次世代に哲学や古典は不要?


最近の研究者というか、時代の先行く人間は、古典や哲学はやっても意味が無いという。

たぶん、古典などは纏めておらず、ナマで行くにはキツイものがあるゆえ、初心者には難しいと言うのだろう。

村上春樹もまた、古典は現代語訳に、ときどき更新すべきだ、と言っていたが、さらに今は情報が速くなり、要点や要約から、内容を知る方が良いのか?

流行りが全ていいかどうか知らないが、この国の常識というか、進ませた科学や人知などを求めるには、どうも海外に目を向けざるを得ない。

海外では、心理学より脳科学が主流になってきているようだが、人文もまた若い研究者には、不要というから、どうなのか?

たぶん、情報処理、(今までや)新たな問題解決をするには、今までの学問は意味を無くす場合もある、と読んでいるのかもしれない。

そうなれば、温故知新は意味が無い。

ネットなどでは、今までの知識の上書きみたいな言説が確かにあり、もし、先端の知識や学問に触れたいなら、大きな書店に足を運び吟味するしかない。

たぶん、この国をぐるぐる回る情報や、知識の連想、オリジナル視点では、思考のパラダイムは起きない。

もし、時代の先ゆくものがあるならば、不要になったり、意味が無くなった教養や 思想は足を引っ張るとか、害になるのを知っているのだろうか。

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