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ニセ英雄の虚栄心と散財癖 カルト以上の異常者 謝罪

、ニセ英雄
天の主に立ち帰るのが唯一の助かる手段であり、社会が良くなる手段。
神の信者が死ぬと神が怒ってサタン側を地獄へ落として焼き続けるか魂を消すから、サタン側は信者を殺さないシステムを作る。
サタン側は、信者を殺さないように社会を改善するけど、何のカバーストーリーもなく、いきなり社会が改善されると不自然になり人々がサタンの存在と神の存在に気付く。
だから、サタン側は社会の改善が不自然にならないように、何らかの英雄をでっち上げて、その英雄が社会を改善したストーリーを作る。
今でも日本で妙に政治的に活躍する人間が出てくるのは、そのカバーストーリーを作るための操り人形だろう。
政党を渡り歩いて入党したり離党したり繰り返す人間が居るだろう。こういう人間を常にでっち上げて、社会を改善する必要が出ると政権を取らせる。

、散財癖
散財そのものが気持ちいい人が存在する。
何のために金を使うのかではなく、大金を散財するのが気持ちいい人が存在する。
何か目的があって金を使っているのではなくて、散財そのものが目的になっている。
散財癖というのは、目立って気持ちよくなる自己顕示欲にも近い。
操り人形の虚栄でも良いから目立ちたい人は居る。
自己顕示欲・虚栄心・散財癖などは割と似通っている。

、カルト以上の異常者
元宗教二世が脱退したら宗教団体から追放されたと文句を言う。
要するに宗教活動より自分を優先しろという人。
つまり「お前らの長年の宗教活動を捨てて、俺の人間関係を優先しろ」と言っているのである。
ここまで自己中な人間の存在は、サタン側もビックリだろう。
カルトより頭がいかれているとか相当だぞ。
そんなんだから、カルトに肌が合わなくて追い出されたのではないか。
どんなコミュニティーでも、こんな自己中な人間は追放される。
こういうダメな方向でつまはじき者は存在する。ダメな集団の中でさらにダメな人間は排除される。

神の信者は良い方向でつまはじき者である。正しい者がダメな集団から迫害されるのは、よくある事だ。掃き溜めに鶴。
イエス・キリストは正しいのに、悪行を指摘された「偽善者のファリサイ派」と「堕落したユダヤ人たち」が逆上して、迫害と冤罪で神であるイエス・キリストを殺した。
偽装キリスト教団のカトリックが勝手に偽ユダヤ人に責任が無いと決め付けているけど、どちらも悪魔崇拝者のグルだから仲間内で馴れ合っているだけだ。

カルトは自己中を邪魔だと思っているし、騙されて従順に犠牲になる人間を食いモノにしたいと思っている。

俺はカルトをサタンの手下と思うけど、カルトに敵対する人を無条件に全肯定するわけではない。
所詮はどちらも背教者だからだ。

世間は、カルト離脱者を歓迎するけど、無節操な対応だと思う。
世間はカルトが嫌いだから、カルトに敵対したらなんでも歓迎する。
表は歓迎しても、内心では元カルトの異常者と思いながら遠ざける。
上のようにカルト以上の異常者が世間に逃げ込んで来たら、キチンと最後まで歓迎して受け入れるのだろうか。
世間がカルト離脱者を遠巻きにするのは、何となくカルト以上の異常者である危険性を察知しているからだろう。
それなのにカルトをやめろ、カルトから離れろ、と言うのは、かなり無責任な発言である。

神の信者なら、カルトを離れて神に立ち帰れと言う。そして、神に立ち帰った人を最後まで世話する。

、訂正
サムエル記下13章を解説していて間違えた。
12歳の姉さん女房の投稿で「ダビデの息子が妹と性交して、木の枝に首が引っかかって宙吊りのまま刺されて死んだ末路だから、年下の許嫁を探してはいけないという暗示なのだろうか。」と書いたけど間違いを訂正する。
ダビデの息子アムノンがダビデも娘タマルで妹を無理やり性交した。
それをダビデの息子アブサロムが恨んで復讐して殺した。
しかし、アブサロムも後に木の枝に首だけで宙吊りのまま刺されて死んだ。
間違っていたから謝罪する。申し訳ありませんでした。
ダビデの兄弟シムアの息子ヨナダブがアムノンを誘導したけど、後に「殺されたのはアムノン1人で応じ全員が殺されていない」とダビデに助言する。
なんで、誘導したヨナダブをそのままにしているのだろう。ヨナダブに関しては、何かよく判らない。
神は、エヴァを唆した蛇に対しては凄まじい懲罰をしたのに、誘導・誘惑・唆したヨナダブは特にどうともしない。何か違いがあるのだろうか。とりあえず保留して考え続けてみる。

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