日本保守思想の研究 7

 まず、お詫びしたいのは以外にこの論文紛いがかなり好評であり、じっくりインドの政党のこと書きたかったが後日にする。

  1 破綻した大日本主義

日露戦争後大日本主義は朝鮮占領の完成と更なる拡大主義を進めた、しかしもうその頃には、明治の藩閥政治は機能しなくなる、民主主義の民主政党が政界のキャスティング・ボートを完全に握ったのだ。
  陸軍の2個師団増設計画は頓挫した、もちろん形式的にでも存在する民主機関帝国議会の反対のためであった大日本主義にとっては屈辱である
既に明治時代後期には、小日本主義の勝利を得るところであった
当時の元老山縣有朋率いる 大日本主義
グループ と 大隈重信や板垣退助 の 小日本主義 グループの スプリットーそれは
今に続く2保守思想の原型が政界に現れたのである。
この2つの思想的なものは、ひとつは山縣有朋のパーソナリティであり、もうひとつはアンチテーゼとしての反山縣有朋的考えである、それは政党政治に則ったものであるが。そうそれ以上の理論的哲学的政治的思想はついぞ生まれなかった。
それは日本の文化的後進性なのかもしれないし、小日本主義の保守思想の理想は 究極は国体の変革ーつまり大日本帝国憲法改正になるしかも天皇が天皇で無くなるという、日本が外国に占領されるしかないか革命戦争になるかという
悲劇な状況でなければ実現しない運命を背負うことになってしまったからかもしれない、尤も大日本主義とて
その後は史実が証明しているように外国との衝突で大日本帝国を破滅に追いやったが。
山縣有朋のパーソナリティは令和の今も
存在する、野党軽視の国会運営や難民に対するダブルスタンダードーウクライナ難民と有色人種ー(ミャンマー(ビルマ)難民との異様な格差、少数派国民への冷徹で頑固な差別的思想ー何度も日本に住む 最大少数派それは女性への差別発言や差別的政治制度やLGBTQの人々への絶対的差別     
沖縄県という新しい朝鮮半島ーそれはつまり差別対象などなどの
自民党安倍派らの国会議員を中心としたグループに脈々と続く思想なのだ。一方の思想は自民党の茂木派なのグループに引き継がれる。
ここで理解できるのは、そう岸対田中の暗闘なのであるーそれは現代に続くのだが
第一次護憲運動や大正政変のあと、政界のキャスティング・ボートは小日本主義が握ったが、大日本主義の反撃凄まじい
原敬が総理大臣になると、政党政治が形式的にも完成した、ここで大日本主義は
この考えを政党にして対抗それまで、右翼利用で政治テロで反抗した、原敬以後
19人総理大臣が生まれたが半数が非業の死を遂げるのだった…

続く






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