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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[197]白と黒を合わせる

第8章 風雲、急を告げる
第5節 閃き

[197] ■1話 白と黒を合わせる
 ナオトは、再び北の疎林に通い出した。そしてある朝、イシクが焼いたはがねもとを鍛えてこれはと思う鋼の小板を作った。
 このあいだ、北の疎林まで来てくれたイシク親方が、棚に並べてある板をいくつも手に取ってみていい鋼だと認めてくれた。しかし、今朝けさできた鋼の板は、これまでに作ったものとは違うと直感した。
 てかてかと光る欠片かけらを念入りに選び、炭火で熱して何度も叩いて鋼の小板にするところまではいつもの通りだった。これを何枚も重ねてテコに載せ、熱して叩いて小さな塊にまとめてから延ばし、折り返す。
 何度目かの折り返しのときに、ナオトは鉄に粘りがあると感じた。たがねを当てて刻みを付けた後に叩くと曲がる。その曲がり方がいままでと違う。それに、どう表せばいいのか、鋼がつち先を受け止めているように感じた。思わず、「あれっ」と声が出た。
 ――そうか。曲がるということは、粘りがあるということだ。土と同じだ……。
 不思議だった。あのごつごつとした鉄に粘りが出る。知らず知らず、鎚を振り降ろす手に力が入った。

 鉄囲炉裏での作業を続けているうちにできた血まめは一度ならずつぶれ、折れて替えたばかりなのに、手鎚のの握りはもう乾いた血で汚れている。
 もともと色と手触りがほかとは違っていた鋼の素の欠片かけらが、今朝、合わせと折り返しを経て一本の鋼の棒になった。初めて粘ると感じた鋼だった。
 折り返しをするとき、黄色に輝く鋼の表面に黒いカスが浮き出てきてがれ落ち、鋼の目方めかたは次第に減っていく。この白っぽく光る塊から作った鋼の棒は、山の端の寄り合い所で見せてもらった漢の鉄剣と同じ長さにするにはまるで足りなかった。
 ――これを剣に仕立てても、短剣にしかならない。
 いい鋼が足りない。ならばどうすると、北の疎林からの帰り道、それだけを考えてシルの背で揺られていた。そのとき気が付いた。
 ――そうかっ。足らなかったら別の鋼と合わせればいい。白と黒の鋼だ。二つ合わせればどうにか剣ほどの重さになる。それに、粘りがあるために折れにくくなるかもしれない。二つを合わせる。エレグゼンはこれを言っていたのだ……。
 鍛えた鋼の小棒はどれもほぼ同じ大きさで、そのうちの最後の一本が白い鋼の素から作ったものだった。
 ――鋼の小板を合わせられるのだから、白と黒の鋼の棒も、一度平たい板に戻してしまえば合わせられるのではないか? 合わせておいて、その後に一回だけ折り返せば、白を黒で包むことができる。エレグゼンが言っていた通りに白い鋼に黒い鋼を被せることができる。よし、やってみよう。

 実際に取り掛かる前にイシク親方に会いに行き、その話をした。どうなるか、親方の考えを聞いてみたかった。
「合わせて大きな鋼にすることはある。だが、性質たちの違う鋼をわざわざ合わせるというのは、わしはまだやったことがない」
 それは、日々手にする小刀や斧を作る者の答えだった。
 イシクがこれまで極めようとしてきたのは、きん掘りに使う鉄の用具と材料を頼まれた通りの形と大きさに作り、また、ヒツジの毛を刈る鉄ばさみや日々使う刃物をどうやってよく切れて、使いやすいものにするかだった。そのため、白と黒の鋼を合わせるなど、考えたこともなかった。
 ――ナオトは、わしとは違うことに取り組んでいる。だから、違う鋼を合わせるなどということに気が付く。言われてみれば確かにそうだ。それに、やってできないはずはない。
「ナオト、どうなるものかやってみろ!」
 イシク親方は近くの棚まで歩いて行き、革の袋に入った透き通るような砂をくれた。
「昔、丁零テイレイの鍛冶が、南のトゥバットから来たキョウ族の者に頼んでわざわざ取り寄せたものだ。滅多にないが、鋼で大きなものを作るときには、わしらはこの砂を使う。鍛冶場には欠かせない、つなぎのすなだ。
 二つの大きな鋼を合わせようとするとき、あいだにその砂を敷いて熱すると鋼はくっついて、上から叩いてもずれにくくなる。使ってみるといい」

 翌日。北の疎林に着いたナオトは、当たりを付けておいた黒い鋼と白い鋼の棒を持ってきて手で重さをはかった。
 ――うんっ。これでいい。
 炭火で熱し、それぞれを一度ずつ折り返し鍛錬してから延ばし、平たい板に戻した。その後で、その二枚の大きな板を重ねてどうにかテコに載せた。二枚の間には透き通る羌族のつなぎの砂を薄く敷いてある。
 ――この厚い板を合わせて延ばすのか……。
 黄色に輝くまで熱くなったところで火から取り出し、慎重に金床かなとこに移して叩き、合わせた。つなぎ砂が働いてか、二つの鋼は叩いてもずれることはなかった。
 黒い鋼の側を上に向けて、真ん中にたがねで刻みを付け、白い鉄が中にくるようにして折り返した。いつもと違って、鋼が大きく厚いので難しく、つちを大きめのものに替えた。そうやってどうにか白い鋼を黒い鋼で包み込んだ。
 迷いはなかった。このあとは、熱して打ち、剣の大きさになるまで少しずつ延ばしていく。口で言うのは易しい。しかし小刀とは違い、これを実際に鍛冶場で一人でやるとなると大事おおごとだった。
 ――小さければめるヒツジの肉が、欲張って大きなものを口に含むと噛めなくなる。それと同じことだ……。
 ナオトは、妙なたとえだなと思い、しかし、確かにそうだと一人笑った。
 小さい鎚ではこの厚い鉄の棒は延ばせない。そこで、いくつもあるうちから大きめの鎚を選び、柄を短いものに替えた。その鎚を片手で扱うのだが、重すぎて、うで力のあるナオトでも長くは振るえない。
 どうやって剣の長さにまで延ばすかとよく考えて、そのやり方を心に描き、「えいっ」と大きな声を上げながら大鎚を打ち下ろした。どうも、金床を水で濡らしてから打った方がカスが飛ぶなどしていいような気がする。
 ――やってみてだめなら、また白い鋼を見つけて一からやり直すだけだ。それにしても、この大鎚は片手で扱うには重すぎる。少しやってみてだめなら、エレグゼンを呼んで手を貸してもらおう……。
 こうしてナオトは、次の手順を確かめながら、焦ることなくゆっくりと前に進んだ。

 毎日、夢中で取り組み、なんとか、鋼を剣のような形の長い真っすぐの棒にした。カケルからもらった小刀を長めにすればいいと、そんなふうに考えていたためだろうか、その棒は山の端で見せてもらった漢兵の幅広の剣とは違って細身になった。試しに木槌で打つと、キーンと高い音がした。
 イシク親方の話を思い出して、剣身のうちつかになる尻の部分を棒のまま残した。切っ先の形をよく考えてたがねで落とすと細い剣のような形になった。前に小刀を作ったときに、角を落とすときには平らな剣身の刃にはしない上側をと決めたので、その通りにした。
 ――切っ先は、後で手鎚で下の方を打ってとがらせていったほうが形になる……。
 漢の剣はどうだったかと思い出しながら、剣身の両側に刃を付けようと真ん中から下に向けて細かく打っていった。曲がりやねじれはないかと、ときどき手を休めては確かめる。叩いて薄くなった刃の部分をやすりで削り、濡らした石で磨いた。
 翌朝、仕上がった剣を叩き布で巻いて背負い、親方のところに持って行った。

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