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体罰禁止は信者のため 説明力と出世 悪気と善意の免罪符と闇バイト 自称正義と謝罪

1、鞭打ちなどの体罰
サタン側は、刑務所の拘留刑で犯罪者が更生する効果があるかどうかは、全く興味がない。
サタン側が気にしている唯一の事柄は、神の信者が死なない事だ。
神の信者が死ぬと神が怒ってサタン側を地獄へ落として焼き続けるか魂を消す。だから、サタン側は神の信者が死なないようにする。
ヘタに鞭打ちなどの体罰刑をすると、何かの手違いで神の信者が死ぬ危険性があるから、サタン側は体罰刑をやめたがっていた。
信者は、自分が死んでも、サタン側に従わないで死ぬなら殉教になるからいいけど、サタン側は死活問題である。
そういう訳で、サタン側は、体罰刑を減らしていって、拘留刑を増やしていく。こうすれば、神の信者が手違いで死ぬ危険性が下がる。
道徳心・人命・憲法のために体罰刑を減らしているわけではない。

2、サタン側の目的
体罰禁止で犯罪者が更生しなくなっても、サタン側にとってはどうでもいい。
被害者が出ようが知った事ではないのがサタン側だ。
そもそも、神の信者と犯罪者は何の接点もないから、神の信者が犠牲になる危険性は限りなく低い。
サタン側は、犯罪の抑止が目的ではなくて、神の信者が死ななければ良いだけの話である。
だから、神の信者と関係ないところでどれだけ殺人事件が起きても、サタン側にとってはどうでもいい事なのである。

サタン側は、背信者の被害者を守る気は全くないし、遺族をケアする気もない。神の信者が死なない事だけが気がかりなのである。
だから、加害者は懲罰されないけど、被害者は守られない事件が何度も続くだろう。
ただし、あまりにも被害者を見殺しにすると不自然過ぎて、人々が疑って、神の存在に気付いて、神に立ち帰るから、サタン側の目的の「人々を地獄へ道連れにする」事ができなくなるため、適度に被害者を守って目くらましにする。
事件が10回ほど起きたら3回ぐらい加害者を懲罰すると、人々は不満のガス抜きになって、疑わなくなる。

3、出世と分業
説明能力のある人を出世させる理由は、説明能力のある人を冷遇すると、苦しんで神の存在に気付いて、他の人々に説明能力を使って神の存在を理解できるように説明するからだ。
だから、説明能力のある人を出世させて、社会的地位を惜しむように洗脳して、サタン社会に未練があるように仕向けて取り込む。
昔みたいに自分の衣食住を自給する割合が多い社会だと、説明能力はそこまで必要ではなかった。
分業にして、説明力が無いと出世できないようにサタン側が社会を捻じ曲げた。どうやれば説明力のある人を出世させてコントロールできるか、と考えた結果が分業社会だった。
分業社会でなければ、出世なんか存在しない。自給自足する人に分業や出世など存在しない。出世を餌にして人々を支配できない。

4、悪気と闇バイト
悪意の有る無しで赦す赦さないを決めていると、他人の犯罪を闇バイトで請け負ってしまう。
なぜ犯罪の闇バイトを請け負うのか。それは自分に悪意がないから犯罪をしても赦されると思っているからだ。
悪気がないから悪くないと思い込んでいる。
悪気がなければ犯罪をしても犯罪ではない悪ではないと思い込む。

悪気の有る無しで赦すか赦さないか決めるのは神だけである。
神は心の中を読めるから、人間の悪気の有る無しも判るからだ。
人間は他人の心を読めないから、相手の悪気の有る無しで赦す赦さないを決めてはいけないのだろう。神の任せればいい。

悪気や悪意が何なのかも判っていない人間が、悪気がないから犯罪をしたとか言い出す。
せいぜい、悪気が無いと言えば何でも赦される不思議な言葉、程度にしか思っていないのではないか。
子供が「この言葉には凄いパワーがある」と思い込んで何回も繰り返すのと同じで、言葉の意味が全く理解できていない。
言語力がないから犯罪をする。

悪気が無ければ赦されるという考え方。
善意なら何をしても赦されるという考え方も似たようなモノ。
自分が正義だから人を殺して赦されるという考え方に近い。
犯罪者が一つでも悪行をしたら、その犯罪者に百の加害をしても良いという考え方に近い。犯罪者は一つの犯罪の償いをする必要があるけど、百の加害をした自称正義は百の犯罪の償いをする必要がある。
自分で善し悪しを決めるから、軽々しく犯罪をする。

世間が自分たちの価値観で善し悪しを決めるから、犯罪者も自分の価値観で善し悪しを決める。
他人が善行をしていても自分は悪行をするのが人間なのだから、世間が自分の価値観で善し悪しを決める悪行をしていたら当たり前のように犯罪者も悪行をする。
人の振り見て我が振り直せは、善人だけがする。善人は他人が悪行をしていても真似しないで自分は善行をする。
悪人は、他人が善行をしても善行を真似しないけど、他人が悪行をしていたら悪行を真似する。

犯行人数が多ければ責任が分散されると思っていると、人数が集まると平然と犯罪をするようになる。
実際の法律では、集まると集合罪や教唆罪とかも加わるから、もっと量刑は重くなる。

5、自称正義はロクデナシ 謝罪
自分が正しいと言っている人間は確実にロクデナシだ。
薬害でも自分が正しいと言っている奴らは、大勢の人を殺した。

神の信者は、正しい神を信じているだけで、自分が正しいとは思っていない。
ただ、この言い回しをすると七面倒になるから、「これが正しい」と断定口調で言う。
俺も紛らわしい事を言っていたから、謝る。
申し訳ありませんでした。
言い回しを少し考えてみる。

薬害の推進派は、自分が一つ正しい事をしていると思い込んだら、数千数万の悪行をして虐殺しまくった。
その一つの正しさですら間違っていたから、ただ自分が正義だと思い込んでいただけの大量殺人犯である。
しかも逮捕されないし、反省もしない。これが自分たちで善し悪しを決めるから、なあなあで終わる原因である。
神の善悪観で決めている人々なら、こんな自分が正義と思い違いをしている人間を追放している。
自分たちで善悪を決めているから、いつの間にか大量虐殺される。
薬害以前は大量虐殺されなかったのは、神の信者が居るから、サタン側が神の信者を殺さないようにしていたから、大量虐殺をし辛かっただけである。

自分が正しいと思う人間はロクでもない。
自分は正しい神を信じているだけ、と思う信者だけがまともである。

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