何も残さない

子どもに過剰な期待をするのは、ともかく何か残したいとか、もう少しやってやれたら、と思うのがある。

これは、己のエゴなんだろう。

でも、そんなにモノを与えて、子供が全て喰えるだろうか?と…そのときは中々、思えないのだ。

何か残すと言っても、それを子に託すというのでも無いし、あたかも自分のコピーにしたい、というのでもない。

コピーはとんでもない。

何か自分の面影がある…くらいで、丁度いいのかもしれないが、それでもアレヤコレヤと付け足してしまうのは、自分の不安か?己の形見として、この世にこの子を置いて去る、みたいな。

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S医師などは、親が子に託す負担は時に暴力性を帯びると言った。

これは、どこかで禁欲しないといけない、と。

たぶん、ときどき思い出したように反省しないといけない事柄のようで、自分の生きた時代とは別の生き方が生まれ、それを子どもに任すくらいじゃないと、ダメなんだろう。

過去の荷物が…考え方だったり、習慣が、次の時代に重くなるなら、まずは、沈没する船から荷を投げるように、生き延びることを優先しなくてはならない。

時代のアンテナについては、若い子には敵わない。

年寄りにできることは、習慣の深い部分で変わらない部分から、ボソッと呟くくらいしか出来ない。

よしもとさんなどは、若い頃の決別について、新しい物事に取り組んだり、愉しむ若い子を見て、ああ…これからの若い子のやり方なんだ、と実感されたそうだ。

次の時代にバトンを譲るというか、自分から引くという、目安なのだろう。

道を譲る。

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