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赦し制度が無い世論に従ってはならない 信仰で価値観の確立 心中を独立と言う 愛の償い人生

1、赦しのシステム
赦しのシステムがない懲罰には従ってはならない。
世間が人を罰するけど、具体的な赦しのシステムがないから従ってはいけない。
神は旧約聖書の時代では、神に対して何らかの罪を犯したら、贖罪の献げ物をしたら赦すシステムを用意していた。
その赦しのシステムはレビ記に書かれている。1章から書かれているけど、4章5章を読めば判る。
レビ記 4 | 新共同訳 聖書 | YouVersion (bible.com)
ココから判る事は、赦しのシステムの無いモノに従ってはならない、という意味だ。
世間は不都合な存在を袋叩きにするけど、どうすれば赦すのか具体的に明言していないなら、従ってはならない。
そういう赦しのシステムがない世論・強要・圧力・要求・懲罰に従ってはならない。
神が言っているのは、罪の定義と、赦しの制度が、明確ではない場合は、従ってはならないという事だろう。
神による罪の定義は、聖書全般やレビ記に書かれているけど、どの程度の罪なら犯しても、献げ物をしたら赦されるのかは、判らない。もしかしたら、全ての罪は献げ物で赦されるかもしれないし、赦されないかもしれない。

赦し制度が明確ではないなら従ってはならないし、コロコロ変わるのも従ってはならない。

神は、違法行為の定義を明文化する、違反した場合の赦される方法も明文化する、コロコロ変えない、イエス・キリストの復活の時に一回だけ変えた。
大衆は、違法行為の定義を明文化しない、明文化してもコロコロ変える、違反した場合の赦される方法も「明文化しない」「コロコロ変える」「人によって違う」。
人によって違うとは、赦そうと思う償い方が人によって違うという意味。

そもそも、人間がしてもいい赦しは、自分に対する加害だけである。
他人が被害に遭ったのに、勝手に加害者を赦してはいけない。
ましてや、赦されるように世論工作をしたら地獄へ落ちる。

神は罪の定義を明文化しているのだから、罪の定義を明文化しない人間は神以上になったつもりなのか。こういうのを偽神・偽メシア・神に挑戦する奴とか、言うのだろう。
こういう世論という名の偽神が蔓延している日本は、外国から付き合えないと言われる。どんな私刑リンチが行われるか判らないからだ。
反撃できない者を「集団リンチ」が常習化しているのが日本社会。
そのくせ、神が死刑にしろと命令している背教者に対しては、異常に甘い判定をして無罪放免にする。
こういう善悪や罪の定義を自己中に決めてコロコロ変える非信者に対して、神が激怒しているのだろう。
ちなみに、神の信者の考える罪の定義は、聖書に基づいて考えているから、俺も似たように考えている。

2、勝手に赦す罪
赦し制度がないのに従ってはならないなら、勝手に赦す雰囲気を作ったり、赦せ圧力を掛ける連中はどうなるのだろうか。
犯罪芸人が裁判で一部勝てば、それを針小棒大に捻じ曲げて、無罪のように世論工作をする。
マスコミは身内が赦されるように世論工作をするから地獄へ落ちる。
赦すのは神の領域だから、勝手に他人の罪を赦す方向へ世論工作をすると地獄へ落ちる。旧約時代は、神に対する犯罪をした者に対して、民衆は石打ち刑で死刑にしろと命令しているから、勝手に赦すのは神に逆らう事になる。

犯罪芸人も悪いけど、担ぎ上げる犯罪事務所やテレビ局の方が何百倍も悪い。担がなければ犯罪芸人も犯罪できなかったからだ。

犯罪芸人は、散々テレビを利用していたくせに、裁判の時だけ一般人みたいに弁護士に任せて自分は出ない。
虫のいいところだけつまみ食いする奴は、大衆から最も嫌われる。
テレビの視聴率が下がったり、番組に出演しなくても視聴率が変わらないのが、大衆が犯罪芸人を嫌がって見なくなっている証拠だ。
この犯罪芸人は、業界が衰退しても、自分が楽しければそれでいいという自己中な人間である。
普通の神経をしていたら、自分の業界や会社が衰退していたら、自分が悪いのではないかと反省して引退するモノだ。
犯罪をしても、報復がなければか、バレなければ、逮捕されなければ、刑罰が軽ければ、やるという犯罪者の考え方をしている。
業界を衰退させる加害をしていても、報復されなければいいと思っているのだろう。加害しても報復がなければ居座る性根をしている。
自分の業界を食い潰している奴なんか信用してはいけない。
数百万円なら家族を養うために仕方ないけど、犯罪芸人の場合は毎年、数十億円数百億円も食い潰しているから、一般人と同じ感覚で罪の重さを判断してはいけない。
千倍万倍も加害している人間を平均の加害の人と比べてはいけない。
殺人でも千人一万人と1人で同列で扱ってはならない。
金額の問題だから、金額の問題ではないという屁理屈は通用しない。
コイツ一人のせいで数千人数万人が食いはぐれて飢えるから、金額の問題である。コイツ一人が犯罪をやめれば、数千人数万人が飢えなくなる。
しかも、犯罪自慢や犯罪行為をテレビで出しているから、人々の犯罪欲望を刺激して治安を悪化させるから、なおさら許してはいけない。
擁護や中立を気取る奴は、飢えを認識する能力が欠落している。
コイツは「アフリカの子供だって満腹なら残す」とふざけたことを言う。お前が飢えさせている。自分の加害を茶化して誤魔化す。
自分の業界を何十億円規模で食い潰す犯罪者に対して、中立を気取るのは同罪になる。
金額が多くなれば責任も多くなるのは、当たり前である。この当たり前な事が判らないのが中立気取りである。
巨額の犯罪をしている奴が、別の犯罪をしていないわけがない。
巨額の犯罪に無自覚な奴が、細かい犯罪を自覚するわけがない。
一億円の犯罪に無自覚な奴が、一万円の犯罪を自覚するわけがない。

聖書で「率直に戒めなさい」「警告しなさい」と書かれているから、戒めや警告をしないのは同罪か、それ以上の罪に定められる。

レビ記 19:17 (新共同訳)
心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。
ルカによる福音書 17:3 (新共同訳)
あなたがたも気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。

憎しみと戒めは別だと神は言っている。
戒めるのは憎んでいない証拠になる。
戒めないのは憎んでいる証拠になる。
「心の中で兄弟を憎んではならない」の文言の後に「同胞を率直に戒めなさい」と書いてあるから、憎しみの対義語は戒めなのだろう。

ズレた擁護や中立をしている奴らも、似たような犯罪をしているから、批判できないのだろう。もしくは、似たような犯罪をしたいと思っているから、批判したくないのだろう。
中立でなければいけないのは公権力だけであって、個人が中立の対応をする義務はない。
自分の方が100%悪い奴ほど、他人に中立を要求する。
何でもかんでも中立を気取ればいいというモノではない。
犯罪者に対して中立を気取っている奴らは、犯罪者の陣営から金を貰っているのかと疑うレベルだ。

被害者以外が犯罪者を勝手に赦してはいけない。
前にも書いたけど、世間が犯罪者を赦すかどうかを決めるから、犯罪者は世論さえ誤魔化せばいいと思って犯罪をするため、これが犯罪の構造的な問題だと論証した。
赦すかどうかは被害者だけに決める権限があって、他人は犯罪者を批判する必要がある。批判しないと犯罪者は犯罪をやりたい放題する。批判しないのは同罪だと神が「率直に戒めれば、彼の罪を負う事はない」と書いてあるから、戒めないと犯罪者の罪を負う事になる。
週刊誌に書かれた事以外で、犯罪を自慢する番組を出したり、犯罪行為を番組でやったりしている。
一つの犯罪だけに集中して、他の犯罪に矛先が向かわないように世論操作しているのが擁護派なのだろう。
世論操作の工作員に金を渡しているのだろう。
犯罪芸人を担ぎ上げた犯罪事務所やテレビ局の犯罪に、矛先が向かわないように、犯罪芸人だけが悪いかのように世論操作している。
犯罪者を担ぎ上げる業界の構造的な問題なのに、犯罪芸人の個人的な問題にすり替えて、ウヤムヤにしようと世論操作している。
権力者や政治家に性上納する構造的な問題なのに、犯罪芸人の個人的な問題にすり替えて、ウヤムヤにしようと世論操作している。
被害者以外が犯罪者を勝手に赦してはいけない。
被害者が加害者を赦すと言わない限り、他人は加害者を袋叩きにする義務がある。旧約で石打ち刑を神が規定したのが根拠である。
被害者が加害者を罰しないと言えば、他人も加害者を罰しない。被害者が恥ずかしいとか、騒がないで欲しいとか言っても、明確に罰しないと言わない限り加害者を袋叩きにする。
ただし、新約時代で人間が犯罪者に対してできる事は、無視・排除・批判・監禁して聖書を与えて改心のチャンスを与える、ぐらいだ。

そもそも、赦すかどうかは神が決める事であって、人間に他人を赦す権限は無い。
被害者には、自分への加害を赦せと神は言っている。
神が赦すかどうかを決めるから、人間は犯罪者に対して無視・排除・批判・監禁して聖書を与えて更生させる、などの対応しかしてはいけない。
だから、神の信者なら、徹底的に犯罪者を糾弾する。
勝手に他人の被害を赦すのは、神の領域を侵害する偽神・偽メシアだから、地獄へ落ちる。
しかし、犯罪者が悔い改めたら赦す。

俺は罪の定義をしていなかったけど、聖書に基づいても、この犯罪芸人はいくつも罪を犯している。
罪刑法定主義というのがあって「罪に定めるなら前もって法律で明文化しなければならない」という考え方がある。

3、制度
俺は犯罪の定義はしていないけど、神は聖書で制度に従いなさいと書いている。

主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての皇帝であろうと

ペトロの手紙一 2:13 (新共同訳)

だから、制度に違反している犯罪芸人を批判するのは、良い事である。
制度とは、法律も含む。
神の信者が考える罪の定義は「聖書の内容」+「住んでいる国の法律」みたいな感じになる。
価値観に関しては、聖書と法律に反しない範囲内で好きなようにしてもいい。

賃金の未払いは聖書でも咎められる悪行だから、犯罪芸人が金を独占して、払うべき金を払わなくなっているから、給料の未払いと似たような罪を犯している。

エレミヤ書 22:13 (新共同訳)
災いだ、恵みの業を行わず自分の宮殿を 正義を行わずに高殿を建て 同胞をただで働かせ 賃金を払わない者は。
シラ 34:22 (新共同訳)
[26]隣人の生活の道を奪う者は彼を殺すようなもの。 [27]日雇い人の賃金を巻き上げる者は、人殺しだ。
ヤコブの手紙 5章4節 新共同訳
御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。

給料の未払いは、反省したら神が赦す類の罪とは思えない。俺が主観的に思えないだけだから、確証はない。
だけど、給料の未払いは突発的な犯罪に比べたら、計画性が高すぎて、この類の犯罪は偶然で行うモノではないため、赦されるとは思えない。
聖書でも、突発的に斧が手から抜けて人に当たって死んだら、逃げていいと書いてある。
対価の未払いが、どういう風に突発的なのか説明してみろと思う。
突発的ではない犯罪だと赦される可能性は低くなる。
計画的な犯罪は、赦される可能性が低くなる。

娼婦に対して対価を払わない場合は、犯罪になる。
長男エル次男オナン三男シェラの父ユダも、娼婦に変装した息子の妻で未亡人タマルに対して、娼婦への対価を払おうとしていた。
娼婦の仕事が犯罪でも、対価を払わなくていい理由にはならない。
そもそも、相手が犯罪をしていても、自分の犯罪が赦される理由にならない。
勝手に罪を相殺してはいけない。神は罪を相殺しろなどと言ってない。両方とも罪を償わなければならない。
娼婦の罪は反省して二度と罪を犯さない生き方をしたら赦される。イエス・キリストは、娼婦を助けて赦して、二度と罪を犯してはいけないよ、と言った。
しかし、買春の対価の未払いは、反省して赦される類とは思えない。金が無いなら最初から買春しなければいいだけだから、突発的な犯罪ではない。
犯罪芸人も、女に何の対価も払わないから罪になる。

4、価値観
価値観を確立するには、何らかの着地点が必要になる。
着地点がないと根無し草になって、価値観を持てなくなる。
根無し草なのに変に価値観を持つと、コロコロ変わるようになる。
聖書を読めば、神の掟と住む国の法律が着地点になるから、価値観が確立できる。

世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。

ヨハネの手紙一 2:15 (新共同訳)

世を愛してはならないと聖書にあるから、世論に従ってはいけない。
いくら神の掟と国の法律に反しなくても、世論に従ってはいけない。
神の掟と国の方に反しないといっても、世論に従う価値観は、聖書にある神の掟に反しているからダメになると思う。世論の内容に縁るから、ケースバイケースだから、断言するのは難しいので、自分で聖書を読んで自分で考えて判断して欲しい。

5、心中を独立とすり替える
家族を捨てろと神が言ったから、サタン側は家族主義で人々を地獄へ道連れにする。

神が新約になるまで家族を捨てろと言わなくても、それ以前の旧約の申命記からサタン側は家族を利用して悪魔崇拝へ誘惑している。

同じ母の子である兄弟、息子、娘、愛する妻、あるいは親友に、「あなたも先祖も知らなかった他の神々に従い、これに仕えようではないか」とひそかに誘われても、

申命記 13章7節 新共同訳

神は家族を捨てろと言っている。
サタンは家族を足掛かりにして人々を地獄へ道連れにする。
家族主義で心中させて地獄へ道連れにする。

独り立ちしろと言っている連中は、親の虚栄心を満たせる社会的地位の高い給料を稼いで来い、という意味だから、全く独り立ちしていない。
これでは独立していない。親に洗脳されたままだ。家族と無理心中にさせられている時点で独立していない。
無理心中が独立なのか。
「死なばもろとも」「道連れ」「運命共同体」が個人の独立なのか。
言葉と実態が乖離していて全く意味が通っていない理屈を言うから、社会がドンドン異常になる。
サタンの目的は、人々を地獄へ道連れにする事である。
全ての国はサタンの支配下だとルカ福音書4章7節に書いてあるから、日本政府も人々を家族と心中させようとして扶養義務を強制する。

6、買い物
登録料を払うと、惜しんで不満があっても我慢するようになるから、そういう店にはいかない方がいい。
何で物を買うのに我慢しないといけないのかと思う。ふざけているのかと思う。

7、償いは愛
一生、神に対する罪を償わないといけないのかと言っている人が居るけど、何で生きている間に無罪放免になりたいのだろうか。
答えを言うならイエスだけど、神に対する罪を償うように命令されるのは、神の人に対する愛である。
もし、無罪放免になったら、自分で生き方を考えないといけなくなる。
今は、神に対する罪を償う生き方を優先して良い。
無罪放免になって、自分で生き方を考えるようになれば、他人も無罪放免で自分の生き方を考えるようになるから、利権争いで殺し合う。
殺し合いをしたいのだろうか。

無罪放免になった後で、人間の法律を守って生きると言うなら、それは神に対する罪を償う生き方と、それほど変わらないと思うけど、何で神に対して償う生き方は嫌で、人に服従する生き方が好きなのだろうか。

だから、神の愛なのである。
神に対する罪を償う生き方をするだけで天国へ入れる。
もし、無罪放免になったら、自分で生き方を考えて、その生き方で天国へ入れるか地獄へ落ちるか、採点基準が不明なままで採点される。
神へ償う生き方なら、聖書に基準が明確に書いている。
神へ償う生き方をするだけで天国へ入れるルールにしてくれたのが神の愛だ。

他の人も無罪放免になって自分の生き方を考えるて殺し合いをすると言ったけど、自分一人が無罪放免になっても他人と殺し合いをするのは変わりはない。
結局、利権争いをして殺し合いをする。
利権争いをしないと言うなら、別に神に償う生き方で利権争いをしない生き方をしていいと思うけど、何か違いがあるのだろうか。

8、政治屋
今の政治屋は、先人の形見を勝手に売り飛ばす奴らだから、氷河期世代をあざ笑うのだろう。
あざ笑ったところで自分の悪行が赦される理由にならない。
笑って自分の犯罪を誤魔化す奴らは、地獄へ落ちる。
他人に罪があるからと言って、自分の罪が赦される理由にならないのに、そんな簡単な事も判らない政治屋なのだろう。
ましてや、相手に罪があるかどうかも判らないのに。
所詮は、権力者なんかサタンに魂を売った奴らだから、この程度なのだろう。操り人形に人格が存在しないから、笑って誤魔化すしかできない。魂を売っただけで権力を貰った奴らに、問題解決能力はないし権力もない。
能力も権力もない操り人形の末路だな。
犯罪芸人も能力と権力もなく担ぎ上げられただけだから、犯罪をする人生に落ちぶれた。

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