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8/20 『スズメバチの黄色』を読んだ

『ニンジャスレイヤー』第3部と第4部の間を描いたスピンオフ。しかしここでメインを張るのはニンジャでも、ニンジャを殺す者でもない。ネオサイタマという頽廃と繁栄、革新と硬直を両義に備えて営む近未来都市、そこに生きるありふれた一般の人々だ。『ニンジャスレイヤー』本編にも一般人……モータルが主役の話はあるが、今作では地の文にもある種の遮蔽(マスク)がなされている……即ち、「ニンジャなど空想上の生物、およそありえない存在」という認識に拠っている。その差異の表れとして、忍殺語をほとんど用いない文体がある。忍殺語に慣れ親しんだ身には多少物足りなさも感じるが、そのどこか何かが欠けたような感覚は、まさしくこの世界に生きる一般人の感覚をエミュレートしているようにも思える。歴史の影から人々を支配していた強大な存在……それが巧妙にマスクされて、不穏なアトモスフィアだけを無意識に感じ取って日々を過ごす空気感。
作品設定的には、今作で描かれる時代はニンジャの存在が暗に語られるものだった最後の時代という頃合いだが、それ故に、いざ姿を現したニンジャというものが一般人にとってどれだけ理不尽で理解不能でどうしようもない存在であるかというのが、改めてよくわかる。一般人(しかしまあ、今作に登場する人物の8割くらいはヤクザなんだけど)が陰謀策謀を巡らせてあちらこちらへ奔走し、チバでさえ事態の掌握の為に己の経験と鑑識眼を総動員させている横で、実にお気楽な足取りで獲物を追い、苦もなく突き止め、致命的な暴力を呆気ないほど決断的に振るう。決断的、という語は『ニンジャスレイヤー』ではよく出てくる単語だが、それは「こんなところでこんな物騒なものブッ放しちまって大丈夫か」というような、持て余した暴力に対する恐怖、予断というものが一切ない、という意味でもある。何故なら、かれらは持て余さないからだ。
チバと行動を共にする火蛇と大熊猫が、その後の4部では未だに登場せず(氷川っぽいのは出てきたのに)言及される様子もないことから、あァこれはもう、そうなんだな、って思いながら読んでいたので、ヤクザ大勝利、チバ再起の旗ここに立つ、で終わるのは予想外だった。とはいえ、だからってこの歓喜と熱狂が長続きする気もあんませず……気になるね、ここからAoMソウカイ・シンジケートが新生するまで、いかなる闘争と陰謀があったのか。どっかで読みたいな。

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