オカルトを拗らせないために(現実主義)


地震があったとき、〇〇の波動が足りない…云々という意見をチラチラ目にした。

ある、そこそこ有名な方が「この国は神道だからみんな生活基盤も…」どうのこうの言っていた。

信教の自由はどうなったのだろうか?

私の印象では、この国では七五三に行き、受験の願掛けにお参りするという現象があり、信教の自由というより、その場限りの宗教に思う。

たぶん、その方は反論されればカッときて、国民生活の至る所を例にあげながら、神道の浸潤を述べるだろう。

正直、時間のムダである。

だから、信教の自由になっているのだから、突っ込んで意見しない方が良いのである。

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ただ、神道というか神社から派生というか、個人が空想をくっつけただけというか、そういう印象のものが意見として見られる。

「愛の波動」とか

邪悪な気が地震を…とか

いろんな世界の見方があるのだろうが、そこに深入りしすぎると、傍から見たら何を言っているのか分からなくなる。

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