憶とともに

          悪い芝居「野性の恋」を観てきた。

          物語はいつだって、終わってしまってから始まる。 恋なんてしなければよかった、恋なんてしなくてもいいんだよ、恋なんてあってないようなものでしょ?、恋なんて落ちたことないよとかなんとか色々と「恋」についての誰かの言葉は脳裏に浮かぶけれど、実際に恋なんてしたこと本当にあるのかな、なんて考えたりして。 恋に落ちた感覚なんてものはないに等しいし、恋をしたいと思ったこともない。ただ、自分の恋に恋してる自分は過去にいたのかもしれない。恋って誰かを想ったり、好きになったりすることだと思う

          悪い芝居「野性の恋」を観てきた。

          当たり前のように生きてしまっている

          ひさしぶりに高校生の頃から書いていたジュゲムブログを開いて、いろんな記事を眺めてみた。あの当時はあのジュゲムブログが秘密基地みたいな場所で、誰にも教えたくない、だけど誰かに見ていてほしい、そんな場所だった。 あの時の空気、あのひんやりした肌触り、匂い、全部当たり前なんかじゃなくて、事実としてそこにあって、そんなことにいちいち感動していた自分がいた。 いつだって前に進みたかったし、感動していたし、笑いたかったし、もっともっといろんなことを吸収したかった。限界があることも知ら

          当たり前のように生きてしまっている

          端末に期待するカラダ

          なんにもないはずなのに、twitterをひらく。なぜかわからないけど、youtubeを流し見る。 どれだけ生産性のないことをしているのだろうか、とぼんやり考えるもスマホを手放せない自分がいる。 それくらい腐りきったわたしのカラダはしっかりと生きてしまっているようだ。 情報発信がしたいはずなのに、端末に刺激を求めて端末と一緒に熱くなり、端末と一緒に眠りにつく。なんて不気味な生活をしているのだろう。新聞配達員が新聞をポストに入れる音でなんとなく目がさめる。そして夜が明けて朝が

          端末に期待するカラダ

          できないことを無理してできるようになると、できない人を見下してしまいそうで怖い

          自分は何をして生きていくのがいいのか、どの環境で生きていれば少なからず幸せと感じていられるのか、そもそもできないことを無理してできるようになったところでそれは私にとってプラスになることなのだろうか、などと考えていた。 自分にできないこと、他人にできないことが各々あるのは当たり前なのに「できる、できない」だけの基準で、下を見ることで安心しながらいままで私は生きてきたのかもしれない、とはたと気づいた。 それってめちゃくちゃ恐ろしいことで他人もそして自分も、もしかしたら潰して

          できないことを無理してできるようになると、できない人を見下してしまいそうで怖い

          人生は短いらしい

          この先何十年も、しんと暗く重い道のりが続くのかとどうしようもなくなったりする。それはいろんなことから起因しているのだけど、そのいろんなことがたくさんありすぎて、どうにも手に負えなくなって、諦めたりして、日々が続いている。 諦めるのはいいとして、このずしんと重いものを持ったままでは、少なからずこの先に進めるはずもないことはわかっている。 26歳になった今、16歳からの10年間はあっという間と言えば語弊があるけれど、気がついたら10年経っていたという感じ。16歳なんてつい

          人生は短いらしい