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終末願望の米人 助け合う範囲 生け贄志願者を助けるのは不可能 人は神の子 謝罪

1、終末願望のアメリカ
アメリカなどで裁判の賠償金が巨額になる理由は何だろうか。
結論を言うと、崩壊世界を望んでいるからだと思う。

アメリカ人の終末思想は、思想ではなく願望・欲望・妄想だ。

アメリカは、個人の力で生き抜く事を良しとする価値観がある。
そのため、全体の力で個人が慎ましく生きていく価値観ではない。
個人主義の考えが強いけど、個人で生き抜く力があるとは言っていない。

社会全体を保って、個人が慎ましく生きる社会。
個人が自己責任で、社会の影響力を小さくする社会。
どちらがいいかというと人による。
強者なら自己責任社会の方が好都合だろう。
個人が慎ましく生きる社会では、特定の人がシワ寄せをされて苦しむけど、一応は全員が生命活動だけはできる。

巨額の賠償金などで社会が高コスト体質になると、どうしても覇権を失いやすくなる。
しかし、覇権を失って世界秩序が崩壊する方を良しとする価値観をしているのがアメリカ人かも知れない。
世界破綻のポストアポカリプスみたいな創作物が好まれるから、そういう世界崩壊を望んでいるのかも。
アメリカに限らず、そういう世界崩壊を望んでいる人間は、世界中に一定の割合は居るけど、特に新興国ほど、その傾向が強いと思う。
社会を保って個人が慎ましく生きるよりも、社会を潰して個人が銃で武装して弱肉強食をする方が素晴らしいという価値観をしているのかもしれない。

聖書的に神は、そんな世界崩壊は望んでいない。
神は、背教者たちに対する怒りで、懲罰として最後は世界を滅ぼすけど、世界の滅亡は望んでいない。
アメリカは、偽装キリスト教団が蔓延しているから、神が世を滅ぼすと思い違いをしている。もしくは、住人が崩壊世界を望んでいるから、偽装キリスト教団が蔓延するのか。

アメリカは、自分1人で生きる覚悟がない軟弱者は移民しに来なくて良い、という価値観の国なのだろう。
昔から覇権国は、こういう傾向にあるのかもしれない。本当かどうか判らないけど公式の歴史では、覇権国はヴェネツィア・スペイン・オランダ・イギリスと移行していたから、これらの国も似たようなものだったのかも。

なぜアメリカはキリスト教のはずなのに助け合わないのかと言ったら、アメリカのキリスト教は偽装キリスト教団であり、サタンの手下だからだ。
偽装キリスト教団は、上っ面はキリスト教の振りをして、その実、人々を神から遠ざけて地獄へ道連れにするのが目的である。
だから、偽装キリスト教団は、人々が助け合わないように世論操作をするけど、表向きは慈善事業をする。
しかし、裏では政府や社会や世論工作を利用して、人々が互いに助けないように仕向ける。
アメリカはホームレスだらけだし、医療費の高騰で治療を受けられない。
だから、アメリカは自己責任とか、いがみ合い、争いが多い国になる。

ただ、最近のアメリカは、金持ちがやりたい放題する国から、ポリコレなどの政治集団がやりたい放題する国になって、サタン側が覇権を移行させたいみたいだけど。

人々を守るのは神である。
神の信者が居なくなると、神が怒って、この世をソドムとゴモラのように亡ぼして、サタン側を地獄へ落として焼き続けるか魂を消す。
だから、サタン側は恐れて、信者を殺さないシステムを作り、弱者の信者が死なないように社会保障を充実させる。
サタン側の政府が福祉で人々を守っているのではなくて、神がサタン側を報復で脅して人々を守るように仕向けているから、神が人々を守っている。

2、助け合う範囲
神は信者同士で助け合う様に言っている。
だから、サタン側は、人々が間違った形の助け合いをするように仕向けて、地獄へ道連れにする。

例えば、サタン側は犯罪者同士で庇い合わせる。

自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。
また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。
返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。

ルカ福音書 6章32節から34節 新共同訳

テレビ番組で犯罪者同士が庇い合ったり、弄って罪は赦されたような風潮を作る。
本来、罪は一生に渡って背負うモノなのに、仲間内で弄っただけで赦すなどというふざけた悪行をする。
一生、罪を背負う気が無いから軽々しく犯罪をする。
弄られたら赦されると思い違いをしているから、軽々しく犯罪をする。
弄られてネタになって美味しいとすら思っている癖に、懲罰されたという雰囲気をでっち上げる。こんな奴らを擁護するのも同罪である。
犯罪芸人と偽ファンが罪人同士で庇い合っているから、犯罪の温床になっている。
自分たちは犯罪をチャラにするから、テレビ離れになる。

サタン側は、助けてはいけない人間を助けさせる。
聖書では、貧困者と未亡人と孤児を助けろと書いている。だから、サタン側は、それ以外を助けさせるように仕向ける。被害者とか、金持ちの被害者を助けるように仕向ける。
被害者を助けなくても、貧困者になった人を助ければ、十分に被害者を助ける事は可能である。金持ちの被害者を助ける必要性はない。

人間には信者同士で助け合う本能がある。
しかし、サタン側が神を隠したから、信者同士で助け合う本能を満たせなくなった。
だから、代償行為として、誰彼かまわず助け合う。
しかし、代償行為だから、偽物なので一生に渡って満たされないで苦しむ。

貧困者・未亡人・孤児が非信者でも、助けるべき。
それ以外の非信者を助けるのはダメ。
信者同士で助け合うべき。
弱者や障碍者や被害者を助けろとは神は言っていないのに、偽装キリスト教団は、助けてはいけない相手を助けるように仕向ける。
弱者に関しては旧約では時々、助けろとは書いている箇所があるけど、新約になると信者パウロ以外は誰も言っていない。

詩編 72:13
弱い人、乏しい人を憐れみ
乏しい人の命を救い
詩編 82:4
弱い人、貧しい人を救い
神に逆らう者の手から助け出せ。」

しかし、弱い者をエコ贔屓してはいけないと書いてある。

出エジプト記 23:3
また、弱い人を訴訟において曲げてかばってはならない。
レビ記 19:15
あなたたちは不正な裁判をしてはならない。あなたは弱い者を偏ってかばったり、力ある者におもねってはならない。同胞を正しく裁きなさい。

聖書的には、信者同士は助け合い、恵まれた人は恵まれない人を助けて、モノを共有する。
恵まれた人は恵まれない人を助けて、天に富を積む。
恵まれない人は恵まれた人が天と身を積むのを助ける。

1 マタイによる福音書 6:20
富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
2 マタイによる福音書 19:21
イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
3 マルコによる福音書 10:21
イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
4 ルカによる福音書 12:33
自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。
5 ルカによる福音書 18:22
これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

この世で富を積まないで、天に富を積む。
この世で資産形成するのではなく、天で資産形成する。

信者同士は助け合うけど、非信者を最初から共同体に受け入れない。

この教えを携えずにあなたがたのところに来る者は、家に入れてはなりません。挨拶してもなりません。

ヨハネの手紙2 1章10節 新共同訳

神の教えを携えていない人間を助けるのは不可能である。

3、助けるのは不可能
自分の命を生け贄にする奴を助けるのは不可能。
自殺志願者は救助不能。救いようがない。
妙な液体の予防接種でも、自分の命を守るとか言いながら、実際は世間体を保ちたいだけだから、こういう奴は自分から死にに行っているので助けるのは不可能である。
ヘタに助けようとすると自分まで死ぬから、助けない方がいい。
自殺志願者を助けるのは不可能である。
神が「背教者のカナン人」を助けてはいけないと言ったのは、巻き込まれるから助けてはいけないという意味である。

申命記 7章2節
あなたの意のままにあしらわさせ、あなたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。
申命記 7章16節
あなたの神、主があなたに渡される諸国の民をことごとく滅ぼし、彼らに憐れみをかけてはならない。彼らの神に仕えてはならない。それはあなたを捕らえる罠となる。

新共同訳

何でもかんでも助ければいいというモノではない。

世間体のために自分の命を生け贄にする人間は、世を愛している背教者だから助けてはならない。

世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。

ヨハネの手紙1 2章15節 新共同訳

世を愛するとは、世間体を気にするという意味だ。
自分の世間体を得るために、自分の命を捨てるのは、生け贄志願者だ。
自殺志願者を助けるのが不可能なように、生け贄の志願者を助けるのは不可能である。

背教者は自分の命を私物化しているから、自分の命を生け贄に使って死にに行く。
こういう自分から死にに行く人間を助けようとすると、事件が起きるたびに毎回、何十時間、何百時間も説得しないといけない。
説得の情報収集で時間を失い、説得で気力を失う。
しかも、サタン側の罠は、何千何万とあるから、そのたびに何十時間、何百時間を失って、気力も体力もすり減る。
「1000種類の罠✖10時間」で10000時間を失う。
「1000種類の罠✖100時間」で100000時間を失う。
今回の薬害で家族を助けようとするために、情報収集と説得と「気力の回復」に何百時間何千時間を使ったのか。
サタン側は、人々のそういう時間と気力と体力をそぎ落として、神に気付く時間と気力と体力をそぎ落とすのが目的なのである。
だから、自殺志願者の生け贄志願者をイチイチ助けていたら、巻き込まれて人生をドブに捨てて地獄へ落ちて魂が滅ぼされて死ぬから、助けるのは止めろと神が言っている。
人生は70万時間ぐらいしかないのに、何万時間、何十万時間を失ったら、巻き込まれて死んだも同然になる。

サタン側の目的は、殺す事ではなくて、人々の神に気付く時間をそぎ落として、神に立ち帰れなくして地獄へ道連れにする事だ。
殺すのは、精々、副産物とか、カバーストーリーにしか思っていない。
何なら、捨て駒の推進派を大衆に殺させて、大衆が何かを成し遂げた気になって、真実の神に気付かないように仕向けるまでが台本かもしれない。
捨て駒の推進派を吊るし上げて殺しても、数百人数千人数万人が犬死するだけで、何の意味もない。 
サタン側にしてみたら、捨て駒の政治家や薬害推進派の代わりなんかいくらでも居るから、殺されても惜しくも何ともない。
何なら、捨て駒を嫌ってすら居るだろう。
好きだったら、殺されるようなところに置いておかない。
誰だって好きな人間を矢面に立たせようと思わないだろう。
矢面に立たせている時点で嫌っているのが丸判りである。
何なら、捨て駒を大衆に殺させて、大衆を殺人罪で地獄へ道連れにして、嫌いな捨て駒を処分するところまで、サタン側の計画かも知れない。
捨て駒を終身刑にして、天国へ入れないようにして、神に復讐を頼んだ方がいい。
ヘタに死刑にすると、イエス・キリストの隣で磔刑になった殺人犯みたいに、死刑直前で改心して天国へ入るかもしれない。
死刑にして数秒ほど苦しんで、改心したら天国へ入れるような悪行かどうかを考えてみたらいい。
だから、終身刑にして、改心しても意味がないようにして、推進派を神に地獄へ落としてもらって、神に代わりに復讐してもらう。

神が家族を捨てろと言ってるのは、背教者の家族を守るために人生をドブに捨ててはいけないと言っているのである。

わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。

マタイによる福音書 19:29

イエス・キリストも家族を捨てた。

イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。
そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。
しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」
そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」

マタイ福音書 12章46節から50節 新共同訳

そして、自分で助けず、神の信者である弟子に母の世話をさせた。

それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

ヨハネによる福音書 19:27

家族が信者だったとしても、自分で世話をしないで、信者同士で互いの家族を交換して世話をする。

人助けの範囲は、神の信者・貧困者・未亡人・孤児である。
家族が神の信者でも自分で世話をしてはいけない。
貧困者・未亡人・孤児が神の信者である必要性はない。

4、神の子
人間は神の子である。

御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。

ヨハンの手紙 1 3章1節 新共同訳

そもそも、神が全ての人間を胎内で創ったのだから、人間は全員が神の子である。

あなたは、わたしの内臓を造り
母の胎内にわたしを組み立ててくださった。

詩篇 139章13節 新共同訳

5、謝罪
人間の性関係を規定するのは、人間がアダムとエヴァの時から、責任転嫁をする無責任だから、無責任な人間が相手を誰彼かまわず結婚すると不幸になるから、神が結婚相手を規定する。
俺はコードが乱れるから結婚相手を制限しているのかと思ったけど、人間が不幸にならないように神が配慮してくれているのである。
俺が間違っていたから謝罪する。申し訳ありませんでした。

6、一貫性
昨日の一貫性の罠の追加で、神に立ち帰る努力で一貫していればいいと付け加える。

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