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人命より気分を優先する人を予防殺人する 思いやり殺人 必ず遭難する人は遭難しない 自分ルールの説明義務

1、感情と応報
妙な液体を注射しないからムカつくとか言っている奴は、他人の命よりも自分の気分を優先している。
こんな性格をしているから、薬害に遭ってしまう。
AがBの命よりも自分の気分を優先するように、BもAの命よりもB自身の気分を優先するから、Aは薬害に遭ってしまう。
AがBの命を守っていないのだから、BがAの命を守らなくなる。
AがBを殺しているのだから、BがAを殺すようになる。

天の主の信者なら、こんな反撃はしない。

しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。

マタイ福音書 5章39節 新共同訳

しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。 あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」

ルカ福音書 6章35節36節

しかし、神を信じない無信者は反撃するから殺し合いになる。
世の中のほとんどは、サタン側、偽装キリスト教団の偽信者、無宗教者、邪教徒だから、基本的に反撃を食らう。
天の主の信者は、3人に1人という人も居るけど、俺は1000人に1人、300000人に1人と解釈できる。

1000人に1人は、コヘレト7章28節の「わたしの魂はなお尋ね求めて見いださなかった。千人に一人という男はいたが」にある。
300000人に1人は次の聖書箇所にある。

旧約聖書:ゼカリヤ書:13章: 8節
主は言われる、全地の人の三分の二は断たれて死に、三分の一は生き残る
旧約聖書:ゼカリヤ書:13章:9節
わたしはこの三分の一を火の中に入れ、をふき分けるように、これをふき分け、精錬するように、これを精錬する。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『彼らはわが民である』と言い、彼らは『主はわが神である』と言う」。

金銀の鉱山は、土砂1トンで10グラムほど採れる。
100000グラムで1グラムの金銀が採れる。
そのため、3分の2を殺して、3分の1を火の中の溶鉱炉に入れるから、最終的に300000人に1人が神の信者となる。
さっきの話の反撃する人は300000人の内299999人は存在するから、たいていの場合は反撃されるから、殺し合いになる。
この殺し合いから逃れる方法は、神に立ち帰る事である。

2、予防戦争
予防戦争とは、こちらに不利な状況で戦争を不意打ちで仕掛けられる前に、自国から不意打ちで戦争を仕掛ける。
他人が自分を殺そうとしているのだから、先に自分が他人を殺すのも、予防殺人とも言える。
他人の人命より自分の気分を優先する人間が居たら、予防で殺す人が居てもおかしくはない。
聖書では殺人は禁止だから、信者なら予防で悪人を殺さない。
ただ、聖書を信じていない人は、予防で殺す確率が非常に高いから、自己中な人は予防で殺される覚悟しておく必要がある。
自分の気分を優先する考え方を、心の中で思っているだけならともかく、言葉にしたり書き込むようでは、予防で殺されても仕方がない。

3、サタン社会
自己中な人はサタン社会がなかったら、一瞬で殺処分される。
サタン社会の世界だから、こんな自己中でも殺されずに済む。
サタンは人々を地獄へ道連れにするのが目的だから、自己中な人間なら地獄へ道連れに出来るため、改心しないように自己中を咎めないで助長する。

サタン社会でそれなりに成功してしまうと、疑う事ができなくなって、地獄へ道連れにされる。中途半端に才能があると危険だ。
真実に気付く才能もなく、社会から脱落するほど落ちこぼれでもないと、良いように騙されて地獄へ道連れにされる。
この中間層が最も人口が多いから、サタン側も、こういう人間たちを騙すように社会を作っている。そして、多数決で少数を圧殺する。

遭難しない人は、山へ行かない。
遭難する人は、中途半端に才能と体力のある人だ。
必ず遭難する人は遭難しない。なぜなら山へ行かないからだ。
100%遭難しない人は100%遭難しない。
100%遭難する人は100%遭難しない。
1%から99%の確率で遭難する人が遭難する。
中途半端な人間が最も邪魔になる。
神が熱いか冷たいか、どちらかであって欲しいと言うのは、こういう意味もあるのだろうか。

新約聖書:ヨハネの黙示録:3章:15節
わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たい熱いかであってほしい。

「冷たいか熱いかであってほしい」と神が聖書で書いたのは、絶対善か絶対悪であって欲しいと解釈したと思うけど、上の遭難確率みたいに中途半端な才能・成功・出世は止めてくれという意味があるのだろう。
サタン社会で中途半端に適応している人間ほど、地獄へ道連れにされる。

4、善意の意味
思いやりで注射を奨めても、よく調べもしないモノを他人に奨めている時点で、人殺しである。
守る能力もないのに守ろうとするのは邪魔であり、逆効果で人を殺す。
調べる能力もないのに調べて、人に奨めるのは、人殺しである。
レスキューの訓練を受けないで、レスキューするのは、人殺しである。
善意は免罪符ではない。
善意でも損害が出たら賠償する責任が発生する。
判らないなら、何もしない、黙っている、接種する姿も見せない、接種した事も言わない、接種を奨めない、というのが重要である。
一言でも接種を勧めるような事を言ったら、殺人の罪が発生する。
自分の力(分別)に頼ってはいけないと聖書に書いてある。

心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず

箴言 3章5節 新共同訳

5、勘に障る
誰だって自己中な人間に対しては癇に障る。
サタン側ですら、自分の感情を優先する自己中の存在は癇に障る。
殺したいと思っている。
しかし、地獄へ道連れにするのが目的だから、殺さないだけ。
サタン側は、チャンスがあれば殺す。
今回の妙な液体の薬害も、神を冒涜する予防接種だから、地獄へ道連れにしながら殺せる。
疫病は神が背教者に対して下す天罰だから、神の天罰の疫病を注射一本で蹴散らそうとするのは、神に対する冒涜である。
神を冒涜したら地獄へ落ちる。
疫病を予防したいなら、聖書に書かれている、酒に酔いつぶれないような生き方を心掛ける事だ。

自己中な性格を直したいなら、神に立ち帰れば直る。

6、命の使い方
殺し殺され予防戦争と色々と書いたけど、命は神のために使えば、天国に入れる。

7、罪のカテゴリー
芸風が犯罪まがいだからといって、犯罪をしてもいい理由にならない。

被害は免罪符ではない。
正義は免罪符ではない。
善意は免罪符ではない。
何で、罪に対する意識が異常なのだろうか。
何で、芸風・被害・正義・善意が罪の帳消しになると思っているのだろうか。罪とこれらが同じカテゴリーに入っているのだろうか。
善い悪いではなくて、悪い悪くないではなくて、何でそんな分類の仕方をしているのか。
自分の思考回路なのだから、すぐ説明できるだろう。
そういう意見を言うなら、自分の思考回路も同時に説明する義務がある。
常識とか言って逃げる、一から説明しない人間は詐欺師である。
常識とか言って逃げる人間は、ルールを明文化しないで隠ぺいするし、ルールを明確化してもコロコロ変えるから、詐欺師である。
ルールを言わない人間は詐欺師である。
まあ、自分のルールが判らないだけかもしれないけど。
自分のルールすら判らない人間は、世の中にいくらでも存在する。
自分のルールすら判らないけど、何か成し遂げたい欲望で軽挙妄動する。
自分のルールを説明する義務がある事も判らないのだろう。
自分のルールを説明する義務が判らないから、自分のルールを考える事ができなくなるため、思考停止になる。
自分のルールを説明する事を求められた事がないのか。
自分のルールを説明しなくても済む生き方をしているのか。

ちなみに、俺の思考回路は、聖書を読めば大体わかる。
聖書ならルールは明確だし、コロコロ変わる事はない。

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