新奇な出来事に対して


SNSが対立を煽る傾向があると、前に書いた。

製作者や、管理する企業が、その手の使い方をするなら、下流…SNSを使う側も、少なからず、影響されるのだろう。

また、SNSは脳と能を合わせるくらい近いとも言われる。

これは、たぶん…というか本当に身体や精神的な外界のコミュニケーションより、速いし、影響は強いだろう。

言葉を使うことにも、強者が居たり、発言力の強い者がいたりして、身近な人間よりも正論や道理をいうと、発言力の強い方が正しいと思えてくるから、不思議だ。

しかし、人間は間違うし、現代以前はもっと、正解や道理に到達するのが遅かったのではないか?

SNSの功罪である。

子供でも、しっかりした人間はいる。

私など、彼らに会うと焦るくらいだ。

真っ当で、マトモで、強い発言力や、正論、道理を説くとき、じゃあ果たして素直に、それに従えるか?とも、思う。

マトモな意見や発言力であっても、中身に棘やカミソリが、含まれていたら、従うに従えないことはある。

実は、世の中は結構そういうのがあるし、それに揺れながら皆、生きている場合がある。

だから、中をとった意見に…となるのだが、周りも正しい意見が輝きすぎていて、目くらましにあう。

人間や世間の理解が悪いのではなく、新奇な意見が、受け入れにくいのは、そこだ。

逆に、考え無しに受け入れてしまうのも、そこにある。

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