快楽主義と老婦人(物語)
工場を出るていつもの老婦人が話してきた。
あなたは、生活を楽しんでいるか?と。
それなりに、私は楽しんでいると思うけど、なかなか生活もやっていかなくてはならないから、思うようにはいかない、などと私は返答した。
気遣ったからか、老婦人は、人生は楽しむのが1番よ!生きている意味が無いじゃない?
何でも、首を突っ込んで楽しむといいわ。
ベテランの工員といえど、給料はたかが知れている。
租税も半分持っていかれるし、たいした生活はできないはずだ。
しかし、富裕層のような羽目を外せる楽しみので無く、ささやかでも、小さな楽しみや生活…人間の欲求に対する楽しみはできる。
いかに輝けるか?というのが、夢であると小学生でも語る。
何かをなしとげたり、何かを勝ち取ったりと、大リーガーになりたいと言う子供は多い。
逆に、医者になったり、科学史になったり、宗教家になったり、というのは副次的なもので、世の中は直接的な夢を見たがる。
個人の輝きは、それで素晴らしいが、個人プレーが高じて独り善がりになれば、終わりである。
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