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9/12 『ブギーポップは呪われる』を読んだ

4年ぶりのブギーポップ新刊発売決定の報を受けて、まず驚いたのはやはりタイトル、いつもの『ブギーポップ・○○』から始まるやつじゃない! まさか……最終巻か? 『笑わない』から始まって『呪われる』で終わる……ってことか? と危惧したが、とりあえず多分そうではない、のだろう。まあもはやブギーポップに明確な完結というものも無いだろうと思ってはいたものの、それ故にこれで終わりでーすと言われたら甘受せざるを得ないということもあり。ちょっとビビったが……特に冒頭の霧間誠一引用が、なんだかこれまでの上遠野浩平作品すべてのエッセンスが込められた一文っぽくて、うわなんか最終巻の序文っぽい……! とは思ったけども。多分大丈夫。
では何故ここにきていつものパターンから外れたタイトリングなのかといえば、第1作たる『笑わない』は措くとして、『夜明けのブギーポップ』と同じく、ブギーポップの成立にまつわるお話であったからだろう。『夜明け』はブギーポップ(と、炎の魔女)の成立を、その当人の内情を踏まえて描いていたわけだが、今作はそれを外側から描いていた……のかな。世界に敵するもの、そして更にそれに敵するものはこうして生まれると。世界の危機はそこら中に転がっているものであり、誰もが世界の敵たる資格を持ち得る。その事を端的に示したのが今回の「呪い」であり、それを操る敵だった。だからその末路も、ある種ブギーポップと同じような存在となって世界に潜む……こうしてこの世にまたひとつ怪人が生まれた、という怪談。ある意味今作は『ブギーポップ』という作品の入門書として最適であったかもしれない。もしくはこれから非営利活動法人「統和機構」に入会した人が最初のオリエンテーションで配られるマニュアルとして。それにしては組織のナンバー3があっさり支配されちゃってるけど。
そう、そのナンバー3だが……ギノルタ・エージ、いや鬼乗汰栄二、なんだそのふざけた偽装名は。もうちょっとやる気を出せ。いや、いやでも「統和機構のナンバー3ことギノルタ・エージ」という肩書きが当人にとっては偽装で真実は水乃星透子の忠実なるしもべ、と考えてるからあえてそう名乗っているのか……と思ったらそれも忘れさせられてたし、なんなんだお前は。結果的に深陽学園という人類進化の爆心地みたいなスポットをまるごと見逃してしまっている……人間の認識を「つじつま合わせに過ぎない」と言っていた男が、シリーズが続くことで必然的に生じてしまったメタ的な現象のつじつま合わせを担わされてしまっている。皮肉にしては、ちょっと面白すぎるぞ、ギノルタ・エージ。
そして今回の敵たる〈シャドゥプレイ〉は、ブギーポップを直にターゲットとして狙っているあたりも含め、なかなか格が高い。というかそもそも彼女は今回の「世界の敵」だったのか? って気もする。もちろん、ブギーポップが出てきている以上は少なくとも世界の危機が迫ってはいたのだろうが、しかし「呪い」……作中で語られるその説明を信じるならば、あまりに概念として大きすぎるし、それを操る〈シャドゥプレイ〉も、結局のところ操っていたのか操られていたのかという感じだし、操られていたのならば何に? そしてそれが世界の危機ならば……もう、ブギーポップ出ずっぱになっちゃうじゃん、という。炎の魔女でさえ、(少なくともこの段階では)対抗するすべを持たなかった。だから、今回世界を救った木下哲也は偉大だ。木下が実際のところ何をやったかというと、一見何もしてないように見える。自身が生み出した呪いの起点に立ち、そこに顕現した百合原美奈子の怨霊(?)と対峙したが、彼女に対して何かしてやれたというわけでもない。これが『事件』シリーズで、ここがあちら側の世界であるならばこの呪詛をどうにかできたかもしれないが、いかんせん今作は『ブギーポップ』シリーズで、いまここにいる木下は何の能力も持たないただの生者であったから……それを呪詛に自覚させ、この世界から去らせたというのが木下のやったことになるのか。それってつまり、「お祓い」をしたってことになるのかな。
〈シャドゥプレイ〉は影に潜り、けして消えることはなく人間が生き続けている限り共に存在し続ける。そしてブギーポップもまた同種の存在であり、いずれは共にひとつの影となると予言を残す。これまであらゆるものから外れた例外的存在として描かれてきたブギーポップだが、しかしそんな影法師ならぬ黒帽子も、しょせんは今を生きる世界の一部でしかないことを、あらためて宣告する……なんだか段々と包囲網は狭まっていっているような気がしないでもない。まだ見ぬ『ブギーポップ・ストレインジ』に思いを馳せつつ、今回も面白かった。

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