悪ノリに乗らない、甘えを極端に受け入れない
もし、世の中の不都合が、可哀想なだけで、ケアが必要なだけな世界になれば、物事は混沌と化すだろう。
河合隼雄は父性や母性について述べた。
そのあと、周りの著名人や専門家さえ、父性が良くないとか、父親殺し(シンボル)を盛んに便乗した。
作家でさえ、キリスト教由来の父性は、供養され、解体されるべきと、言ったものがある。
しかし、父性の真意は物事の切り離しや区別にある。
それを、全ていけないとするなら、全体的に混沌になるのは、当たり前だろう。
また、父性復権など極端な言説もあったが、あれは感情だけで叱る父性が、良くないとされ、声を消されて言った。
もし、時代が父性を誰が役割りを追うのを許さないなら、個々人のなかに、父性が、あるようにしなければならなかった、と思う。
最近、気になるのは解決やケア、要領を良く述べる専門家がいるのは結構だが、肝心の罰則や、判断について話ないことがある。
むしろ、加害者の人権擁護と、騒がれ問題となる遠因に、それがあるのではないか?と感じる。
要は、適切なペナルティである。
それなしに、ケアや要領だけ叫んでも、問題の解決に近づかないのは、当たり前だろう。
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