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一枚岩でない 反日は安心 偽神 犯罪芸人の執着 エセ人助け 思考は熱血根性 謝罪

1、一枚岩ではない
政府・大衆・個人・宗教は別々である。
区別できないとズレた批判になる。
ズレた批判は擁護と同じになる。

政府・大衆・個人・宗教の内部も一枚岩ではない。
個人の心の中でも一枚岩ではないのは、様々な価値観がぶつかり合っているからだ。
神を信じたら、自分の心の中は一枚岩になる。

集団や民族などを一括りに考えてはいけない。
俺も白人・欧州人・で括ったりするけど、そこは謝罪しておく。申し訳ありませんでした。

ただ、不思議な事だけど、職業だと妙に職業病みたいにイメージ通りだったりするから、一括りにしても正確だったりする。
性格診断でも、平均では人口の1割ぐらいしかいない性格でも、特定の職業になると3割4割を占めていたりする。
ジョブロールかもしれないけど。

国家主義者は、国家と自分と他人を区別しないで一枚岩で決め付けるから、自分の頭で考えられない頭のおかしさがある。

2、中国の反日は予想しやすい
国家の内部は一枚岩ではない。
中国も似たようなモノ。

中国は反日というよりも、反日の演技をしないと殺されるから、反日の言動をする。
中国人が日本製を買うのは、いい商品が多いから。でも違法みたいな扱いだから、例えるなら日本では麻薬商品とか、そういう感じになる。
中国共産党が反日政策をして、中国人も反日をやるなら、かなり素直な方だと思うけど。
一枚岩で反日をやっている様に見えるけど、親日な中国人は居る。
むしろ、上が反日教育をしているのに、知った事かと言わんばかりに反日・親日・無視が入り乱れる方が、統制を取れない集団で怖いと思う。
仮に、統制が取れない集団だと、親日政策をしても反日・親日・無視が入り乱れる。中立政策をしても反日・親日・無視が入り乱れて争う。
反日で統制が取れているなら安心する。少なくとも、うわべだけでも統制が取れる集団は確定している。動きが予想しやすいから対応しやすい。

国家主義者は、自分と他人と国家の区別が付かないから、反日で日本や日本人が攻撃されると、自分が攻撃されたと錯覚して、思考停止で怒る。
思考停止に陥って、相手が暴力でうわべだけ統制は取れる集団だと気付かない。
もし、上や社会の言う事は聞かない自分勝手な集団だったら「何やコイツら」と思って、まともに付き合えない。
多分、そんな民族だったら、もっと分裂しているだろう。
人種や民族というのは聖書的に存在しないけど、他の便利な言い方が判らないから、便宜的に使うけど。
聖書には、世を愛してはならないと書いてあるから、世論や社会に迎合する人間はダメである。社会の言う事を聞かない集団は必要である。
ただ、聖書の神に従わない上に、世論にも従わない人間だと、本当にどうしようもないから、排除するしかない。
誰にも従わない奴だと、野生の悪党だから、信者を殺す危険性があるから、サタン側は野生の悪党を殺す。残るのは、上や世論には従う悪人である。

一人一人を正常か異常か区別すればいいのだろうけど、外国人を相手にイチイチ区別なんて面倒な事をするだろうか。
区別する事を要求されて、無理やり区別したらおかしな事になる。
区別は自主的にやるから、意味のある区別になる。
神の信者なら、信者か非信者か、という区別をする。
非信者が、他人を一人一人、区別するとは思えない。
なぜなら、非信者には他人を区別するメリットがないからだ。
神の信者なら、天国へ入るために、一人一人の人格を区別する必要があるから、区別するメリットが明確である。
欧米が一人一人の人格を区別しようとするのは、偽装とはいえキリスト教を名乗っているから、神の教えが残り、完ぺきではないけど人格を区別するようになる。
それとも、神の信者が多いから、信者を殺さないためにも、一人一人の人格を認めるシステムを見せかけて作るのか。
偽装キリスト教団の地域と、偽装キリスト教団すら存在しない地域では、どちらの方が神に立ち帰って神の信者が増えやすいだろうか。
神の信者を殺すと、神が怒って、この世を滅ぼして、サタン側を地獄へ落として、焼き続けるか、魂を消す。
だから、サタン側は、神の信者なら死なないシステムを作る。
神の信者を殺さないシステムを作るには、一人一人の人格を区別する必要があるから、どこの国でもそういうシステムを作るため、国ごとで程度の違いはあっても、それなりに人格は区別する。

3、サタン国
全ての国はサタンの支配下である。

そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。

ルカ福音書 4章6節 新共同訳

そのため、サタン国家のために自己犠牲をする国家主義者は、サタンに魂を売っているも同然だから、地獄へ落ちる。
そして、国家主義者は、国家・個人・他人の区別が付かないから、どの道、地獄へ落ちる。

4、偽神の定義
偽神・偽メシアの定義は、自称する事だけではない。
神が人々を天国へ誘導しているのに、惑わして地獄へ道連れにするのも偽神・偽メシアである。
偽メシアは、善悪を決める神の権力を侵害して、自分で善悪を決める。
神を自称するのだけが偽神・偽メシアではない。
神の権力を侵害すると偽神・偽メシアになる。
人間は、悪人を排除・無視・更生・批判しかしてはならない。
その批判でも正しい方法は、聖書に基づいて行う事だ。
人間の勝手な価値観で批判すると、善悪を決める神の領域を侵害する。

ラバンとベトエルは答えた。
「このことは主の御意志ですから、わたしどもが善し悪しを申すことはできません。

創世記 24章50節 新共同訳

「イサクとリベカの結婚」の話で、リベカの兄と父は「神が決めた事に良し悪しを物申す事はできない」と言った。
「人間の立場で神が決めた善悪の定義に文句を言ってはいけない。
善悪の定義を人間が自分勝手に決めてはいけない。

5、身を守る方法
国家主義にならなくても、身を守る方法はある。

だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。

ヤコブの手紙 4章7節 新共同訳

神に立ち帰れば、サタン側は手出しできなくなる。
天の主を知らないから、不安が消えなくて、不安を忘れたくて国家主義に依存してしまう。
国家主義は、数千数万あるサタンの罠の一つである。
サタン国家に対して国家主義的に自己犠牲をしたら、地獄へ落ちる。
サタンの目的は、人々を地獄へ道連れにする事だ。

6、犯罪芸人の執着心
犯罪芸人の執着心について。
何十年も前の事柄に執着するなんて、あり得るだろうか。
40人ぐらいの中学、高校でも、お笑いの才能のあるクラスメイトを妬んで未だに悪口を言うから、能力がその程度しかない。
何十年も前の事ですら物事を把握できない。未だに固執している。何十年前の出来事で心の整理ができていない。
俺は一年で忘れる。
こういうシツコイ事をする人は、結構、居る。

犯罪者にスポンサードして、注目を集めて、自社の商品を売る金儲けの仕方は、あまり褒められた方法ではない。人殺しで金儲けしているようなもの。

三流芸人しかテレビに出られない。
演劇も歌も三流しか出られない。ヘタ過ぎて聞いてられない。
そのレベルで満足するテレビ客だから、そういう三流タレントしか出てこない。

犯罪事務所が三流タレントを担ぐのは、能力が有りすぎると、独立されて、客を取られるから、独立できない能力や弱みを握れるタレントを選ぶ。

偽ファンのズレた擁護は足を引っ張っている。
言い訳が多ければ正当性があると錯覚している。
言い訳同士で矛盾したら論破されるのに、全く頭が回ってない。

犯罪芸人は、何であんなに執着するのだろうか。
毒親が原因なのは濃厚だけど、どの部分が執着心に繋がるのか。
教育環境のどういう部分が執着心を植え付けるのか。

執着心があるから、独立する能力もないため、独立の危険性がないから犯罪事務所は担ぎ上げる。

こういう執着心のある犯罪芸人やテレビ局員の出し物を見ると、自分の性格まで歪むから見ない方がいい。

金に対する執着心がしがみ付く原因になる。

犯罪芸人の裁判。
この状況でも事の重大さを理解していない。
被害者の個人情報を握って殺すつもりだろう。

7、人助け
人助けは正義ではない。
人間の自分勝手な善行をしても天国へ入れない。
天国へ入るには、神が考える善行をする必要がある。
神が考える善行とは、貧困者・未亡人・孤児を助ける、悪行をしている人間を率直に戒めるなどが善行である。
神が考える善行を十分にして、貧困者が居なくなれば、自分が思うとおりの人助けをしたらいい。

なぜ、人助けをして安心するのか。
多分、本当に助けたいのは自分なのだろう。
自分勝手な人助けをしたら、自分が助かる。
人助けをすると不安を忘れられるのだろう。

神の信者なら、まず、国内から人助けをする。
イエス・キリストは、ユダ州でしか布教しなかった。
人々が天国へ入る方法を、国内だけで布教して人助けをする。
イエス・キリストが復活して昇天した後で、ようやく使徒たちが国外へ布教しに行った。
まだファリサイ派や律法学者は改心していないけど、こういう連中の悪行は改心のしようがないし、死ぬ前から地獄行きが確定しているから、助ける必要がない。

見せびらかすように善行をしてはいけないと書かれている。

「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。

マタイによる福音書 6:1 (新共同訳)

外国で慈善事業したら目立つからやりたがる。

その人助けが善か善ではないかは、神が決める。

8、治安
アフリカは、一時間も子供が歩いても誘拐されないぐらい治安がいい。
アメリカだと、通学すらできない。
自動車通学できるようになって、ようやく子供の教育水準が上がった。
アメリカの治安の悪さは次元が違う。
アフリカの治安も悪いと言えば悪いけど、それは日本人の体感でしかなくて、アメリカの治安の悪さは次元が違う。
銃規制しろと言っている奴らは、アメリカの治安の悪さを何か間違って捉えている。
他人の命を何も考えていない奴らだ。
他人の命よりも自分の思い込みを優先する奴らだ。
アメリカ人が銃規制を賛成するのは、何も判っていないか、アメリカ人を悪人の餌食にしたいか、どちらかである。
アメリカ以外でアメリカの銃規制を賛成する奴は、何も判っていないか、アメリカを内部から潰したい悪人のどちらかだ。

アメリカとアフリカの治安の違いは、子供の通学で判る。
子供の通学という表に出ている情報があるのに、判らない人間が居る。
自分の頭で考えないから、応用できない、比較できない、目の前に設問が用意されるまで思考力が働かない。
そんなんだからマスコミに洗脳されて薬害に遭う。

9、思考力と命
他人の命を普段から考えていないから、緊急事態で自分の命を守る思考力がなくて、無駄死にする。
命よりも自分の思い込みを優先する思考回路だから、自分の思い込みを正当化するためなら命をドブに捨てる。
自分1人の命だけを考えていても、緊急事態では役に立たない。なぜなら、自分1人分のデータしかないから、色んな状況に対応できないからだ。
何千何万の状況に対応するには、何万人分・何億人分のデータがあった方が対応できる。
今回の薬害だって、自分が薬害に遭った事がないなら、回避できない。
他人の薬害の被害について色々と考える思考量が育っていないと、自分が薬害を回避する事ができない。
思考力に質はほとんど意味がなくて、ほぼ物量のごり押しである。
思考力に才能は無駄であり、どれだけ考えたかによる。
思考力に効率的な勉強法はなく、熱血根性論に近い。
斜に構えた冷めた人間は自分以外の命を考えない。
自分の命を守りたいなら、普段から自分以外の命について考える思考力を養う必要がある。

ただし、自分の命を惜しむ者は命を失うと聖書にある。

マタイによる福音書 10:39 (新共同訳)
自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
マタイによる福音書 16:25 (新共同訳)
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。
マルコによる福音書 8:35 (新共同訳)
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。
ルカによる福音書 9:24 (新共同訳)
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。
ルカによる福音書 17:33 (新共同訳)
自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。
ヨハネによる福音書 12:25 (新共同訳)
自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。

神のために自分の命を捨てる人は、自分の命を守る事ができる。
死後も天国に入って、自分の魂が生きるから、自分の命を救える。
天国へ入る福音のために自分の命を捨てる者は、地獄へ落ちないから自分の命を救う。
自分1人の命だけを考えていたら、自分の命を守れない。
自分の価値観で自分の命を守ると、自分の命を守れない。
天の主の視点で自分の命を使えば、自分の命を守れる。

10、謝罪
親をぶん殴らないと心の傷が治らないと言ったけど、言いすぎだから、謝罪しておく。申し訳ありませんでした。
聖書でも旧約は親を殴ってはいけないと書いてあった事を思い出したから、今回、謝罪した。

親が喜んだ就職を蹴ってやれば、殴ったも同然になるから、そういうので毒親の加害で傷ついた心は治ると思う。
毒親に逆らえないから、毒親の加害で傷ついた心の憂さ晴らしのために、他人を殴ったり加害したりパワハラするぐらいなら、毒親を殴った方がマシという意味で言ったけど、言いすぎた。
他人を何万回も殴っても、心の傷は治らないけど、毒親を一回ぶん殴れば心の傷は治って、それ以上は誰も殴らなくなるから、マシではある。

毒親による自分への加害は、他人に憂さ晴らしで八つ当たりしても、心の傷は治らない。
心理学的に言う所の「置き換え」をしても、心の傷は治らない。

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