3/20 『シン・仮面ライダー』を観た

仮面ライダーにもあんまり触れてきてなかった。『シン・』シリーズでもっとも原作を知らないと言ってもいいかもしれない。初めて触れた仮面ライダーは『ザ・グレイトバトルⅣ』の仮面ライダーZOだったんじゃないかな。だから俺にとっての仮面ライダーとは、火炎放射器がメイン武装で壁蹴りとダッシュアタックが得意なヒーロー……という認識が最初だったのか。その次が『バトルドッジボールⅡ』。あ、あと友達の家でやった、名前は忘れたけど1号と2号が泥臭く戦う横スクロールアクションのゲームもあったな。戦闘員一人倒すのにも結構かかるやつ。
でも大人になってから、平成ライダーは何作か観たりしていた。なのでどうしても比較対象は他の『シン・』シリーズか、平成ライダーになってしまう。それでいくと、今作はそれまでのシリーズに比べ、あるいは平成ライダー作品と比べてさえ、「低予算感」がはかばかしく醸し出されていた……実際の予算がどうかはともかく。きっと意図的に、かなりスケールを小さく限定しているように思えた。いちばん大きくても街一つ分といったところだし。それもそうで、何しろゴジラやウルトラマンは巨大だけど、仮面ライダーはあくまで人間大だものな。さらに今作におけるショッカーは世界征服などを企んでいるのではなく、人類の幸福を願った先に一個人の極端な希望を怪人化というかたちで叶えるというものだから、危機のスケールも怪人によって一つ一つ変わってくる。悪の組織が毎度毎度特長がいちじるしく違う怪人をつぎつぎ繰り出してくることに対するエクスキューズだと思ったけど、結局それが作品全体のテーマにもなっているのだから、凄い、考えられている。作品のキャッチコピーとして「変わるモノ。変わらないモノ。」とあるが、変わるモノとはショッカー(というか、「悪の組織」)であったか。では変わらないモノが仮面ライダーだったのかな。
戦闘シーンは、開けたところでの立ち合いはとてもスピーディで良かったし、ジャンプしたら場所が変わってるのも、めっちゃジャンプ力があるということを納得させるのに一役買ってて上手かった。だが逆に閉所での戦闘となると、いまいち盛り上がりに欠けた感じがする。どこがどうというわけじゃないけど、「なんか……やってんなあ」という気分から抜け出せぬままだった。やっぱ仮面ライダー、ライダーだけあって孤独でも背景にはみしっとした室内よりも広がる空が相応しい。
2号ライダーの一文字隼人も、そりゃあ良かった。公開後まもなくしてツイッターに一文字隼人だけでトレンドに上がってたから、出るんだろうし、オイシイんだろうなと思ったが、まったく評判に違わぬオイシさ。1号と並んだ時の身長差も大変に良かった。
『シン・ゴジラ』や『シン・ウルトラマン』を観たときは、過去のゴジラ作品、ウルトラマン作品をもっと観てみたくなったのだけど、『シン・仮面ライダー』に関しては、過去ではなく今やってる仮面ライダーを、最近はちゃんと観ることなくうっすら眺めていた令和ライダーを、また観るようにしてみようかなと思えた。この差が何によるものかはわからないが。ゴジラもウルトラマンも現在に至るまで連綿と続いてるけど、それにも増して仮面ライダーは「現行」というイメージが自分の中にあるのか。いずれ半世紀ほど後に『平成・仮面ライダー』もしくは『令和・仮面ライダー』が制作されたときのために、今の仮面ライダーを観ていろんな気持ちを貯めておきたい。半世紀後の庵野秀明が、どんな気持ちも混ぜ込んで昇華してくれるだろう。

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