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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[209]メナヒム一家とヨーゼフ兄弟の出会い

終章 別れのとき
第2節 メナヒムとヨーゼフの物語

[209] ■2話 メナヒム一家とヨーゼフ兄弟の出会い
 ある晩、戸口でガヤガヤと音がして、やみの中から突然、ヨーゼフとダーリオの二人が現れた。西の荒れ地を通ってきたという二人は埃にまみれていた。
 わしは寝惚ねぼまなここすりながら戸口の方を見た。それがヨーゼフを見た最初だ。ロウソクのぼーとした灯の中にひげもじゃの顔が浮かんでいた」
「……」
「ヨーゼフがわしら兄弟に名前を訊くので教えると、自分たち同族の間でよく聞く名だと言った。そこでヨーゼフは、父に一族の名前を訊いた。レヴィだと答えると驚き、『ああーっ。やはり同族か』と言って、父の手を取った。
 ヨーゼフは庭先で、わしらがシーナから逃げてきたと聞いていた様子だった。漢についてはいろいろと見聞きしていたヨーゼフだが、ニンシャについては聞いたことがなかったらしい。
 父が、そのはるかに遠いニンシャからここまでどうやって旅してきたかを話すと、『まさか!』と言ってもう一度驚き、百人もいる我ら一族がシーナからの長い旅をどうやって一人も欠くことなく無事に終えたのかと、不思議がっていた。そして、『きっと神が護ってくれたのだ』と言って天を仰いだ。

 お前の父のカーイが寝惚けたまま母にヘブライ語で話し掛けるとヨーゼフはびっくりして、
『昔、バクトリアの子が使っていた言葉だ。私たち二人はバクトリアから来たのです!』と大きな声で言った。
 ニンシャから来た仲間にもバクトラ出身の者がいた。イシクの一族がそうだ。そう伝えるとまた驚き、喜んで、父の肩を何度も叩いた」
「……。親子何代も別れ別れになっていた同郷の者同士が出会うというのは、どういう想いなんだろう。しかも、ハミルのような土地で」
「……。その後、何日か一緒に過ごすうちに、『それにしても、シナの将軍はなぜ見逃したのだろう』と、ヨーゼフは父に一度ならず訊いていた」
「その将軍とは、いつか話してくれた李陵という将軍ですか?」
「いや、その祖父の方だ」
「そうか、それほど前のことなのか……」
「父が、『春を待って、我ら一族はアルタイを越えて行きます』と伝えると、ヨーゼフがまた、『まさか?』と言った。昔のことで二人の話の細かいところはあやふやだが、その言葉だけは覚えている。まさか。その夜、ヨーゼフは何度もそう口にした。それに、『ハカスは遠い。一月ひとつき休みなく歩いても、着くかどうか』とも言った。
 眠かったということもあるが、わしはいまでも、その夜の話し合いは夢だったかと思う。何しろ、いつ終わるか知れない一家での長い旅路の末に、初めて希望のようなものが芽生えた晩だった。
 わしのヨーゼフに対する思いがどのようなものか、お前にもわかるだろう?」
「……ええ、わかります」
「そしてヨーゼフは、『しかし、幼い子等を連れてどうしてもそこまで行くというのならば、我ら兄弟もご一緒しましょう』と言ってくれた。荒れ地の旅に慣れた様子の、砂埃すなぼこりで汚れたままの二人のソグド商人がそう言ったのだ。
 その晩、母は父に、『本当に心強い……』と言って泣いた。それをわしは、寝たふりをしてすぐそばで聞いていた。
 幼い子がいれば、いろいろと入用いりようなものがある。どれも、逃げ延びてきた旅先では手に入りにくいものばかりだ。そうしたものをヨーゼフは、いつも、バザールのどこかで探してきてくれた。『どうやって?』と問う父にヨーゼフはよく、『ペルシャの幻術げんじゅつです』と笑って応えていた」
「ペルシャの幻術げんじゅつか。吾れはウリエルがそう言うのを何度か聞いたことがあります。あれは親譲りの言い回しだったのか……」
「……。その後、アルタイを越える旅の途中に、ヨーゼフ兄弟とわしら一族は別れることになった。昨年の夏、北の鉄窯を見て回った帰りに、お前が野羊アルガリを見つけて狩ったあのオヴスノールの近くだ。
 そのときわしは、子供心に、ヨーゼフたち二人にはもう二度と会えないと思った。
 しかし、その次の年の秋に、わしら親子はようやく落ち着いたトゥバの家でヨーゼフ兄弟をもてなすことになったのだ。
 ハカスの金山から下りてきて、二人はわしら親子を見つけ出した。
 その晩、幼いお前の父は、まるでヒツジの子のようにダーリオの周りで飛び跳ねていた。再会を喜んだのはわしとて同じだ」

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